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食べる人もつくる人も笑顔に【ダイアナ・セラルボさん】

日本の消費者と“南”の生産者が「顔の見える関係」で結びついた「民衆交易」。
その象徴的な品であるバランゴンバナナの生産地には、農業に誇りをもって働く家族たちがいる。

飢餓から自立ヘ

この日、2時間遅れで到着した生産者の孫。子どもたちは家事や仕事をよく手伝う 夕暮れ迫る道を、少年を乗せたカラバオ(水牛)がやって来る。
 「ああ良かった、やっと来た」
 いまかと待っていた人々の顔にほほえみが広がった。
 ここはフィリピン・ネグロス島の山間の村、パンダノン。今日は2週間に一度のバナナの集荷日だ。少年は生産者の孫で、「途中でカラバオが逃げてしまって……」と小さな声で言う。早速みんなで、荷車からトラックにバナナを移し始める。予定の時刻を2時間も過ぎているが、怒る人は誰もいない。
 農薬や化学肥料に頼らず栽培し、収穫後の処理でも防カビ剤や防腐剤などを使わない「バランゴンバナナ」。濃厚な甘味とほどよい酸味、コクのある味に「バナナの印象が変わった」という人も少なくない。同時に目本の消費者が“南”の生産者と「顔の見える関係」で結びついた「民衆交易」の象徴的な品としても知られている。
 きっかけは1980年代の砂糖の国際価格の暴落が引き金となった飢餓だった。砂糖生産が盛んなネグロス島では80%ものサトウキビ農園労働者が失職し、深刻な飢えに苦しむ。これに対し世界中が支援を寄せ、日本でも「日本ネグロス・キャンペーン委員会」が設立され、子どもたちへの給食や医薬品の配布などを行った。だが、緊急支援は危機的状況を切り抜ける助けとはなったが、根本的な問題の解決策ではなかった。
 「私たちに必要なのは、魚ではなく魚を捕る網です」
 現地の民衆運動のりーダーの言葉が理由を端的に示している。何世代にもわたって大地主に雇われ、サトウキビ栽培だけを行ってきた農園労働者たちは、農民でありながら食料を生産できない状態になっていたのである。つまり「魚」とは援助が尽きれば元のもくあみとなり、必要なのは「網」(=自立に必要な道具)だった。
 彼らは立ち上がり、民衆による民衆のための流通機構を目指す「オルター・トレード社(ATC)」を設立、日本ネグロス・キャンペーン委員会などの協力を得て、伝続的なマスコバド糖(黒砂糖)を日本の生協などに販売し始めた。


安全なバナナを

「バナナハート」と呼ばれる赤紫色の花から順番に実が開いていく。成長すると1房20キロ近くにもなる だが、一般的に日本の食生活では大量の砂糖はめったに使わないし、国内にも産地がある。砂糖以外の新たな品目を模索する中で、「安心して食べられるバナナ」のアイデアが出る。当時、バナナには毒性の強い農薬が使われることが多いということが知られ、不安視されてもいた。
 数ある品種の中でバランゴンが選ばれたのは偶然ではない。フィリピンでは生食用には「セニョリータ」などの人気が高く、料理には「サバ」がよく使われる。もちろんバランゴンも食べられてはいるが、評価は高くない。バランゴンは日本人の味覚に合い、現地の環境を破壊することなく栽培でき、地元の人々の食生活や地域経済に影響を与えない品種なのである。これを農薬を使わずに生産すれば、食べる人にもつくる人にも安全で、両者の暮らしの向上が期待できるとして選ばれたことになる。
 初の輸出テストは89年に行われたが、結果は惨たんたるもの。フィリピンの港を出るときには緑色だったバナナが、日本に着いたら真っ黒になっていた。試行錯誤を経てなんとか輸出が始まったが、当初は各生協の組合員が「連帯の気持ちで食べます」と言うような品質だった。
 輸出が軌道に乗ると次なる課題は産地の拡大。パンダノン村のオバルドさんとダイアナさん夫妻のもとへ、ATCのスタッフがやってきたのは96年のことだった。
 「それ以前からセニョリータ、サバ、バランゴンなどを育てて地元のバイヤーに売っていました。でも価格は安いし不安定。豊作のときなど本当に安く買いたたかれていたんです」(ダイアナさん)
 働き者として知られる夫妻のバナナを見たスタッフは「ぜひうちに出荷してほしい」と頼む。
 「ATCに出すようになって収入が2倍になりました。定期的に買ってもらえ、豊作でも買いたたかれないから、家計も計画的に考えられる。生活は楽ではありませんが、子どもが空腹を抱えているようなことはなくなりました」


多忙な毎日でも

ダイアナ・セラルボさん <br >■提携元  (株)オルター・トレード・ジャパン <br >■提携品目 バナナ、エコシュリンプ ほか 夫妻には23歳を頭に7人の子どもがおり、現在は下の5人が一緒に暮らしている。
 ダイアナさんは毎朝午前5時に起き、かまどに火を起こして朝ごはんをつくる。子どもたちを学校に送り出すと、3歳の末娘を連れて夫とともに山の畑へ向かう。畑にはバナナだけでなく各種の野菜を植えている。暑さの厳しい日中の3時間を除き、午前8時から午後5時まで畑仕事にいそしむ。家に帰ると夕飯の支度。食後は夫と子どものこと、生活のこと、そして畑のことなどを話す。就寝は午後10時だ。上の子たちは家事や幼い弟や妹の世話をよくするが、それでもダイアナさんは大忙し。
 「私の望みは、子どもたち全員をせめて高校卒業まで学校に通わせてやること。そして私自身の夢といえば、みんなを早く一人前にして、ゆっくりすること」
 だがどんなに忙しくても、パンダノンのバナナ生産者のミーティングには必ず参加する。
 「生産者協会に入る前から不法伐採から森林を守る組織に所属して活動していますし、行政がつくる女性組織にも入っています。フィリピンには『ミスターがカヤならミセスもカヤ』という言葉がある。男性にできることは女性にもできるということ。私だけでなく、こういった活動に積極的にかかわる女性は多いですよ」


好きな農業たから

わが子に十分食べさせ、そして教育を受けさせたいというのは、親が抱く自然な感情だろう。
 フィリピンの学校教育は、小学校が6年、高校が4年、大学が4年となっている。高校までは授業料が無償だが、制服や教材費、交通費、昼食代、行事の際の寄付が必要で、安定した収入がないと、卒業まで通わせるのは難しい。
 特に農村や漁村に暮らす人たちは現金収入が少ないため、都会に出て家政婦などの働き口を求める人も少なくないという。
 「でも私は、一度も考えたことがありません。たとえチャンスがあっても行きたくない。農家に生まれたから農業しか知らないし、大変な面もあるけれど、何より農業が好きなんです。自分が育てたものを収穫するときほど、うれしいことはありません」
 ときどき、パンダノンを訪れた日本の消費者から、後継者について尋ねられることがある。
 「心配はいりません。7人のうちの誰がというのではなく、大学に行こうが別の仕事をしていようが、全員に教えている。子どもたちはみんな、バナナと野菜のおかげで大きくなった。この大切な財産は、しっかり引き継いでいきます」


「ピンチ」から生まれたつながりと可能性

各地のバナナは「パッキングセンター」に集められ、その夜のうちに洗浄と箱詰めを行う バランゴンバナナの生産者のほとんどは、山間地で細々と農業を続けてきた零細農民である。
 パンダノン村のバナナ生産者協会の正式名は「パンダノン総合的生産者協会」。バナナだけでなく、野菜なども含めた複合的な農業を目指していこうという思いが込められている。協会は、ある「ピンチ」をきっかけに結成された。
 20年あまりになるバランゴンバナナの民衆交易の歴史は、波乱万丈の道のりだった。度重なる台風や干ばつなどのダメージを受けたり、連作障害や病害などにも苦しんだ。
 特に深刻だったのは、「バンチトップ」というウィルス性の病気の発生。これにかかると実がつかなくなってしまい、しかもあらゆる種類のバナナに感染して地域全体に広がってしまうからだ。感染したバナナを根こそぎ抜き取り、焼却処分するしかない。
2週間に1度の集荷で集まったパンダノンのバナナ生産者協会のメンバーたち パンダノンでも2003年ごろにバンチトップ病が発生した。
このとき村をあげて抜き取り処分を行ったことで、比較的早くダメージから立ち直れたのだが、一斉にバナナが姿を消したのだから、そのときは大変だった。
 「回復するまでどうしよう?」
 それまでは個人でばらばらにATCに出荷していた生産者たちが集まり、地域全体の今後について話し合った。その結果生まれたのが生産者協会だ。現在、メンバーは42人。委員長のドロレスさんが言う。
  「私たちには夢があります。協会をもっと大きくして資本金も増やし、メンバーの子どもたち全員が大学まで行けるようにしたい。そして個人では購入できないトラクターを買ったり、将来的にはバナナの洗浄と箱詰めを行う自分たちのパッキングセンターをつくりたいと思っています」
 もともとは零細農民だった彼らの生活の工場に、民衆交易が一役買ったのは間違いない。しかし彼らはそれにとどまらず、協同することでこのような夢を語れるほどに可能性を広げてきたのだ。
 「でも一番よかったのは、以前よりもお互いのことがよく分かるようになったこと。1人では抱えきれない悩みを共有して軽減することもできるし誰かが困っていたらたすけあうこともできる。そういうつながりこそが、私たちの地域を豊かにしていると感じています。(ドロレスさん)
 

『生活と自治』2011年5月号の記事を転載しました。

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