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<災害情報・第9報>高橋徳治商店と重茂漁協に行ってきました 3月21日15:30

現地レポート:高橋徳治商店と重茂漁協に行ってきました

生活クラブ生協・岩手 専務理事 大木敏正

生活クラブ35万人の組合員の皆さん、役職員の皆さん。そして物流の根幹を支えていただいている太陽食品販売の皆さん。こんな困難な状況 下、消費材の提供に苦心されている生産者の皆さん。そして3月11日から寝ることも出来ずに連絡や調整に苦慮している連合会の皆さん。本当に被災地はあり がたく感謝しています。そして何よりも、直接の被害を受け、更にとんでもない原発問題にさらされている福島の皆さん。今こそ、生活クラブが一つにまとま り、この困難を打開し一日でも早く復興することを願って、岩手よりメッセージをお送りします。

数日間、消息がつかめなかった生産者たち

 3月11日(金)の14時過ぎ。激しい揺れを東北自動車道路の花巻あたりで感じ、車を路肩に止めました。目の前で高速道路が波打っている光景は本当に異様でした。直ちに高速を降り盛岡センターに引き返しました。
盛岡地域では14日(月)に停電が解消するまで唯一の情報源はラジオでした。その報道を通しても重茂半島の道路が通行止めであることは分かりました。そして津波を受けた石巻の高橋徳治商店とは一切の連絡が取れませんでした。
地震直後に、重茂漁協と高橋英雄さん(高橋徳治商店社長)にはショートメールを入れました。二日後の13日(日)にようやく届いた重茂の北田さんからの 返事は、「家も施設も流され、50人が行方不明」という短いもの、高橋さんからは何も返事はありません。16日(水)になって高橋さんの奥さんから「無 事」のショートメール。「いったいどこにいるのか?」―熊谷理事長はじめ生活クラブ岩手の組合員たちと可能性のある避難所をあれこれ推察していました。そ こで浮かんだのが以前名前を聞いたことのある「牧山神社」です。

17日(木)確証のないままに熊谷理事長と私は石巻の牧山神社に向かいました。また同時並行で、遊佐の共同開発米部会の川俣会長ら5人が物資を調達して石巻に向かう計画をキャッチし連絡を取り合いました。

高橋英雄さんらを探しにトラックで石巻へ

地図

 石巻には数回行った事があるので少しは土地勘があります。しかし牧山神社の正確な場所は分かりません。
 石巻港に抜けるトンネル2本を通過すると、その景色は想像以上に壮絶なものでした。道行く人に尋ねると牧山神社への道を聞くと教えてくれましたが、路上には家や車輌が乗り上げ、隙間をくぐって通行しなければなりませんでした。やがて自衛隊の大型車輌が道路を封鎖していて身動きが取れなくなりました。
 そこへ牧山への進入路を知っている地元の方と偶然出会い、わざわざ案内してくれて山の入り口にたどり着くことができました。そこからは急坂で小山の頂上に ある神社をめざしました。ところが当日は雪が降っていたので途中で車では登れなくなり立ち往生。そこから熊谷理事長が徒歩で神社まで辿り着き高橋社長さん らと再会を果たしました。救援に行ったつもりの私たちのトラックを現地の皆さんに“救出”してもらうというドタバタ劇を演じ申し訳ない気がしました。
 牧山神社とすぐ下のお寺の2ヶ所には約300人が避難しています。幸い井戸水や沢の水があり急場はしのいだそうです。さらに神社にはプロパンなどの燃料もあり、貯蔵してあった食料で食いつなぐことができたとのことでした。

高橋英雄さん(右)と川俣義昭さん

 後続の遊佐からの支援隊にはこうした情報や牧山神社への進入経路などを伝えました。重茂に向かった私たちとは入れ違いになりましたが、遊佐からの5人は17日の夕方に山形県酒田市を出発し深夜に宮城県古川で車中泊、翌早朝に石巻に入り牧山神社に到着しました。
 彼らは、私たちが依頼した緊急物資である毛布やストーブ、大人用のおむつや手動の携帯用充電器などの支援物資を届けてくれました。当然、米や野菜や平牧工房のレトルトカレーなどの食料品もです。その晩はカレーが提供され歓声が沸いたと後から聞きました。
 ところで消費材の生産について...石巻市内の海に近い所は水没してしまいました。70センチも地盤沈下したので満潮の時には海になってしまい ます。高橋社長の話では、2階建の社屋はかろうじて残ったものの、二つの工場のうち一つは流されもう一つも近寄ることができないそうです。まだ復興を云々 する段階ではないことを痛感しました。

支援物質を運びこむ開発米部会メンバー

重茂地区に食料を届ける

地図

 17日に重茂漁協の北田敦夫さんから「重茂への道路が開通した」という情報が入りました。岩手にもどり急きょ調達したトキワ養鶏の豚肉250キロや卵 300キロ、米、ストーブなどを満載して18日に、熊谷さんと私は再び重茂に向かいました。牧山神社と違い地理には精通しています。
海が望める場所で飛び込んできたのが宮古湾温泉「マース」の変わり果てた光景です。この「マース」の屋上に3日前まで10人ほどが取り残されていたとラジオは報じていました。つまり辺りは水没していたことになります。だから早い復旧です。
 重茂漁協の事務所に着くと、漁協の建物は小高い場所にあるため大きな被害は受けていませんでした。伊藤組合長・高坂参事ほか漁協職員の大勢の元気な姿を見 ることができました。2トントラック満載の物資は、わずか30分で5台の軽トラックに乗せられ、重茂半島の5ヶ所の集落に運ばれました。

 そこで各戸に配分する仕組みが既に出来上がっていました。組合長、参事との会談で、重茂は「戸」単位での配分。それが2人世帯だろうが10人世帯だろう が、とりあえずは「戸」単位の配分、という仕組みが当面の体制です。重茂半島の住民は500戸ほど。ほとんどは漁師の家であり漁協はこの地区では行政的な 役割を担っています。
 この一週間重茂は備蓄の米と一年分貯蔵していた“鮭”で食いつないできたそうです。停電のため冷凍した鮭は溶け始め屋外に吊るしています。私たちの到着は 米と鮭だけの食事でさすがに飽きてきた時期でした。昨日の北田さんからの携帯メールでは「いただいた豚肉と卵とりんごは皆から大歓迎され」たそうです。

重茂漁協の被害状況―「肉厚わかめ」は、加工場、貯蔵場とも破壊から免れた

漁協の方々からは悲しい事実が聞かされました。500戸のうち88戸は津波に流され破壊されました。その中には高坂参事と北田さんや漁協職員数名のご自宅も含まれます。高坂さん、北田さんは漁協の事務所に寝泊りしているそうです。ご家族がご無事だったことは不幸中の幸いだったと言えます。

重茂漁協・北田敦夫さん

 また、私たちの「肉厚わかめ」の加工施設と貯蔵庫は破壊から免れていたことがわかりました。しかし、橋が流され輸送ルートが絶たれています。
 太平洋に設置した養殖施設は、津波で壊滅。施設や網を整備するのには2~3年はかかるだろうということです。しばらくのあいだ「肉厚わかめ」は届かないことになりそうです。港も破壊されたので船もないし、港もないので何もできません。海にいながら魚もとれずに何も出来ないのが現状です。

被災者の方々がおたがい助け合える構造をめざして

 19日から20日の週末にかけて二度目の支援物資を届けました。石巻・重茂にそれぞれトラック2台分の物資を積んで。『生活と自治』の山田編集長とカメラマンも同行しています。牧山と重茂の方たちはこれで当座はしのげるはずです。
 35万人組合員の皆さん。「自分が出来ることを何かしたい」と誰しもが思っておられることでしょう。皆さんも重茂を心配し、高橋徳治商店を心配し、そして被害にあわれた八戸から福島までの沿岸の人たちを心配していると思います。
 被災地の最先端にいる私たち生活クラブ岩手が先導隊となって、私たちの仲間がいる牧山と重茂の方々にはなんとか物資を届けることができました。しかしその 周りには「今」の食料すら手に入らない人たちも大勢います。体育館に2000人も詰め込まれ、コンクリートに板張の床の上で毛布2枚でしのいでいる人たち の様子が連日テレビから流れていますね。私たちもそうした地域には行き着けていません。既に全国から支援物資は行政を通じて山のように届いていると聞いて います。ただ、一部には届かず、ひもじい思いをしている人たちもいます。自衛隊の動きも“ちぐはぐ”な感じがしました。いらない「支援」も上からの命令で「押し付ける」し、縦の命令系統だけで事態が改善するとはどうしても思えません。
 こうした状況のなかで私が感じるのは、被害の全体を目の前に私たちは微力だけれども、その力で一部の人に対してでも当座の食料や暖の確保に協力し、「次」 に目が向けられる人たちを現地に作り出すことが大切なのではないかということ。私たちよそ者が体育館に支援物資を直接届けるよりも、送られた物資を地元の 人たちがお互い融通できる構造を広めたいと考えます。そういう助け合う構造が地元に作れたら復興は早まります。今はそこまで考えられないのが心に傷を負っ た現地の被災者の皆さんなのですが...

私たちにできること

 今回の大災害で生活クラブが出来ること。それは組合員が直接の被害を受けた生活クラブ福島への支援です。地震や津波ばかりか原発問題にまで翻弄され、それ への対応を想像したとき、盛岡でこれを書いている暇は本当はありません。これを最優先で支援することです。ただ、原発、放射能という危険が目の前にあるの で、どのように支援できるか苦慮します。
 牧山神社の「避難村」には今日も大勢が安否確認に来ています。それへの対応でリーダーの高橋さんたちは走り回っています。これが一段落したら、そしてガソリンさえ手に入ったら、少しは次に向けて考えられる、と昨日は話していました。
 地震と津波から一週間が経ちました。「少しだけ贅沢な要望」と前置きして歯ブラシの提供を求められました。昨日60本だけ持っていきました。盛岡や一関で も歯ブラシは店頭から姿を消しているのです。牧山神社に「食料や日用品に困っている人は言ってください」という張り紙を出して、歯ブラシが手渡されたら、 その人はどんなに喜ぶか。こんな一つ一つの積み重ねで、小さな困っていることを少しでも解決してやれる。今はこれが重要だと感じます。
 高橋さんは「石巻市内は無法地帯になりつつある」と嘆いています。流された家に押し入り金品を盗む事が始まっているようです。高橋社長の友人で同じ牧山に避難している方の流された家も荒らされたそうです。こんな悲しい現実もあります。
 まずは瓦礫を撤去すること。そうすると遺体も発見できます。辛いことですが、そうやって心の区切りを付けながら復興の第一歩が踏み出せます。牧山の人たち はそこまで回復しました。「石巻市の行政が機能できないから自分たちがやるしかない。そのための長靴とゴム手袋を送ってもらえないか」と要望されました。 少ない量なので岩手で手配しています。
 皆さんにお願いすること―いまは毅然と冷静に行動してください。これがいちばん重要だと感じます。生活クラブ連合会は共同購入を続ける手配だけで目一杯なはず。そこに支援の手配です。さらに本日からは放射能汚染牛乳やほうれん草問題です。組合員からの問い合わせが直接連合会に来ていると昨夜聞きました。これが激しくなると連合会の機能すら崩壊してしまいます。組合員の皆さんに切にお願いするのは、所属する単協の判断を尊重し、連合会を信頼する事です。毎日、被災地に物資を補給する私たちが切に願い恐れる事は機能マヒです。
 お願いです。連合会に直接電話を入れる事は謹んでください。放射能の恐れは理解しますが、私たちでは手も足も出ません。それは政府が行う事です。食料が店頭から消え、物資やガソリンが街から消えたいま、組合員に消費材が届く事が第一です。それが機能するから支援物資の調達なども行えるのです。
 いまこそ35万人の力を集め、整然と有効な支援の体制を作りましょう。

 

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