5万ha(日本の農地の1%)を超えた「GMOフリーゾーン」
遺伝子組み換え(GM)食品の流通、遺伝子組み換え作物(GMO)の栽培を日本政府が認めた1996年から、生活クラブではGMO「原則不使用」の姿勢を貫き、その方針は全国の生協や消費者団体にも広がっています。3月20日、21日、「第3回GMOフリーゾーン全国交流集会in北海道」が開催され、生活クラブからもおおぜいが参加しました。(2008年4月16日掲載)
広がる「GMOが存在しない地域」
GMOフリーゾーンとは、GMOが「存在しない」地域のことを指します。生産者が自らの意志で、GMOの栽培だけでなく流通や取り扱いも拒否します。1999年、イタリアが発祥地で、日本では2005年に滋賀県高島市の生産者グループがGMOフリーゾーン宣言を最初に行って以来、その動きは全国各地に広がってきました。生活クラブの提携生産者では、遊佐町全域で3080haを宣言したJA庄内みどり遊佐地区農政対策推進協議会を始め、千葉県や栃木県などの多くの生産者が宣言し、「GMOフリーゾーン」の大きな看板を掲げています。
「日本のGMOフリーゾーンは、今年の3月で5万50.1haになりました。これは、日本の農地面積の1%です。北海道で昨年一気に4万haがフリーゾーン宣言し、それ以外の地域でも着実に増えています。小さな農家が集まり、これだけに達したというのは素晴らしいことです」
3月20日、札幌市内で開かれた「第3回GMOフリーゾーン全国交流集会in北海道」で、「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」(以下、いらない!キャンペーン)の纐纈(こうけつ)美千世さんが、こう報告しました。
集会では、いらない!キャンペーン代表の天笠啓祐さんの基調講演に続き、生活クラブ連合会や生活クラブ北海道、生協連合会きらり、グリーンコープ共同体などの消費者グループ、韓国とフィリピンの市民団体、JA庄内みどりや千葉県の元気クラブなどの生産者による活動報告が行われました。さらにGMOの生産凍結(モラトリアム)の解除で揺れるオーストラリアから届いたビデオメッセージでは、世界的に著名な反GMO活動家であるパーシー・シュマイザーさんから次のようなコメントが寄せられました。「GMOがはびこれば、有機農業だけでなく一般の農業も一様に破壊される。生物多様性が失われ、健康や環境にも害が出る。みんなで力を合わせてGMOを止めよう!」
翌21日は、生協の組合員や、いらない!キャンペーンのメンバーが一緒に北海道内にあるGMOフリーゾーンのツアーへ。生活クラブ北海道の生産者である長沼町有機栽培研究会(織田俊雄さん)、地域の生産者が消費者に直接農作物を受け渡すコミュニティー型農業に取り組んでいるメノビレッジ長沼(レイモンド・エップさん、荒谷明子さん夫妻)、九州のグリーンコープの生産者で産地を挙げてGMOフリーゾーン宣言したJAむかわを訪問しました。JAむかわの中奥武夫代表は、「むかわは納豆用のスズマル大豆や米、小豆、野菜、花など多種多様な品目の生産地です。GMOの交雑が広がれば、産地が崩壊する。何としても阻止したい」と挨拶。一行はみな深くうなずいていました。
日本の面積の3倍の畑がGMOに
日本やEUでGMOフリーゾーンが広まる一方で、世界のGMOの作付け面積は広がるばかりです。2007年には1億1,430万ha、日本の面積の実に3倍に達しています。アメリカではトウモロコシの73%、大豆の91%、綿の90%がすでにGMOで、これまでGMOを生産凍結(モラトリアム)していたオーストラリアでも今年の2月にモラトリアムを失効させ、GMOの生産が可能になった州も出始めています。中国では穀物のGM化は進んでいないものの、花や綿などの多くがすでにGMOで、GM大国の仲間入りを果たすのも時間の問題と言われています。
天笠啓祐さんは、「GMOの問題点は、格差社会をつくり出したこと。GM種子を生産販売する一部の巨大穀物商社や種子会社が市場を支配し、気づいたら大地はGMOで汚染されていた、ということになる」と警鐘を鳴らしました。農薬耐性があるGM種子を栽培しても、連作障害が起きたり農薬に耐性をもった害虫が増え、かえって農薬の使用量が増えるといった悪循環が起きる、との指摘もあります。
GMOを阻止する力になるのが、生産者と消費者による草の根レベルの運動です。たとえば、北海道で2005年に遺伝子組み換え作物栽培規制条例が制定されましたが、ある畑でGMO栽培実験がなされるという情報をキャッチした一消費者が声を挙げたことがきっかけで「北海道GMイネいらないネット」ができ、行政を動かす力となったのです。生活クラブ・東京理事長の吉田由美子さんは、「一人の発信がこんなに大きな影響を及ぼすことに感動した。自分がアンテナを広げること、そして情報を伝えることの大切さを、ぜひ仲間に伝えていきたい」と話しました。
「GMOをまだ食べてるの」と言える日まで
生活クラブは日本政府がGMOの受け入れを認めた1996年以降、GMOに対して「NO」の姿勢を貫いています。1997年1月には、「遺伝子組み換え技術によって生産された作物・食品およびその加工品の取り扱いを行わないことを原則とする」と宣言しました。生活クラブGM食品問題協議会座長の赤堀ひろ子さんは「GMOはよくわからないし、こわい。ともかく食べたくなかった。運動をして止めるしかないと思ったのです」と、当時を振り返りました。
以来、生活クラブでは、まずはGMOが混入する可能性のある原材料はすべて調査し、混入しているものは原材料を切り替える、消費材にGM対策状況を明記するなどの対策を行ってきました。愛知県でGMイネの栽培実験が行われる際には生活クラブの全単協で「いらない!キャンペーン」と連携し、パレードや署名活動などにより栽培を中止に追い込んだり、政府に食品へのGM対応の明確な表示を要請するなど、日本におけるGM対策に関して一定の役割を果たしてきました。
「GMOってまだ人間が食べるものなの? そう言われるのが当たり前になる日まで、消費者が生産者と手を携えて運動を続けていきたい」と赤堀さんは力を込めて話しています。