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人の手が生む素朴な味わい【戸谷 稔さん】

根気が勝負の収穫作業

春はミズバショウ、秋は紅葉で知られる鬼無里(きなさ)で<br />知られる鬼無里(きなさ)で育つ野沢菜

いまや信州の代表的な名産品となった野沢菜は、250年ほど前に野沢温泉村の住職が京都から持ち帰った、カブの種に始まったと言われている。もとは根を食べるカブだったが、信州の気候風土に適応するうちに茎や菜を食べる野菜に変化し、「野沢菜」と呼ばれるようになったそうだ。
野菜としてそのまま店頭に並ぶことはほとんどなく、漬物として流通するのが一般的である。

「え、こんなに大きいの!?」
畑に生えた野沢菜を見て、多くの人は目を見張る。約70センチ、場所や条件によっては1メートル近くにもなるのだから、袋入りの漬物しか知らない人が驚くのも無理はない。

「でも、この春はあんまり出来が良くなかったな。種まき前の4月下旬に雪が降ったのと、梅雨時の高温が影響してさ。もともと春まきの分は腐れやすくてやりづれぇけど、今年は本当に難しかった」
長野市鬼無里(きなさ)の農家、松本稔さんが収穫期の畑で言う。その向こうには黙々と作業を続ける妻と妹の姿。果物ナイフで一株ずつ根元から切り取り、傷んだ葉を落として小さな山にまとめていく。ある程度たまったら、ビニールひもで5キロの束にする。
「あー、やんなっちゃう」
妹さんが手を止めて、こう言いながら腰を伸ばす。いたずらっぽく笑っているが、一日中地面にしゃがんだまま作業を続けているのである。ふと出たこの言葉こそ、正直な気持ちに違いない。野沢菜漬は根気のいる手間仕事によってつくられている。

変わる漬物事情

保存料などは一切使わないため、よく洗うことが品質保持のカギ

11月の末から12月初旬にかけて、信州のあちこちで見かける「お菜(な)洗い」。親しみを込めて「お菜」と呼ぶ野沢菜を、庭先などで洗う作業をいい、晩秋の風物詩といわれる。洗った野沢菜は塩をまぶしながら樽(たる)などに詰めていく。その際、煮干しやトウガラシなどの隠し味を入れるかどうか、また、何を使うかで「わが家の味」を出す。

漬けてすぐの青々とした浅漬けの状態から、発酵が進んでべっこう色になる春先まで、味の変化も楽しみのうちで、食事時はもちろん、お茶請けにも野沢菜漬 というのが昔からの習慣。そのため、かつてはどこの家でも驚くほど大量に漬けたものだが、最近は事情が変わってきているという。
「今の若いしょう(若者)は、あんまり食べないからさ。うちでも毎年たくさん漬けるけど、最後には余って捨てちゃうことも多いよ」(松本さん)

全国的に若い人の漬物離れが進んでいるといわれるが、信州でも状況は同じようだ。また、「どうせ少ししか食べないから手間をかけるのは面倒」とスーパーなどで買う人が増えているとも聞く。
これも世の流れであり、まして野沢菜のように、原料が手に入る地域が限られたものなら、大半の人には買うという選択肢しかない。ただし、出来合いを利用するなら、知っておきたいことがある。

そもそも野沢菜漬は季節限定のものだということ。原料が春と秋の2回しかつくれないためだ。ではなぜ一年中売られているのかというと、海外も含めたさまざまな場所で栽培された原料を使うからである。輸入原料の場合、塩蔵で長時間かけて運ばれるため、国内で漬物に加工する際に、塩抜きとともに漂白と着色が行われるのが普通だという。

また、パッケージの表で「国産契約原料使用」「合成保存料・着色料不使用」などとうたわれると、いかにも昔ながらの素朴な漬物という印象を持つ。しかし、長野市内で売られていたある商品の原材料表示には、野沢菜と塩だけでなく「酸味料、甘味料(ステビア)、香辛料抽出物、調味料(アミノ酸等)、ソルビトール」の文字。このような商品は決して少なくない。
伝統的な漬物は、その土地の豊かな食材を、無駄なくおいしく食べる知恵だった。だが昨今は、その中身が変わってきていることは否めない。

水と手間をふんだんに

トラックから手渡しで漬物用のプールヘ。ひとつのプールで1~1.5トンの野沢菜が漬けられる

収穫された野沢菜は次の朝、集荷のトラックで、長野森林組合鬼無里事業所に運ばれる。すぐに深さ2メートルほどの漬物用のプールに並べ、濃い塩水が注がれた。
「家庭では塩を直接まぶしますが、塩水を使うことで短時間で均一に漬けられるんです。また、畑から来たままの状態で漬けて、後で洗うのも独特のやり方。そのほうが洗いやすいからなんです」と所長の戸谷稔さんが説明する。
300キロの重石を最初は4つ載せ、野沢菜からの水の上がり具合を見て、ひとつずつ減らしながら一晩置く。しんなりとした「一夜漬け」は翌朝、最も手間のかかる水洗いの工程に進む。

まず、振動と空気の泡が出る洗浄機で大まかな汚れが落とされる。洗浄機を2台つなげて普通の倍の時間をかけているが、それだけでは落としきれないため、一株ずつ手にとって、根元に入り込んだ土まで丁寧に洗い落とす。
洗った野沢菜は、これまた人の手で折りたたみながら袋に詰められる。熟練者が収まりよく素早く詰めていく様子は、思わずみとれてしまうほど。最後に注ぐ調味液について、戸谷さんは言う。
「材料は家庭の台所にあるものばかり。生活クラブ提携生産者のしょう油をベースに、自分たちでとった鰹(かつお)だし、北海道産のてんさい糖、そして提携生産者のみそとみりん風醸造調味料を使います。添加物を加えたり、メーカーに勧められるまま、何が入っているのか分からない混合調味液を使うこともある多くの市販品とは、まったく違います」
こうしてつくられた野沢菜漬は、誰にでも食べやすい浅漬けタイプのさっぱりとした仕上がり。多くの手間をかけられたもの独特の、心のこもった味がする。

なぜ、森林組合が食品を?

戸谷 稔<span>(とや みのる)</span>さん<br /><span>■提携先 長野森林組合鬼無里事業所<br />
■提携品目 野沢菜漬、えのき茸茶漬、<br />
五目ずしの素 ほか </span>

「発端は、製材する時に出る大量のおがくすを、なんとか活用できないものかという思いだったと聞いています」
長野森林組合鬼無里(きなさ)事業所・所長の戸谷稔さん(48歳)は、鬼無里森林組合(当時/市町村合併に伴い現在は長野森林組合)が食品加工に取り組むようになったきっかけについて、こう話す。

1950年代、戦後復興のために国内では大量の木が切られた。これを製材する際に発生する大量のおがくずを利用し、長野県内では各地でエノキダケの栽培が盛んに行われるようになった。
その産地のひとつであった鬼無里は、農・林の一次産業を基幹とした山あいの村。11月の稲刈りを終えると、冬期は出稼ぎで家を離れる人が多かった。そこで、森林組合が製材工場から出るおがくずを組合員に配布し、エノキダケの栽培指導を行ったのである。これで冬の間も家族と離れずに仕事ができると、人々は飛びついた。

しかし、鍋物に重宝される工ノキダケは、暖かくなる3月頃から値段が下がってしまう。そこで、春先から6月の田植えまでの期間をつなぎ、さらには農業をしながら通年で栽培したいという要望に応えるため、森林組合職員がエノキダケ加工メーカーで技術を学び、いわゆる「なめたけ」、つまりエノキダケのつくだ煮の瓶詰をつくり始めたのである。67年のことだった。
「最初は他メーカーの下請けばかりでしたが、転機は76年、生活クラブ生協との出会いでした。ある人の仲介で、東京の生活クラブに“なめたけ”を持参したところ、『この名前では、都会の組合員はなめこでつくったものと勘違いしてしまう。もっと分かりやすい名前を』と言われ、「えのき茸(だけ)茶漬」という消費材が生まれました」(戸谷さん)

翌77年には「きゃらぶき」「あざみ」「野沢菜漬」を加えて4アイテムを提携するようになる、その後、「きのこと山菜炊込みごはんの素」や「五目ずしの素」と取り扱い品目は増えていった。

とりわけ「野沢菜漬」は、初夏と晩秋の季節限定の取り組みという異色の存在。原料の野沢菜は地元JAと協力し、春は鬼無里地区の契約栽培農家のみ、注文が多い秋の分は近隣地区の農家にも頼んで、契約栽培してもらっている。
「一番怖いのは欠品を出してしまうこと。春は気温が上がって腐れが出たり、虫がつきやすいのが悩みの種。一方、秋は早い雪が降るとだめになってしまうため、それが最大の心配です。毎年楽しみに待っていてくれる方たちに、『供給できません』とは言えませんから、野沢菜の時期が終わるまでは、毎日緊張しているんですよ」(戸谷さん)


『生活と自治』2010年10月号の記事を転載しました。

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