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<災害対策・第59報>職員有志でボランティアに行ってきました

 2011年4月30日~5月6日、比較的長期の休みを取りやすいゴールデンウイークを利用し、7名の生活クラブ職員(連合会・単協)有志で被災地の復興作業を行ってきました。作業内容は、(1)(株)高橋徳治商店の工場で3日間のヘドロかき、(2)重茂漁協管内の重茂川のがれき除去で1日、(3)生活クラブ岩手・水沢センターでの機械の洗浄(高橋徳治商店の機械類)で1日です。

 

 メンバーの一人、三木祥子職員(生活クラブ連合会事業部)が報告します。

 


(株)高橋徳治商店での「ヘドロかき」

 (株)高橋徳治商店は2つの工場を持っています。石巻港に面した工業団地の中にあった「第二工場」 と、旧北上川を河口からわずかに遡ったところにある「第一工場」です。「第二工場」は大津波によって全損。私たちが向かったのは本社事務所のある「第一工場」です。こちらは建物は辛うじて残りまインフラ復旧も未だの工場周辺地域したが、津波は事務所のあった2階をも呑み込み、工場はまったく生産ができない状態になりました。

 私たちが訪れた5月1日時点でも、周辺一帯の地域では水道・ガス・電気の復旧めどが立っておらず、道路の信号機も使えないため警察官が交通整理を行っていました。

工場内での泥かき作業 私たちがお手伝いしたのは「ヘドロのかきだし」作業。工場内は津波で運ばれたヘドロと重油、食品原料が混ざったものが床にたまり、腐ってカビが生えている状態。これをスコップを使って運び出す作業です。

 ヘドロは重たく粘着性があるため桶やスコップに付くと大変取れにくかったです。だんだんと重くなるスコップなどの道具と身体。製造ラインには配管が多く、動かせない機械の下のヘドロ除去は屈んだ状態で行わなければならないため、負担が腰に来ました。また工場内は照明がつかないため真っ暗で、一部発電機による光はあるものの、基本はヘッドライトのわずかな明かりを頼りに行う作業に、目が慣れるまでには時間がかかりました。

 また、ヘドロには破傷風菌などの病原菌があるため、マスクやゴーグル、カッパなどで飛び散っても大丈夫なように体を覆わなければなりません。私自身は事前に聞かされていた原料の腐敗臭にはそれほど堪えませんでしたが、この格好で長時間行う作業は正直体力を消耗しました。気温がもっと高かったら最後までやりとげられただろうか、とも思いました。手袋は肘まであるものが重宝しました。一度着いたヘドロはなかなか取れない為、作業前にきれいだった合羽もみるみる間に黒く汚れていきます。特に重油が多く混じったヘドロの付着力は強力でなかなか取れませんでした。地盤沈下のため満潮時には路面に海水が溢れる

 さらに断水している為、きれいな水は貴重です。作業終了後に自分についたヘドロを落とすのは、汲み置きの水ではなく、満潮時に川やマンホールから逆流してくる海水を使います。午前中は道だったところも午後になると次第にヒザ下くらいまで水位が上がってきます。地震による地殻変動でこのあたりの地盤が数メートル沈下してしまったのです。「生産の復興」といっても一生産者の努力を超えた多難な前途であることを実感しました。

 震災後、高橋英雄社長は7kgも痩せてしまいました。「最初は助けてもらうのも正直プレッシャーに感じた。あの頃は、進むかやめるか判断ができない時期で、毎日疲れ果てていた。でも少しずつ片付いていくヘドロをみて前に進む気持ちになれた」そうです。私たちの短期間のお手伝いでもこれほど大変なのに、震災以来ずっとこの現場で闘ってこられたことはさぞかしお辛かっただろうと思いました。

高橋社長(前列右から2人目)を囲む参加メンバー (株)高橋徳治商店は生産活動が不可能となったため、失業保険を手に入れられるよう従業員全員を「解雇」しています。ですからこの工場での悪戦苦闘はほとんど高橋社長ご本人の肩にかかっているわけです。避難所生活が続く中での会社再建は本当に大変なことですが、仮設事務所の建設準備など一歩ずつ再建に向けて進んでいます。

 「何としても、この石巻を復興させる、自分たちだけでなく地域とともにもとの生活を取り戻したい」―私たちにそう語ってくださいました。

 


重茂川のガレキ撤去

 盛岡から重茂につながる山道から海岸線に差しかかると、景色ががらりと変わり「被災地」が姿を現わしました。瓦礫の荒野が津波の威力がいかに大きかったかを教えてくれました。

 重茂は宮古湾から太平洋に突き出た半島地域で、半島は豊かな森に包まれた小高い山や丘が連なっていま海岸付近から津波で運ばれてきたと思われるトタン板す。森の中には鮭の上る重茂川が流れています。私たちの第二の現場はこの重茂川。津波で押し流された様々なものが、海岸線からかなり遡った森の中の河床や岸に打ち上げられていて、津波がいかに凄まじいものだったかが偲ばれます。重茂川が澄んでいるから余計に目立つ、本来はない「異物・遺物」の群。「石けん運動」の盛んな重茂のこの川の美しさを知っている方には、さぞかし見るに耐えられない光景だろうと感じました。

 川の中に沈んでいるものは家屋のトタン板から道路標識などさまざま。川から掘り起こして少しずつ撤去していく。かなりな重量物であってもロープを使ってみんなで引っ張れば大きなものでも引き上げることができました。いっぽう山上に集められてたガレキも重機で運び出すなど、壊滅的な打撃の痕も日に重いものは何人かでロープに括り付けて引き上げました日に片付いていっているようでした。

 作業中に漁協の高坂参事から「養殖施設を撤去している。そこに昆布がついているから持ち帰って食べてくれ」と連絡があり、重茂川を後に重茂漁協種苗場に向かいました。施設前の湾では、津波で流された養殖網を回収する作業が行われていました。

 そこで作業していたのは漁協組合員10人あまりの方々。突然の来訪者に皆さん最初は怪訝な表情でしたが、横目でチラッと生活クラブ岩手のトラックの「Sマーク」を見ると、おもむろに養殖網から昆布のメカブを切り取ってくれ「これは食えるから・・・」。そんな話をしてい津波で流された養殖施設を片づける重茂の生産者たら1人の漁師さんが「今から船でワカメを取ってくる」と2人ぐらいを連れて海へ出て行かれました。「帰りの時間も決まっているのでそこまでしていただかなくても」とお断りしたのですが、「30分で戻るから帰るな!!」と。


 その場所で所在無げに待っていると、別の3人の漁師さんたちが袋を肩にかついで近寄って来られました。袋の中には今年採れた新物のワカメの塩蔵品。茎を取れば立派な「肉厚ワカメ」になるんだそうです。今年の3月初めに採れたワカメで、奇跡的に流されなかった貴重なワカメ。これを無造作に差し出して「持って行って食え!」と勧めてくれました。おそらく、私たちが生活クラブの人間だとわかって、すぐさまこれを取りに行ってくれたのです。丁寧にお礼を言っていただきました。
 

 私たちのために沖まで船を出し貴重なわかめを採ってきてくれました。そしてきっかり30分後、沖に向かっていた方々の船がボートレースのごとく高速で帰ってきました。船上には4人の姿と立派な昆布とワカメがどっさり。
 

 「ほれ、袋さ持ってこ・・・」。
 

 詰めるは詰めるは、大きなゴミ袋10袋ほどに昆布とワカメが満杯に。津波にも流されずに生き残ったたくましい昆布とワカメ。先ほどの3人の漁師さんと同じように、私たちが生活クラブの人間だとわかってしていただいた好意でしたが、さすがにこんなに大量の“お土産”、さすがに全部は持ち帰れません。一人の漁師が「余ったのは海にほうるしかないのに・・・」とボツりと。ボイル加工のための釜が津波に流されたので、生の昆布やワカメはそのままでは保存できず海に捨てるしかないのです。ウニやあわびの餌として。
 

 丁寧にお礼を言い帰る時に漁師さんが一言。「こんな事しか俺らはあんたらへの《支援》ができない...」と。支援は私たちの側が生産者の方々にするものとばかり思っていたので、この言葉はとても意外でした。私たちが訪ねる前に、すでに一カ月以上、生活クラブ岩手の組合員・職員の方々や全国の生活クラブから交代で向かった職員によって続けられてきた物資提供などの支援活動。重茂の皆さんはそれらをしっかりと受け止めてくださっており、支援←→感謝という関係を超えた「絆」と呼べるような関係が生まれている実感。感動しました。あの漁師さんの表情はとても明るかったです。
 「来年の4月にはワカメを出荷してください」と言ったら、「当たり前だろう、たっぷりと採るから・・・」と応えてくださいました。 


生活クラブ岩手・水沢センターを訪ねて

 今回の被災した三陸の生産者たちへの支援で、とても重要な役割を果たしてきたのが「生活クラブ岩手」の方々です。震災直後から状況把握のためにいち早く現地入りして安否確認から支援物資の手配まで奔走された大木専務をはじめ、その呼びかけに応えて連日のようにさまざまな形で支援活動を続けてこられた、熊谷理事長をはじめとする2000人の組合員の皆さんには、本当に本当に頭が下がりました。私たちを含めてこの間遠方から支援活動にやってきた職員の宿泊・食事なども、すべてこれらの組合員の力によって実現してきたのです。

石巻工場でトラックに機会を積み込む高橋社長 本部のある水沢センターでは組合員によって大事な活動が行われていました。それは(株)高橋徳治商店から運ばれてきた機械類をきれいに洗浄する仕事です。先に報告したように石巻の工場は海水とヘドロに浸かってしまい、未だ使える機械類もそのままにしておけば、錆などで使い物になくなってしまいます。

 会社の復興までの道筋はまだまだ見えませんが、必ずややってくる生産再開の日にこれらの機械が再び使えるようにと、水浸しの石巻工場からはるばる水沢センターまでトラックで運んで来たのです。ヘドロや油を落とすために多くの組合員がボランティアで集まり、生活クラブらしくここでも「石けん」を使った機械掃除に携わってきたのでした。

 

機械の分解・清掃中の水沢センターの組合員 そんな水沢センターに立ち寄った私たちも、組合員と一緒に機械の分解・洗浄作業を行いました。センターは食品を運ぶところ。ヘドロの匂いが倉庫に充満させてはいけないので、注意深く丹念に作業しました。練り物機械に詳しいメンバーの一人、沼尾さんからは、「ここの部品は製品の厚みを調整するところで、ここは原料の片抜き…」などと聞きながら、消費材を作っているところを想像しました。また「おおぜいの自主監査」に行ったことのある組合員からは、「工場は製造と同じぐらいの時間をかけて毎日分解・洗浄していました」とのお話も聞けました。
 水沢センターでは述べ25台以上の機械を洗浄しているので、側溝にその残骸ヘドロが溜まっていました。私たちはこの溝も掃除することにしました。私などはこまごました機械の部品掃除より、ゴシゴシ体を動かす作業が性に合っているなあと感じました。

 帰り際に理事のお一人からは、「機械洗浄にもめどがつきました。これから自分たちの本来の活動=組織拡大に集中できます。4月はいつもの年ならば拡大のかなめの時期だが、今年はそうは行きませんでした。高徳さんが戻ってきても、食べる組合員がいなければね!」。
 支援に行った私たちがかえってエネルギーをもらえたような7日間の活動。この有意義な時間を経験できて、被災された生産者や岩手の組合員のみなさんと息永くつながっていこうと心に誓いました。

以上

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