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ヒロインたちの手から生まれて【三ツ石 陽子さん】

130万円の壁を超え

東京・町田産をはじめとした国産の原料を使う

 都心から電車に揺られて1時間、さらに車で20分。滴るような緑と田園風景が残る旧街道沿いに、企業組合ワーカーズ・コレクティブ凡(ぼん・以下、凡)はある。
 ワーカーズ・コレクティブとは従来の「雇う・雇われる」という関係ではなく、一人ひとりが出資し経営を担う、いわば“働く人の協同組合”。1982年に神奈川県で第1号が誕生したのを皮切りに、今では全国で約500の団体が活躍している。
 凡は84年に町田市に住む主婦たちが立ち上げた。当時のメンバーは全員が生活クラブの組合員で、「小さくても誇りを持って、生命をはぐくむ食づくりをしたい」という思いから、地場野菜を使った漬物や総菜づくりを手がけ、生活クラブ東京などに販売していた。
 現在、2代目の代表理事を務める三ツ石陽子さんも、当時は普通の主婦だった。夫の転勤で誰ひとり知り合いがいない関東に移り住み、子育てに悩んでいたところを、温かく受け入れてくれたのが生活クラブの組合員たちだった。以来、転居のたびに生活クラブの班に入り、居を構えた町田の地で凡の存在を知って、90年に参加した。
 「子どもの学費のためにホームセンターでパートを始めたんですが、男社会の上下関係に疑問を感じて……。凡ではみんなが歓迎してくれてうれしかったですね」と三ツ石さん。
 当時は弁当の製造販売が多忙を極めた時期で、仕事はきつかった。早朝から夜遅くまで働き、子どもの学校の通信を読みながら寝てしまうことも度々あったが、仕事にはやりがいを感じていた。自分で考案したデザートや弁当が売れるのはうれしかった。けれども、その労働に見合う報酬がついてこないのはおかしいとも思った。
 その頃、初代代表の西貞子さんが「ひとりが食べていけるだけの年収を」と月給制を提案する。社会保険で夫の扶養となる130万円の壁以内に年間収入を抑えたいメンバーが多いなか、三ツ石さんは月給制に手を挙げた。


ブルーベリーで活路を

洗ったブルーベリーを真空ケトルミキサー(大釜)に入れる。ビート(てん菜)糖とぶどう酒由来の酒石酸以外は水も含めて一切加えない

 議論を重ねた末、一部の仲間と袂(たもと)を分かつ痛みを味わいながらも凡は月給制を採用し、地元原料を使ったジャム類の製造販売を事業の中心に据えることを選ぶ。
 そして94年に新設した工場で、三ツ石さんは加工長として原材料の仕入れから製造、販売までトータルな責任を負う立場となった。
 「新しく導入した機器を使いこなすのに苦労しました。それまでは普通の鍋で煮ていたので勝手が違って、失敗の末にレシピができるまでに1年かかりました」
 文字通りのチャレンジの連続。異物混入などのクレームが寄せられるたびに、徹底的に原因を追求し、対策を取った。そんななか、三ツ石さんが最も心を砕いたのが計画的な生産である。
 「以前、豊作で1トンのイチゴを仕入れながら、人手が回らず目の前で腐らせてしまったことがあるんです。農家の苫労も、イチゴの生命も無駄にした。あの悔しさは決して忘れられない」
 そして生産が軌道に乗りだした96年、ブルーベリーブームが到来する。生活クラブ東京からは400グラムびん入りの注文が毎月5000本寄せられるようになった。
 だがこの追い風には、落とし穴もあった。地元・町田産はおろか国産ブルーベリーが品薄になり、価格が高騰しただけでなく、必要量の確保すら難しくなった。手を尽くした末に「素性の確かな」カナダ産に救われたこともあった。


試練は飛躍への道

びん詰めは人の手で。この後さらに加熱殺菌して製品が完成する

 次の転機は2003年に訪れた。生活クラブ連合会から、グループ全体とのブルーベリーソースの提携の話を持ち込まれたのだ。
 だが、自前の工場の設備と規模で対応できる生産量ではない。また、責任を持って生産できるだけの国産原料を確保するには、数千万円もの資金が必要になる。金属探知機の導入など、工場の設備・態勢を整える必要にも迫られた。だが検討の末、凡のメンバーたちは規模拡大へと舵(かじ)を切った。
 「当時は念願だった年収300万円も達成していた。でも、大型店の台頭で小さいお店が淘汰(とうた)されるのを見てきて、ここで提携に踏み切れなければ、凡もやがて消える運命をたどるのではないかという不安があった」(三ツ石さん)
 生産力不足を補うために考えたのが、国内では例のない提携生産という方法だ。ブルーベリーの仕入れ先の紹介で出会った凡と同じ志と生産規模を持つメーカー、さんべ食品工業株式会社(島根県)に凡のジャムづくりのノウハウを伝授し、同じ方法でブルーベリーソースを生産してもらうというものだ。当初、凡の内部に反発がなかったわけではない。だが、両社のメンバーが2年にわたり互いに行き来するなかで、不安は信頼に変わり、地域を超えた強いきずながはぐくまれていった。そして05年、ついに生活クラブ連合会との提携が始まった。


新たな仲間を求め

三ツ石 陽子<span>(みついし ようこ)</span>さん<br /> <span>■企業組合ワーカーズ・コレクティブ凡<br />■提携品目 ブルーベリーソース、<br />しょうがシロッブ ほか

 今ではコンフィチュールづくりのさきがけとして知られるようになり、地元の“デパ地下”にも常設コーナーを持つまでになった凡。だが、その一方で三ツ石さんらは次なるヒット製品の開発のための努力を続けている。ブルーベリーソースに依存し続けることの危うさを知っていればこそである。
 生活クラブの生産者とのつながりから原料の提供先を開拓し、うめジャム、紅玉りんごジャム、レモンマーマレード、ゆずシロップ等々20品目以上を開発してきた。
 ヒット製品は簡単に生まれるものではないが、05年末にしょうがシロップに手ごたえがあり、09年にブームが到来した。三ツ石さんの口元がほころぶ。
 「新たに生活クラブ連合会と提携できる製品ができ、本当にうれしかったです」
 今、凡を悩ませているのは、新たにワーカーズ・コレクティブに自ら出資し経営する仲間が参加してこないこと。
 人員不足が続くなか、08年にはついにハローワークで男性2人を採用した。
 「この雇用関係は、本来のワーカーズ・コレクティブの在り方からは外れています。けれども働く人がいなければ製造もできなくなる。苦渋の決断でした……。今の凡は、定時間労働で暮らしを大切にできるし、誇りを持って働ける職場です。創業以来のすべてのメンバーの思いと努力でここまでになった。節目節目にたくさんのヒロインたちがいて、今がある。それを知っているから、私は凡をつないでいきたいんです」

運命の出会いから生まれた

浅沼さんとブルーベリーの木

企業組合ワーカーズ・コレクティブ凡の“顔”ともいえるブルーベリーソースは、地元・町田の農家、浅沼重臣(しげとみ)さんが、日本で最も早い時期に始めたブルーベリーのほ場栽培から生まれたといっても過言ではない。
 「当時は収穫した果実の買い手がなくて悩んでいたんですが、おやじが野菜を納めていた凡に話をして、提携が始まったんです。おかげでうちも凡も共存できたんだ」と浅沼さん。凡の代表理事の三ツ石さんも「この縁は運命です」と言う。
 住宅街の中に、サッカー場ひとつ分ほどの農地が残り、妖精でも出てきそうなブルーベリーの森が広がる。樹齢30年以上の木や、ゆうに人の背丈を超えるものもある。ブルーベリーの栽培種には、ハイブッシュと、ラビットアイの2つの系統があり、それぞれに数十種の品種がある。浅沼さんは接ぎ木により数十種類を栽培するなど意欲的に研究を続ける。
 「品種によって、酸味の強いものから甘味の勝ったものまで実に幅があるんですよ」と浅沼さん。なるほど大きさや形だけでなく、味や食感にもさまざまな個性があることに驚く。さらに天候しだいで同じ品種でも毎年のできは違う。凡ではその個性豊かな味わいを生かし、そのまま煮る。大手メーカーのように原料を調整して、均一な味にすることはない。
 工場では、納入されたブルーベリーを水洗いし、機械も使って異物を取り除く。その後真空ケトルミキサーという大鍋に入れ、砂糖と一緒に煮込む。酸味が足りない場合は、酒石酸(ぶどう酒をつくる工程で得られる酸味料)で調整するが、それ以外は水も含めて一切加えない。ブルーベリーが煮えてくると、頻繁にふたを開けては徹底的にあくを取り除く。「家庭と同じつくり方」にこだわるだけに、製法は至ってシンプル。だが手間はかかっている。家庭との唯一の違いは真空ケトルミキサーを使うこと。沸点が低いために煮詰まりすぎす、素材の色と風味を損ねずに仕上げられるという。
 国産ブルーベリーの収穫時期は6月から9月の約4ヵ月。年間通して製品をつくるため、凡では洗って異物を取り除いた果実に砂糖をまぶし、冷凍保存するなどの工夫をしている。
 おいしく食べる方法を聞くと三ツ石さんは「ヨーグルトに添えることを考えてつくっていますが、バタートーストに乗せてもよし、クリ-ムチーズに混ぜればベーグル用のフィリングにもなり、自宅で絶品が味わえます」と教えてくれた。

『生活と自治』2010年9月号の記事を転載しました。

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