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【あれから4年】第4回 共生地域創造財団としての支援活動

 
 

「3.11」から4 年が経ちました。生活クラブは4次にわたる組合員カンパを行ない、それをもとにさまざまな支援を続けています。またグリーンコープ、ホームレス支援全国ネットワークとともに「公益財団法人 共生地域創造財団」を設立し、被災地に拠点を置いて地道な取組みを行なっています。
連載4回目は、共生地域創造財団の福島県川内村や岩手県大船渡市での活動を紹介します。

(2015年3月30日掲載)

自主避難にきびしい賠償打切り

冬場は寒いため、仮設住宅内の集会場で開かれている横丁市場福島第一原発から30km 圏内に位置する福島県川内村は、原発事故により一時全村避難せざるを得なくなりました。その後、避難指示が徐々に解除されましたが、放射能への不安や病院などのインフラが不足していることもあって仮設住宅に留まる人がいます。しかし、居住制限が解除されたことによってこのような人たちは「自主避難」とされ、東京電力からの賠償が打ち切られてしまいました。
「収入は年金だけで、月3~5万円で暮らす人がほとんどです。そのなかから光熱費や医療費を払うので、食費に回せる額はわずかなのが実態です」と、地元のNPO 法人「昭和横丁」の志田篤さんは語ります。
川内村から避難した人々の暮らす郡山市の仮設住宅では日曜日と火曜日の朝に「横丁市場」が開かれ、開始前からお年寄りが集まり始めます。単に野菜や卵が求められるからではありません。訪れた人が「ここに来ないと気持ちが晴れないの」と話すように、来場者どうしの会話が心をなごませるからです。志田さんは「みんなの話す声が大きくなり、元気になってきたことがわかります。独りや二人暮らしの高齢者世帯が多いのですが、野菜を摂る量が少なく栄養が偏っていると感じていました」と、市場を始めた動機を話します。共生地域創造財団は、温かい惣菜を販売するためのキッチンカーを貸与するとともに、生活クラブから野菜の一部を提供するなど、「昭和横丁」の活動を支援しています。
原発事故から4年が経ちましたが、生活の見とおしが立たず、暮らしが再建できない人が数多くいます。共生地域創造財団は、地域の市民団体と連携して支援活動を続けていきます。

生活の困りごとの相談室を開設

相談にのぞむ共生地域創造財団の熊谷新二さん一方、岩手県大船渡市は東日本大震災で津波に襲われました。高齢者や障がいのある人などの暮らしはさらに困難になるとともに、地縁など地域で人と人が助けあう環境さえも津波は呑み込んでしまいました。「人は誰かとつながっていないと『助けて』とも言えません。生活に困っている人が相談できる新たな仕組みづくりが必要でした」と、共生地域創造財団の熊谷新二さんは話します。
共生地域創造財団は、2015 年4月の生活困難者自立支援法の施行にむけた市のモデル事業として、電話や相談室で困りごとを聞き、問題解決につなげる事業「お困りごと相談室ともいき」を2014 年12月から開設。1月末までに24 件もの相談が寄せられました。「想定を上回る数です。お金や仕事、福祉に関する複合した相談が多く、実状にあわせて解決に向けたプランづくりをしています」(熊谷さん)。むずかしい相談があった場合でも、共生地域創造財団を構成する3団体の知見やネットワークの蓄積が解決の糸口になることが多いといいます。
住まいや仕事を失ったままで月日を重ねることは、人から生きる希望を奪いかねません。共生地域創造財団はこれからも一人ひとりに寄り添った支援を続け、津波で壊された地域のつながりを新たに創ることをめざします。