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【あれから4年】第3回 思いが共鳴して生まれた「いわしだんご」

 
 

活気を取り戻しつつある石巻漁港生活クラブでは東日本大震災の復興支援をするために4次にわたる組合員カンパを行ない、それをもとにさまざまな支援活動を続けています。また食べることを通じて復興を後押ししようと、被災した生産者がつくる消費材の利用を進めています。
「3.11」から4 年が経ちました。連載3回目は、おでん種セットなど水産練り製品の生産者である(株)高橋徳治商店(宮城県東松島市)のいまを紹介します。(2015年3月16日掲載)

前浜で揚がった魚の処理は自前で

 東日本大震災では、宮城県石巻市にあった3工場が全壊の被害を受けた高橋徳治商店。隣接する東松島市に新たな工場ができたのは2013年7月のことです。震災後は北海道や九州で水揚げされた魚を原料に「おとうふ揚げ」や「おでん種セット」などの消費材を製造していましたが、石巻漁港でも放射性セシウムの値が1キロ当たり1ベクレル以下の魚が手に入るようになりました。この4月1回(13週)からは、石巻漁港などで水揚げされたイワシをつかった新消費材「いわしだんご」の取組みが始まります。
 「食品添加物に頼らずに練製品をつくるには、原料となる魚が一番重要です。その点、地元であがる魚は自分たちの眼で確かめることができます。あらかじめ鮮度や身の質を知っていることは製品のレベルを大きく左右します。素材の魚以上のものはできませんからね」と高橋英雄社長は話します。
仕入れた魚の前処理をする社員 震災で石巻漁港も壊滅的な被害を受けましたが、水揚げ量はようやく震災前の7割程度まで回復して活気を取り戻しつつあります。しかし、水産加工業者の復旧は遅く、震災前の7割以上まで売上げを回復しているのはわずか23%という状況です。しかも魚の頭や内臓の除去などを担っていた一次処理加工事業者の多くは、廃業してしまいました。そのため高橋徳治商店では、イワシなどの原魚を自社で前処理せざるを得なくなりました。募集しても人が来ないので人手が足りない時は、事務職の社員も魚をさばきます。

震災を経てたくましく育った社員

同じく震災で被災した重茂漁協とコラボレーションして生まれた「茎わかめのボール揚げ」 新規品の「いわしだんご」はイワシのすり身と、骨ごとボイルした身を合わせることで独特な食感と滋味を引き出しています。この製造には煮釜が欠かせませんが、津波で壊れてしまいました。高橋さんは「生活クラブ岩手の組合員をはじめ震災後に駆け付けたボランティアの方々がせっけんで丁寧に洗浄してくれました。そんなみなさんの思いが込められた釜は、困難な仕事にもかかわらず関西の機械メーカーが修理を引き受けてくれました。おおぜいの人の思いが共鳴してよみがえった煮釜は喜んで製造に励んでいるようです」と話します。
先輩社員からアドバイスを受けながら「海老しんじょ」の練りを行なう社員。つくり方のみならず、製品へ込める思いも学ぶ 高橋徳治商店では製造開始にあたり毎朝、社長をはじめ全社員による試食で承認を得られないと生産を始めることができません。一つひとつの消費材の製造方法は確立されているものの、素材の魚の質は天然ものなので仕入れるたびに微妙に異なるからです。そのわずかな違いを見極め、妥協をしない消費材をつくるために工場のラインが半日以上動かないこともあります。
 「作り直しを言われても社員は当初、微妙な味の差がわからなかったためにやらされ感が強かったと思います。しかし900日以上も毎日、尋常でない品質の追求によって社員は考えを変え、生き方さえ自ら変えようとしています。ようやく『3.11』と向き合えるようなになった気がします」と高橋さん。震災を経てたくましく育った最高のスタッフだと語る目がうるんでいます。