生産者リレーエッセイ

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vol.5

榎本 恵子さん提携先みついし昆布(株)

提携品目 Sマークみついし昆布

漁師さん、加工する私達、そして食べる組合員の皆さんのそれぞれの「ひと手間」が“うまみ”を作り出してくれます。

榎本 恵子さん


 
 

みついし昆布

北海道・太平洋沿岸日高地方の三石からえりも岬までの約80kmの海岸線で採っている日高昆布(学名:みついし昆布)を、生活クラブの消費材として供給しています。
生活クラブは、消費材を組合員と生産者が一緒に作り育てています。だから、組合員にとっては、自分のものです。自分のものは、大事に大切にします。私の作っている「Sマークみついし昆布」は、天然生育で、100%天日干しです。上品ないいダシが出て、肉厚で繊維が柔らかく、食べておいしいのが特徴です。その中でも品質がよく、安定した量の確保ができる中の上クラスに限定して買い付け、使いやすく25cmの長さに裁断しています。昆布は自然が相手のきびしい宿命を持ちながら、毎年毎年、生きてくれています。昆布にありがとうの気持ちです。漁師さんのひと手間、私達、加工屋のひと手間、そして、食べる組合員の皆さんのひと手間。それぞれのひと手間が“うまみ”を作り出してくれます。ひと手間が、私達人間ができる天然ものへの感謝の気持ちと思います。
生活クラブとの提携のきっかけは、1978年、北海道上士幌町の議員をされていた長屋芳郎さん(上士幌農協と生活クラブの提携に協力された方で、弊社前社長で父の磯貝軍冶と高校の同期生)からの紹介で始まりました。当時、父は昆布採りと昆布加工をしていましたが、色が悪くなって店頭に並ぶ昆布や、やたらと高値がついていることに反発し、直接販売や口コミで広がった全国からの個人注文を受け、発送することを行っていました。
生活クラブは北海道との提携関係を進展させるため、長屋さんに「北海道で扱える物があったら紹介してほしい」とお願いしていたようで、たまたま、1978年の高校の同期会の時、父が大声で「私はみついし昆布をやっています」と自己紹介したのを長屋さんが聞いて、父に「生活クラブに昆布を出してみないか」と持ちかけたそうです。父の心中は今では分かりませんが、この時、父の考え方と生活クラブの方向性が同じ向きだった!!のだ……と私は想像しています。 この頃は会社とは名ばかりで、何のシステムもなく、ただただ、良い品を作って届けて、喜んでもらいたいだけの商売でしたから、それはそれは、多くのご指導をいただいたそうです。しかし、「昆布は間違いなく送られてくるが、作っている人には、なかなか会えない。生活クラブの七不思議の一つだった」と、後で生活クラブの人たちから聞かされました。父は、東京の生活クラブを訪れることはなかったようです。ただ、消費材としてのみついし昆布は健在でした。
そんな父が1989年に亡くなりましたが、1990年、母を中心に義妹と私で父の跡を継ぎました。従業員も女性ばかり、全員女性の「昆布屋」の誕生です。そして私は、生活クラブのすごさを体感、実感していくのです。それから、数えるともう19年ですが、私の中ではまだ数年の感覚です。とにかく、別世界、別社会の事々が現実として動いている、なぜ消費者がここまで行動を起こすのか、というのが第一印象でした。それからの私はどんどん生活クラブにのめり込んでいきました。「ここからが私の人生の始まり」と言いたいほどです。

みついし昆布は100%天日干し


たくさんの体感と実感と感動と感激、共通点を持っている、つながっているおおぜいの人達に出会えました。(出会えているという進行形ですが)とにかく人との出会い、それは組合員さんの皆さんであり、役職員の皆さんであり、生産者の皆さんであり、そして、みんなみんな、深い信頼関係をもってつなげていく、つながってゆく……。そこが生活クラブのすごさです。もちろん、生活クラブの仕組のすごさを感じ、行動力を実感し、いつも後からヨチヨチとついて行く私には、立ち止まる暇なんてありません。


未来に残したいものは、姿・形だけでなく、ひとりひとりの心のあり方も……。生活クラブから学んだ“豊かさ”の実現に、心、こころ、ココロが大切です。どの心も愛の中に育つのではないでしょうか。生活クラブの運動が、行動が、人の心を元気にします。これからも皆さんと一緒に“豊かさ”のエネルギーを発信してゆきたいと燃えています。


【次回生産者】

Sマーク真あじ開きの生産者、(有)奥和の奥村太郎さんの予定です。お楽しみに。

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