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2013年03月23日:毎日新聞

「農」がつなぐ 人と人

 
 

「消費者」から解放

農業生産法人「hototo」が開く農業スクールに参加、有機栽培のサニーレタス畑を訪れた生徒ら=山梨県北杜市で、長野宏美撮影 いざとなれば国が助けてくれるという思い込みは、国に身を任せ一方的な管理を許すこと。そこから逃れるには、どんなに小さな範囲でもいい、「自分たちの世界」を築く、あるいは試みることだ。
 「お金さえあれば何でも買えると慣らされてきた」。山梨市の農業生産法人「hototo(ホトト)」で農を学ぶ川崎市の放射線技師、大塚干花子さん(50)は東日本大震災でそう痛感した。流通が途絶え、少しでも自分で食べ物を手に入れなければと感じた。震災直後は首都圏でも店の棚から水やコメが消えた。
「並んだ物を好きに選ぶのは一見自由なようで、決して自由じゃない」
 09年度のカロリーベースの食料自給率を見ると、東京は1%。大阪は2%で神奈川は3%足らず。190%の北海道民が「いざとなったら売ってやらない」と語るのが冗談でなくなり、都会人が風呂敷に着物を包み農家に買い出しに行く日が来ないと誰が言えよう。
 都市に暮らしながらの週末農業が増え、その数は農家に迫る。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)があろうとなかろうと、高齢化が進む農家の数は大幅に減る。そんな中、人が農に目を向けるのは食料確保やストレス解消のためだけではない。そこには、消費するだけの立場から解き放たれたい、という衝動がある。
 「米国の未来学者アルビン・トフラーさんが予言した、消費者が進んで生産者になる『生産消費者』という流れがいま来ている。両者の関係が深まれば農は生き返る。みなが多少なりとも関わることで多様な担い手を確保できる」と農林中金総合研究所の蔦谷栄一(つたやえいいち)特別理事は言う。

※カロリーベース。農水省の資料より 関わりは喜びを生む。「人に望まれる仕事をしていると知り、誇れる仕事だと初めて思った」。山形県遊佐(ゆざ)町の専業農家、今野修さん(40)は農家を嫌いエンジニアになったが、子育てのため23歳でUターンした。「泥にまみれる3Kなので、帰ったころは人前で農業をやってるって口にしたくなかった」が、買い手とつき合う中で仕事の意味を知った。
 遊佐町の米は「生活クラブ生協」が減反政策翌年の71年から買い取り、減農薬に取り組んできた。買い手が年間予約するため、農家は売れゆきを気にせず経営できる。さらに踏み込んだコミュニティー支援型農業(CSA)も広がりを見せる。買い手は作付け前に代金を払い、定期的に作物を受け取り、農作業や集荷を手伝う。
 神奈川県大和市の「なないろ畑」は2ヘクタールの遊休地で有機野菜を作り約70人の会員に提供している。里芋や大根の仕分けなど、一々手伝う手間を思えばスーパーで買う方が安そうだが、みな「お金じゃないんです」と言う。
 有機農業など食に敏感な日本人は、知識層、富裕層が中心だが、CSAの本場米国では貧しい人も支援型農業に深く関わる。米ニューヨーク市のマンハッタンにある「6丁目コミュニティーセンターCSA」は、子供たちのジャンクフードの食べ過ぎが問題になった96年に活動を始めた。旧ユダヤ教礼拝堂にあるセンターに週1度、会員が野菜を取りに集まる。貧しい人のため、料金は年収に応じ3段階に分けている。
 国土の広い米国では近場の農家を支える意味は大きい。輸送距離が短いほど鮮度も良く、燃料もかからない。「トラックの排ガスも抑えられ環境対策になる」と事務局長のハワード・ブランスタインさん(60)は言う。
 米国に支援型農業を広げたのも危機だった。「01年の同時多発テロの後、『自分の食は自分で』という意識が強まり、急速に広まった」とNTTデータ経営研究所の村瀬博昭さんは言う。
 買い手と作り手が互いをおもんぱかる。近い将来、そんな関係が強まれば、自由貿易、グローバル化の外圧に安易に潰されない「小さな世界」で個の人生を全うできる。農の世界に限らず、それが当たり前になった時、私たちは自由の味を知ることになる。

=つづく