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【あれから4年】第1回「地元のかきを復興させたい」

 
 

一般的なかき養殖では、複数のかきが一緒に生育するとともに他の貝や海藻などが付着します生活クラブでは東日本大震災の復興支援をするために4次にわたる組合員カンパを行ない、それをもとにさまざまな支援活動を続けています。また食べることを通じて復興を後押ししようと、被災した生産者がつくる消費材の利用を進めています。
「3.11」から4年が経とうとしています。連載1回目は、生かきの生産者である(株)丸壽阿部商店(宮城県南三陸町)のいまを紹介します。(2015年2月23日掲載)

ままならない歌津のかき生産

 宮城県産の生かきを消費材として供給していた丸壽阿部商店は、原料のかき生産者が被災したために一時は広島産を原料にせざるを得ませんでした。

船上から養殖場を見つめる歌津のかき生産者。左から阿部亀行さん、高橋清喜さんそれでも宮城県のかき産地である気仙沼市唐桑産がいち早く回復したことにより、昨シーズンから宮城県産で供給ができるようになりました。丸壽阿部商店専務の阿部寿一さんは「唐桑地区の生産はほぼ100%回復しました」と話します。
 しかし、丸壽阿部商店がある南三陸町歌津地区は漁業を糧とする人が9割近くを占めるにもかかわらず、復旧がままなりません。とくにかきの生産は、震災前の1割にも満たない状況です。宮城県漁協・歌津支所のかき部会長を務める阿部亀行さんは「最大の要因は、かきの殻を剥く処理場が津波で流されたことです。

カラフルなブイが浮かぶ歌津の海。はた目には復興が進んでいるように映るが...また震災前はかきの養殖いかだが一人当たり約25本ありましたが、震災後は県がわかめ養殖を奨励したことにより、かき生産者には5本しか割り当てられなかったことも大きく影響しています」と、かきの生産が回復しない原因を明かします。
 阿部亀行さんは震災のあった年から養殖を再開しましたが殻つきでは出荷先がなく、育てたかきを原貝として安価で他地方に出さざるを得ない状況が続いています。このように収入がおぼつかないことが、かきの養殖を再開したい意向をもつ生産者に二の足を踏ませています。

津波被害をバネにイノベーションを

港近くで建設の始まったかきの処理場 躊躇する歌津地区のかき生産者に対し阿部寿一さんは「うちが買い取りますから」と話し、養殖の再開を促しています。それは漁業が復興しなければ、地域が成り立たないとの思いからです。
 丸壽阿部商店ではこれまで剥きかきを仕入れ、浄化しパック詰めをすることを生業としていましたが、震災以降は殻付のかきの生産も徐々に始めています。そして昨秋には4人の生産者が、かきを剥く処理場建設を決意。震災で地盤沈下した土地のかさ上げ工事で建設が遅れているものの、今秋には完成予定となっています。阿部さんは「生活クラブが震災後に私の背中を押してくれたように、意欲のある生産者の背中を私も押しただけ」と話します。
1粒ずつ育てているかきの生育状況 また阿部さんは県や水産試験場、生産者と協力して、1粒ずつかきを育てる養殖試験に昨秋から取り組み始めました。この方法ではかきは小粒になるものの、肉厚で貝柱と身が一体となった味が楽しめるため、殻付かきの価値を高める可能性があるといいます。歌津地区のかき生産量はすぐに回復することが見込めないため、その分、かきの品質を高めることで生産者の収入を確保できればとの考えによるものです。
 阿部さんは「津波による被害はありましたが、それをバネに地域の要である水産業でイノベーションを起こしたいのです」と笑顔で語ります。