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希望の甘夏~新たな時代へ~ 生産者グループきばる ■提携先  ■提携品目 

文/元木知子  撮影/大串祥子  生活と自治2017年2月号掲載

糖度の高い柑橘類に人気が集まる中、甘みだけでなく、さわやかな酸味とほろ苦さもある「甘夏みかん」。
この味を引き継ぎたいと次世代の担い手が登場している。 

 
 

1割にこめる本質

「生産者グループきばる」(きばる)は、熊本県南端の水俣市、芦北町、海を隔てた対岸の御所浦島で、低農薬、有機栽培の甘夏みかんを生産する。夏みかんよりも酸味が抜けるのが早い甘夏みかんが、熊本県の奨励品種として急速に広まったのは1950年代。56年には水俣病の最初の患者が公式に確認された。化学工業会社新日本窒素肥料(現・チッソ)の工場排水が水俣湾に垂れ流され、排水に含まれるメチル水銀に汚染された魚介類を多量に食べた人が発症する中毒性の中枢神経系疾患で、被害者はその後も増え続けた。漁業ができなくなった漁師やその家族は生きていくため甘夏みかんの栽培を始めた。当時は病気の原因や企業の責任も明らかにされず、補償もない中、出稼ぎに行っては苗木を買い果樹園を切り開いていった。


*写真:色づきはじめの甘夏みかん
 

70年代になると、困窮する患者やその家族を支援する人々も現われた。きばるの事務局を担う高倉史朗さんもその一人だ。甘夏みかんの販路拡大は支援の一環だった。
当初は農協指導のもとで栽培が行われていたが、水俣病で体がきつい上に農薬の大量使用で体調を崩す人も多かった。「有害化学物質の被害を受けた人が農薬を使ったものを消費者に届けていいのか」と疑問を抱いていたがなかなか実践に踏み出せないでいた。「果たしてそれで売りものになるのか、買う人がどれだけいるのかという生産者の不安に応えてくれたのが生活クラブでした」と高倉さんは振り返る。生活クラブとの話し合いによって低農薬栽培への第一歩が踏み出された。それまでは、支援といえばカンパなどが中心だったが、低農薬栽培の甘夏みかん購入で生産者を支えるという選択肢が増え、水俣の状況を知る人は急増したという。

*写真:高倉史朗さん

きばるの現会長、緒方茂実さんは網元だった祖父を水俣病で亡くした。38歳で急死した父に代わって10代で弟と共に漁に出たが、経験不足や弟の交通事故で漁を諦め甘夏みかん栽培の道を選び、弟も別の人生を歩むことになった。
「彼らは多くを語りませんが、語り継ぐべき本質がここにあります」と高倉さん。ある日突然、当たり前の暮らしを奪われた人々が、絶望せず、再生してきた事実だ。だが一方で、60年たった今、風化が進むのはやむをえない面もあると考える。「今も水俣病認定裁判は続いていますが県外では報道はされません。私たちは、今や水俣病を知らない人のほうが多いと知らなければならない。被害者の応援のために甘夏を食べてください、ではなく、きばるの甘夏のおいしさを糸口として水俣に関心を寄せてください、なのです」消費者との交流会では「甘夏9割、水俣1割」で語るのだと高倉さんが優しく笑った。

89年には、農薬散布回数の基準を超えるものが混入する重大事故を起こしてしまったが、それを機にこれまでの生産団体を解散、あらためてそのあり方を話し合い、きばるとして再出発した。以後は順調な生産が続いていたが、3年前から事情が変わった。予想した収量が上がらず、昨年は生活クラブからの注文量に応えられず欠品を出してしまった。原因は、生産者の高齢化と気候変動だ。現在27人いる、きばるの生産者も多くが70代になった。今までの栽培方法を再検討し、新しくチャレンジするには時間と体力が限られる。厳しい現実に直面する中、少数だが次世代の生産者が登場してきた。

*写真:50年におよぶ水俣病支援運動の歴史がここにある

離れてはじめて出会った水俣

「おーい。鼓子(つづみこ)~!」高倉史朗さんに代わり現在きばるの事務局を担う長男、草児さんの声に応え、水俣湾を望む果樹園から小柄な若い女性が顔を出した。首にはカラフルな手ぬぐい。久留米絣(かすり)のもんぺ姿がキュートな「農ガール」は、きばるの最年少生産者で草児さんの妹、高倉鼓子さんだ。甘夏みかん作りに取り組んで1年になる。
大学進学、就職と地元を遠く離れて暮らし、はじめて水俣や甘夏みかんについて本当のことは何も知らない自分に気づいた。鼓子さんより一足先に都心からUターンした草児さんも同じ思いだという。

鼓子さんの農業の先生は、父親と同年代、きばるの先輩生産者である高橋昇さんだ。「あまり言うことを聞かないので、びっくりされています」と笑う。無農薬、無施肥栽培を目指す鼓子さんには自分なりに試してみたいことも多いが収穫の責任も考えなければならない。そこで師匠の許可を得て飛び地の園を借り実験することにした。「樹齢が高くなった木を切り、新しい苗木に植え替えて、無農薬・無肥料栽培をゼロから試したいんです」と鼓子さん。無施肥の甘夏みかんは、角が取れ、ふんわり優しい味がするという。自然に近いシンプルな作り方なら、若者が取り組みやすく、高齢の生産者にも負担が少ないのではないかというのが鼓子さんの考えだ。枝葉の落とし方、摘果の仕方など、肥料以外のどの要因でおいしい甘夏みかんが作れるか、鼓子さんが実験し、結果を草児さんが蓄積、検証する。新たな可能性を探る二人の試みだ。

海、山に囲まれた水俣の豊かさを伝えたくて生産者になった鼓子さん。甘いだけでない、酸っぱさも苦みもある甘夏みかんに、人生や社会を重ね、その味わいを消費者に届けたいと語る。「甘夏みかんは、私たちのふるさと水俣からの年に一度の便りです。だから、私が消費地のみなさんに話す機会があるなら、甘夏、水俣、半々で!」鼓子さんは今、水俣と出会い直し、新たに得たものも一緒に多くの人に伝えたいと考えている。


*写真:「事務局主導ではなく、生産者どうしの話し合いて課題を乗り越えるきばるをめざしたい」と話す高倉草児さん
 

*写真:木の状態を観察し今、何か必要かを考える。鼓子さんの愛車。荷台には、友人からのプレゼント、「鼓子」名入りのかごが乗る

信頼をすり減らさない

年間平均気温16.5度を上回る水俣は、樹上で越冬する甘夏みかんの適地とされてきた。しかし昨年1月の記録的な寒波ではマイナス7度という低温が続き、収穫量が激減した。気候変動に加え、木そのものにダメージを与える害虫も発生し、植え替えを検討する時期だという。70代の生産者には厳しい決断だが、次世代の担い手たちはこれを積極的に試みる。

その代表格、田上康成さんは、35歳で甘夏みかん栽培を始めた元ビジネスマン。クロード・モネの絵画をヒントに、木の前面を見、その裏側を想像して素早く剪定(せんてい)する方法を考案したというユニークなセンスの持ち主で、定説にとらわれず、枝をどんどん伸ばし多くの葉を付けて森のようにすれば、たくさんの良い実がつくのではないかと模索中だ。「いろいろな方法や可能性を考え、できる努力はいくらでもする。うまくいけばみんなで共有してより良いものをつくっていきたい。パラダイムシフトが必要です」と熱く語る。

事務局を担う草児さんは、長年栽培してきた人の経験や知恵も、新しい方法を試す人のアイデアも取り入れ、みんなの「経験知」を「集合知」にしていきたいという。
「どんな人間でもときに間違うことを僕らは水俣の歴史から学びました。課題があればまず生産者同士で話し合い、生活クラブとの連携の中で解決を模索します。信頼をすり減らさぬよう、注ぎ足していく努力が大切だと思っています」

生活クラブとの提携40年を迎える今、水俣では次世代による新たな歩みが始まろうとしている。

*写真左:病気の義父に代わって甘夏みかん作りを始めた植田真由美さんも次世代生産者の一人。小中高と3人の男の子の子育て中だ
*写真右上:「勢いのある木をつくりたい」と力説する田上康成さん。「スタジオジブリ」製作の映画「となりのトトロ」で描かれたような、ぐんぐん伸びていく木をイメージしているという


◆「あまなつ」甘口・辛口

*酸味がほどよい甘夏サラダ。料理にも幅広く使えるのが甘夏みかんの強み

文/元木知子

 一般に、ユズやカボスの果肉を食べたり、温州みかんの果汁を焼き魚に搾ったりはしない。その点、甘夏みかんの利用範囲は広い。生食はもちろん、果肉を酢飯にまぜたり魚貝のサラダに使ったり、甘味と酸味の絶妙なバランスを生かしてさまざまに活用できる。酸味が強いときは実を新聞紙でくるみ、へたを下にして冷暗所で保管すれば追熟して甘さが増す。皮はビールにして「お茶請け」に。だがこれは手がかかるので知人からおすそ分けをいただき、私はもっぱらぐいぐい果汁を搾り、アルコール類を注いでいただいている。余った皮に申し訳ない気持ちでいたけれど、天日干しにして入浴剤代わりに使う方法を知り、ほっとした。
 さて、ほどけた心で水俣の海を思い出す。「生産者グループきばる」の最年少生産者、高倉鼓子さんがどうしても見てほしいといった場所。一つは水俣湾を埋め立てた広大な公園。案内板によれば「湾内で特に水銀濃度の高い部分を護岸で囲み、その中に水銀を含んだヘドロをくみ上げ、合成繊維製のシートをしき、きれいな土砂をかぶせ」てヘドロを封じ込めたという。約785億円の費用と14年の歳月をかけて工事は1990年に終了、97年7月、熊本県知事により安全宣言がされた。

 もう一つは「八播残渣(さ)プール。水俣川河口左岸に位置する巨大な産業廃菓物最終処分場だ。40年代、新日本窒素肥料(現・チッソ)はすでに海面に石堤を築き水俣工場から排出される力ーバイド残さを埋め立てていた。水俣病が公式認定され水俣湾周辺に発症する人が増えると、工場排水の経路を水俣湾につながる「百間排水口」からこのプールに変更し対策としたが、それにより八代海方面にも排水が流れ沿岸に患者が発生、皮肉にもこれが排水との因果関係を決定的なものにしたという。
 地元での昼食時、高倉さんきょうだいは周辺を気遣いながら水俣病について話した。高度成長期、経済効率優先の末に起こった事件は、60年以上たった今も、人と人、人と自然の間に影を落としている。それでも二人はさまざまな立場の人と積極的に話していきたいと願う。分断や排除からは何も生まれないからだ。一緒に何かを行うことを、船をつなぎとめる綱にたとえ「もやい」という。お互いを知り、違いを認めあう「もやいづくり」のバトンは今、この世代の手中にある。

*写真:水俣湾の向かい側に続く「八幡残渣プール」。建造物は今も残るが、最終処分場としては使われていない

 

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