わたしが「種苗法改正」に反対する理由
東京大学大学院農学生命研究科教授 鈴木宣弘さん
コメに大豆、小麦などの主要穀物の種子開発は私たちの「いのち」と暮らしの源を守ることであり、それこそが国家の重要な義務であると定めた種子法が2018年4月に廃止された。この措置に伴い制定された「農業競争力強化支援法」は、県を中心とする公的機関が開発してきたコメの種子とその関連情報の民間提供を促すものだ。さらに政府は種苗法を改正し、種子開発者の権利強化を図ったが、SNSを中心に国民から多くの疑問や反対意見が上がり、同法改正案は審議未了の継続審議扱いとなった。だが、種と苗の保全と育成、開発者の権利などについて定めた種苗法の改正を求める政府の姿勢は依然として揺るがず、国会に同法案が再提出される可能性は高いとする声もある。種苗法改正の抱える課題について東京大学大学院教授の鈴木宣弘さんに聞いた。
※本インタビューは2020年12月の改定種苗法の成立前に行われました。
法改正の前に「海外現地登録」の徹底を
――政府の種子法廃止、農業競争力強化支援法の制定、種苗法改正という一連の流れをどう捉えていますか。
端的にいえば、私たちの「共有財産」である主要穀物の種子を「公的機関」が守り育てていくという重要かつ不可欠な事業を「民間」に明け渡し、私企業のフリーライド(ただ乗り)を認めようという政治的意図の表れというしかないでしょう。その延長線上には巨大なグローバル種子企業の存在が見え隠れしていますし、彼らの利潤追求を積極的に容認しようとする「いまだけ」「カネだけ」「自分だけ」の論理にとらわれた新自由主義者たちの強い欲求が働いているに相違ありません。
そうした欲得感情丸出しのビジネスの論理によって種子法は廃止されてしまいましたが、目下のところ各自治体は非常に頑張っています。種子法に代わる条例を定め、種苗開発を続けられるように尽力しています。すでに半分くらいの自治体が同様の取り組みを進めていますが、財源確保が今後の大きな課題になってくるでしょう。政府は種苗開発のための「予算は切らない」としていますが、根拠法がなくなったわけですから、かなり厳しい事態が予想されます。
種苗法改正について農水省はシャインマスカットを例に、日本国内で開発された種苗が勝手に海外に持ち出され栽培されている事実を指摘し、それが日本の農家の輸出振興を阻害するばかりか、逆輸入の形で国内に流入してくるのを防ぐための不可欠な対応と訴えています。つまり、日本の大切な種苗の海外流出を止めなければならないというわけです。ではなぜ、シャインマスカットが海外で栽培されるようになったのかといえば、現地(海外)での品種登録がおざなりにされたからです。迅速に品種登録していれば回避できたはずなのに、何もしないでいるうちに登録可能な期間が過ぎ、だれもが自由に種苗が使える状況になってしまいました。
だとすれば、まずは品種登録を徹底することが大前提になるはずです。そのうえで種苗法改正を検討するというのなら、わからなくもありません。種苗法改正によって日本の種子が海外に持ち出されるリスクを低めることができるという点については理解できますが、やはり決め手は種苗法改正ではなく、それはあくまでも補完的な役割だと私は考えています。ネット上では中国や韓国に日本の種が取られるのを防ぐために種苗法改正は必要との主張もあります。この点は種苗法改正に反対している人たちの思いもまったく同じといっていいでしょう。
ただ、種苗法改正に反対する人たちは種子法廃止を政府の民営化路線の一つと捉え、ただでさえ公的なものを民営化する規制緩和路線が加速化している点を不安視し、政府が農業競争力強化支援法の8条4項で「これまで開発した種を民間に譲渡する」とした点に強い警戒感を抱いています。さらに種苗法を改正し、種苗の開発権を持つ者が利益を得られる権利を強化するとなれば、それは「公共財」の種子を「民間」に差し出し、引いてはグローバル種子企業に種子の独占権を与えることになりかねず、結局は日本の種苗が他国に流出することになると考えているのです。
実際に米国企業からは規制改革推進会議などを通じて、さまざまな要求が来ています。仮にグローバル種子企業が日本の種苗に興味を持ち、それらを日本政府に払い下げしてもらい、多額の利益を得る構造が確立されれば、それは日本の種子が海外企業のものになることを意味し、その種子を日本の農家が永続的に買わざるを得なくなるわけです。これも日本の種苗が海外に流出する一例といえるのではないでしょうか。農水省は「もっと種子開発が儲かる構造にしないとやめる人が増える」「自家増殖が容易にできるようになれば、国内で種子の開発販売をしている中小企業が十分な利益を得られず廃業してしまう」と種苗法改正の必要性を訴えています。これがいつのまにか国内ではなく海外の企業の利益と置き換えられない保証はどこにもありません。
また、政府は種苗法を改正しても「農家のコスト負担は一切変わらない」としていますが、種苗を開発して販売する事業者の利益を増やせば、それを誰かが負担しなければならず、当然ながら種苗の購買者である農家が支払うことになるわけです。この点を政府はどう説明するというのでしょうか。
人を犠牲にした「ソーシャル・ダンピング」問題
――農家のコスト負担が増えることに加え、これまで認められてきた農家による種子の自家採取が禁止される恐れも指摘されています。この点についてはどうですか。
種苗法を改正しても「登録品種の自家採取も登録者(特許保有者)が許諾すれば続けられる」、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)などの公的機関が開発した種苗が多いことから「今後も無償で使用許諾が受けられる」と農水省は説明しています。しかし、先に触れたように「これまで開発した種を民間に譲渡する」ことが強く促されているのですから、その「譲渡」を受けた企業が自社の保有する種を容易に無償開放するかという疑問は拭えませんし、農研機構も民間からの人材を受け入れるなどして民営化に向けた歩みを進めていることを考えると予断を許さない状況にあるのは間違いないと思います。
また、農水省は「自家採取が原則禁止になるのは登録品種だけの話であり、登録品種は種苗全体の1割しかないのだからほとんど影響はない」としていますが、青森県で栽培されているコメの98パーセント、沖縄県のサトウキビのほぼ100パーセントが登録品種という現実を無視するわけにはいきません。一方、自由に自家採取していいとされる「一般品種」は在来種、品種登録されたことがない品種、品種登録期間が切れた品種の3種とされていますが、種苗法改正により登録に向けた動きが活発になれば、自家採取可能な品種は確実に減少するはずです。さらに登録品種の使用が一般化すれば、現在未登録の品種を登録品種にして販売するビジネスへの民間企業の関心は高まるでしょう。
在来種には「新規性」がないため、そのまま登録されることは恐らくないでしょうが、在来種をもとに曲がらないキュウリのようなプラスアルファの「特性」持った品種を開発して登録する動きが生まれてくる可能性は否定できません。そうした特性を持った登録品種が消費者に支持を得れば、元の在来種が駆逐されるリスクは高まり、その種子を農家が継続的に買い求めざるを得ない構造が確実に常態化します。かてて加えて農家が栽培している在来種に偶発的に登録品種との類似特性が現れた場合、権利侵害で育成権者から告発される可能性まで出てくるのです。
国内各地の伝統的な種苗は地域の食文化と密接に結びついた一つの大きな「共有資源」であり、私的所有にはなじまないものです。それこそ何世紀にもわたって多くの人々が力を合わせて育成し、改良を重ねてきた歴史的な財産といってもいい存在でしょう。このように代々引き継いできた種の利用権を企業に明け渡し、それを彼らが恣意的に素材として品種改良し、登録して種の「使用料」まで得ようとする行為は「フリーライド」、すなわちただ乗りというしかありません。
農家が作物の種や苗を自家採取し交換しあうのは、種や苗が人類共通の大切な資源であることを理解しているからです。この権利を奪うことは何者であっても許されません。かの米国でも特許法で守られている品種を除き、農家の自己増殖を禁じておらず、欧州連合(EU)は飼料作物、穀類、バレイショ、油糧と繊維作物の自家増殖を法的に容認しているのです。
種苗法改正法案は会員制交流サイト(SNS)を中心とした国民からの猛反発を受け、国会承認を得られず「継続審議」の扱いとなりましたが、政府与党は再提出をもくろんでいるとされています。そんな動きに対抗しようと、参議院議員の川田龍平さんが中心となってまとめた「在来種<ローカルフード>保全法案」制定に向けての動きが活発化してきました。それを後押しする力の盛り上がりに大いに期待しているところです。
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛
すずき・のぶひろ
1958年生まれ。東京大学大学院教授。農林水産省、九州大学教授を経て現職。国民のいのちの源である「食」と「農」の価値を訴え、国内の一次産業を切り捨て、大企業の利潤追求を最優先する新自由主義経済への厳しい批判を一貫して続けている。著書に『食の戦争』(文春新書)がある。