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<災害対策・第42報>「あれから1カ月」 震災直後の生活クラブ事務局の活動 その3

生産者と組合員の間をつなぐ太陽食販の大型トラック 3月11日金曜日の午後2時46分。あれから早くも1カ月以上が経ちました。地震発生直後から生活クラブ連合会は緊急対策本部を設置して対策・対応を行ってきましたが、配達センターやデポー、消費材をセンターに届ける大型車での物流など、さまざまな現場でも一人ひとりの職員などが活動を行ってきました。
組合員と生産者とのつながりのなかで、生活クラブ事務局がどのような取組みを行ってきたのかを3回に分けてご報告します。
3回目は生活クラブの関連会社である太陽食品販売(株)(太陽食販)の取組みです。
「計画停電」があっても組合員のみなさんに消費材を届けようと奮闘する飯能デリバリー・センター(飯能DC)の取組みは、これまでに報告させていただきました(3月29日第16報)。組合員と生産者をつなぐ消費材物流のいわば“心臓部”といえる 飯能DCですが、“大動脈”の役割を担っているのが太陽食販です。

生活クラブの関連会社である太陽食販は、北海道から九州まで約50の提携生産者から消費材を飯能DCに運ぶとともに、飯能DCで組合員の申込みごとに仕分けされた消費材を生活クラブの各センターまで届ける業務をしています。また、消費材を適正な温度で運ぶため、冷蔵・冷凍、常温など温度管理できる50台の大型トラックが、日夜、走行しています。
 東日本大震災が3月11日(金)に起こった影響で、東北自動車道や常磐自動車道が通行止めになりました。しかし、月曜日に組合員配達する分の消費材を各センターへ運ぶため、日曜日には飯能DCを出発しなければなりません。配達地のなかには当然、岩手や青森、福島のセンターがあります。
 日曜日に東北方面の配送を担った太陽食販・飯能DC事業所の長谷川正昭さんはこう話します。
太陽食販・飯能DC事業所の長谷川正昭さん「私は生活クラブ岩手と青森の計3センターに届ける予定でした。ところが、東北道が使えないので急きょ山形県酒田市で岩手単協の2センター分を別の車両に積み替え、その後、青森センターに行くことになりました。飯能DCを出発したのが夕方の5時、酒田に着いたのが午前1時でした。それから日本海側の一般道を走って青森に到着したのは午前7時前で、なんとかセンターの組合員配達に間に合わせることができました」
 じつは太陽食販本社は当初、日曜日の運行を断念することを検討していました。植元富弘総務部長は次のように明かします。
「地震発生後から東北方面は給油できないとの情報が入っていました。飯能から青森までの往復には約1500kmかかりますが、トラックの燃料は満タンにしても1200km分しか入りません。帰ってこられない懸念があったのです。それでも、被災のあった地方の組合員だからこそ届ける必要があると判断し、途中でこまめに給油するように仲村業務部長に連絡をし、配送に出すことにしました」
 長谷川さんは新潟など日本海側のスタンドで何度か燃料を補給しましたが、「大型トラックが入れるスタンドには限りがあります。場所によっては給油待ちの車が1km以上並んでいるところもありました」と振り返ります。
 日曜日は一般道を走らざるを得なかった配送車ですが、長谷川さんのトラックが飯能DCを出発したちょうどその頃、飯能DCの職員が携帯テレビのニュースである情報を知りました。それは生活物資を運ぶ車両に高速道を走行できる「緊急通行車両確認標章」を警察が発行するとの発表で、知らせを受けた太陽食販では月曜日に警察で手続きをして標章を受け取りました。
 このように高速道が使えるようになったことで、東北方面の各単協のセンターへの配送は改善していきました。
また、太陽食販では福島単協に救援物資や消費材以外の“支援”を行いました。福島単協では被災した組合員のいる相馬市や新地町に向かいたくても、燃料がなくて窮していたのです。そこで、太陽食販の大型トラックが燃料を分けることで15日(火)に現地に入ることが可能になりました。(3月17日第4報
 「計画停電」により飯能DCが影響を受けているため、太陽食販のトラックが出発する時間にも遅れが出ています。
 しかし、植元総務部長はこう話します。
 「私たち太陽食販の職員は消費材がもつ意味をよく理解しています。ですからこんな時こそ消費材を必要とする組合員のもとへ届けることに、重要な価値があると思うのです」
 消費材をつくる生産者、利用する組合員、そして運ぶ職員など、生活クラブには多くの人たちのつながりがあります。


 

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