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農と暮らしは共にある【児玉 光博さん】

九州北西部、有明湾に突き出す島原半島。中央に噴気を上げる活火山・雲仙岳を擁するこの半島で、農業をなりわいとして生き続けることを選んだ人々がいる
 

島原の乱の地で

児玉光博(こだま みつひろ)さん <br >■提携先 農事組合法人ながさき南部生産組合 <br >■提携品目 タマネギ、ジャガイモ、カボチャ、温州ミカン、レタス、小ネギ、ブロッコリー、黒ゴマ、トマトほか 島原半島の付け根から南に車を走らせると、至るところで棚田が目に入る。
 1枚当たりの面積は狭く、集約して大型化を図ることもできず、都市近郊ではないため、消費地からも遠い。農業には不利とされる条件が重なるこの地が、減農薬・減化学肥料栽培を中心とした農産物を手がける、ながさき南部生産組合(ながさき南部)のホームグラウンドだ。同組合理事の児玉光博さんが言う。
 「限られた土地で何とか食べていこうと、代々耕してきた棚田。農業以外の産業もないので今でもこうして残っています」
 その表情には、生まれ育った土地への愛着が感じられた。
 こうした棚田では夏から秋は米、秋から春にかけては野菜を植える二毛作が行われる。栽培品目は、タマネギ、ジャガイモ、果樹、米など35品目におよび、生産者団体が消費者団体と直結して取り引きをする「産地直結」の成功例として全国的にも注目を集める。多品目栽培を支えるのは、ながさき南部の組合員たちが築き、なお磨き続ける高い栽培技術、水田を畑として利用するには、その都度、水はけをよくするための高度な工夫が求められる。うねのたて方や排水のための水路の取り方ひとつが、野菜類の成育に大きく影響するからだ。
 現在、島原半島に暮らす人々は歴史に名高い「島原の乱」により農民が全滅したこの地に、日本各地から入植した人たちの子孫。
 「そのためでしょうか。今でも勤勉で負けず嫌い。お隣が朝6時に畑にいたら、自分は5時に出かける。そんな島原人気質で栽培技術を切磋琢磨(せっさたくま)してきました。北海道などの大規模産地と同じコストではできませんが、面積当たりの生産力は高いです」
 多様なのは栽培品目だけではない。各地の生協、農産物宅配、外食チェーンなどの多彩な販路を開拓し、長崎市に近い市街地に直売店をオープンした。地元産中心の肉や魚、調味料もそろえた中規模スーパー並みの店である。
 売れる作物をつくり、販路も自ら確保する。これが生産者であるながさき南部が行き着いた経営戦賂という。


死ぬまで現役

本部センターでのミディトマトの選別・箱詰め。農業があるから、この仕事も生まれる 児玉さんとながさき南部とのかかわりは約35年前にさかのぼる。長男が家業を継ぐのは当たり前という時代、父が始めたミカンの栽培も度重なる市場価格の大暴落に見舞われ、児玉さんは農業に将来性を見出せずにいた。そのころ、同年代の農家である近藤一海さん(現・ながさき南部・代表理事)が立ち上げた組合の前進にあたる果樹研究会に参加した。
 「研究会を通じて消費者の存在を感じられるようになり、ニーズのある作物をつくれば市場に左右されず、経営が成り立つことが見えてきました」
 とはいえ、まだ迷いが残っていた児玉さんに家業を継ぐ覚悟を決めさせたのは、佐賀県在住の農民作家山下惣一さんを中心に、九州各地の有志が始めた「百姓出会いの会」だった。
 「実態は飲み会ですが、ここでいろんな人と出会い、農業の魅力に気づいたのです。サラリーマンと違って定年もない。死ぬまで現役でかかわり続けられる職業なんだから好きでやらんと。そう思うようになってから、仕事が面白くなりました」
 自然に逆らわず、極力農薬を使わずに栽培することに挑戦し、ミカンの木を枯らしてしまったこともあった。果樹は収穫できるようになるまでに数年かかるので痛手は大きかったが、「虫が増えても勢いのある若木なら枯れない。ならば木を更新すればいい」と気持ちを切り替え、苗を植えた。
 また、ミカンは実を大量に付ける“表年”と実の付きが悪い“裏年”を繰り返す。通常は木ごとに摘果を行い果実数をコントロールするが、児玉さんはこの作業を重要視せず、農場全体で裏表が重ならないよう工夫するなど、発想の転換をはかった。
 当初は農協に出荷しないというだけで、周囲からの風当たりも強かった。だが、1975年に5人で始め、78年に法人化したながさき南部の組合員数は90年代後半には100人を超え、現在では132人に増えている。
 


手放してはいけないのは

ミカンの木の根元の稲わらは、保水と保温のための工夫。根が深くなりすぎず、糖度の高いミカンができる ながさき南部の本部に隣接する広い駐車場の一角には、地下足袋のままで気軽にゆっくり話せるようにあずまや風の建物がある。生産者たちが集まり、議論を重ねながら前進してきた組合らしい配慮だ。
 組合が掲げる精神は「自主・自立・相互扶助」。組合員になればすべて面倒を見てもらえる、というような生易しいものではない。ひとりひとりは自立した農業者でなければならない。さらに、ときには農業の未来を見据えた激論を交わせる強い信頼関係が、昔も今も求められているといえよう。
 だからこそ、組織が大きくなったことのジレンマもある。組合員が100人規模になり会議だけでは意思疎通が難しくなったことから、たくさんのルールが明文化された。児玉さんは言う。
 「全国を見渡しても産地直送運動をやっているところはどこも条件が限られた産地。困難にぶつかってそれに負けたくないと思う力が前進につながった。でもこれからは若い人自身が悩み、考えながらやるしかないと思っています」
 組合には35歳以下の組合員が35人いる。現在は組合役員と生産者のいわば2足のわらじで多忙を極める児玉さんだが、これだけは揺るがないという信念がある。
 「生産の苦労が分かるのは農民だけ。どんなに忙しくても販売価格の決定をはじめ、経営を差配することを自ら手放してはいけない、それが未来に農業を残すことにつながるのですから」
 棚田とともに先祖から受け継いだ島原の暮らしを残す。ながさき南部はその心を、次世代に引き継ごうとしている。


地域で交わる・人とつながる

 等級外のアイガモ米から生まれた焼酎島原では山と農地と海が一体となっている。傾斜地の中ほど、タマネギの葉が傾斜地の中ほど、タマネギの葉が青々と伸びる段々畑に立てば、山から下ってきた川が有明海に注ぎ込むまでを一望することができる。
 「私たちもこの海でとれる魚を食べますから、海を汚したくない。だから畑で使う農薬も化学肥料も最小限にすることを目指しているのです」とながさき南部生産組合(ながさき南部)理事の児玉光博さんは話す。
 ながさき南部はさまざまな分野で地域内連携にも熱心に取り組んでいる。
 そのひとつがたい肥だ。島原半島の中にある畜産農家に稲わらを提供し、肉牛のえさや敷きわらにしてもらう。そして牛ふんを使ってつくられるたい肥を農地に入れている。ただしジャガイモには鶏ふんを使ったたい肥が適しているため、生活クラブの鶏肉生産者のひとつでもある(株)秋川牧園(山□県)から取り寄せている。
 加工品づくりにも挑戦している。
 5年前、アイガモを使って栽培した米のうち、等級外に格付けされたものを活用できないかと、地元の酒造会社に相談をもちかけて生まれたのが、米焼酎「野良でお昼寝」だ。年にわずか2000本程度の限定生産量ながら好評で、インターネット販売ではプレミアムもつくと言われている。もちろんながさき南部の組合員も愛飲している。

直売所「大地のめぐみ」では、組合員のつくった野菜が並ぶ。品目が多く、中にはめずらしい種類も 今期は青島ミカンの規格外品を、地域の農事組合と連携し外皮を手でむいて果汁本来のうま味を最大限に引き出したストレートジュースの開発に取り組んでいる。
 捨てられる命を心底痛ましいと思う気持ちだけが、生かす手だてを模索する情熱に変わる。震作物を育てる苦労を知る当事者であればこそ、これらの製品を生み出せたといえよう。
 また、地元NPOの運営で、農家民宿にも取り組み始めている。ながさき南部の組会員の自宅が来訪者の受け入れ先となる。農業理解のために都市農村交流を図るのが目的だ。
 ユ二ークなのが、宿泊・研修施設Γてんとう蒸虫ハイツ」の運営。収穫の繁忙期は臨時のアルバイトを雇うが、高齢化の影響などで地元での採用が難しくなっている。収穫時に人手が確保できなければし栽培面積を減らさざるを得ない。これを防ごうと遠方から来るアルバイトを受け入れる施設をつくった。食器・調理具寝具・テレビも完備。「着替えだけ持ってきてもらえれば泊まれます」児玉さん。空いていれば旅行者でも利用可能という。
 

『生活と自治』2011年4月号の記事を転載しました。

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