まねのできない肉を「創る」【管野 雅彦さん】
10年続く相次ぐ逆風
日本で初めてBSE感染の牛が確認されたのは今から10年前の2001年9月。03年にはアメリカでも感染牛が見つかった。全頭検査や輸人差し止めが実施され、出生から流通、加工までの履歴を記録するトレーサビリティーも03年から始まった。
一方で「ミートホープ事件」(07年)など牛肉をめぐる原料・産地偽装事件が相次いだ。昨年は宮崎県で口蹄(こうてい)疫が発生し、6万8000頭余りの牛が殺処分されたことは記憶に新しい。今年に入っても4月に焼き肉チェーン店で、ユッケによる食中毒事故が発生し死者も出た。
さらに、福島第一原発事故に端を発し、7月に放射性セシウムに汚染された牛肉が出荷され、流通していたことが発覚した。この10年で次から次へと牛肉をめぐる事件、事故が起き、これでもかと言わんばかりに、消費者の牛肉離れ、買い控えを促す結果となった。
加えて、08年のリーマンショック以降の経済不況とデフレで、豚肉、鶏肉と比較して高価な牛肉が敬遠された。さらに06年以降の飼料価格の高騰が、畜産農家に追い討ちをかけている。
こうした状況を背景に、日本全体の牛肉消費は落ち込んでいる。
「平成22年度食料・農業・農村白書」によると、1人当たりの年間消費量は00年の7.6キロがピークで、09年は5.9キロ(約22.3%減)となった。
実は生活クラブの牛肉生産者「北海道チクレン農業協同組合連合会(略称・チクレン、本所・札幌市)の精肉供給量も00年度の3221.3頭から10年度にはBSE発生の01年度よりも少ない2535.8頭と落ち込み、約21.3%減。06年度にいったんは盛り返したものの、この10年の差はくしくも日本全体とほぼ同程度の減り方だ。
「高齢化で肉食が敬遠されていることはあると思う。それに若い人々は就職難で金がない、親は子どもたちを養わなきゃならないから食にお金が回らないという事情もあるかもしれない」。チクレン北見事業所(北海道北見市)の所長管野雅彦さん(51)はあきらめ顔でこう話す。
完全に安全なトレンド
BSEも、偽装も、口蹄疫も、放射能汚染も今のところまったく無縁なのに、チクレンも消費者の牛肉離れの影響をまともに受けた格好だ。とはいえ、日本中で牛肉が食べられなくなり、生活クラブ組合員も同じように牛肉離れをしているだけだから、しょうがないじゃないか、とあきらめるわけにはいかない事情がある。
生活クラブとチクレンの提携は30年近く前の1982年にさかのぼる。生活クラブはかつて自前で牛肉生産の牧場建設に着手し挫折した経験を持つ。そのとき苦境を救ったのがチクレンだった。
両者は、霜降りの高級な和牛ではなく、安価で安全な牛肉を求めることで一致した。生産するのは、ホルスタイン種の雄を中心とした赤身の肉。牛の成長を促すとされる肥育ホルモン剤などの薬剤を使用せず、餌は遺伝子組み換え(GM)ではないトウモロコシや乾燥させた牧草(乾牧草)を与える。国がトレーサビリティーを実施する以前から、肥育、解体処理から供給まで素性の分かるよう管理する先駆的な取り組みを始めるなど、高度な安全策を講じた。
チクレンは長年の経験の中で、配合飼料と乾牧草を与えるタイミングや、牛に十分な居住スペースを与えるなどの工夫を重ね、薬剤なしでも十分に肥育できるノウハウを蓄積した。現在は、チクレンが子牛を購入し、畜産農家に預けて、チクレンのノウハウに基づいて育ててもらう方法で、常時約1万1000頭を肥育する。近年は非GMの飼料が手に入りにくくなることを予想し、トウモロコシや牧草の栽培にも着手する。
「私たちのような飼い方を目指したところはほかにもあったが、うまくはいかなかった。食欲増進などのための薬剤は『魔法の秘薬』と言われるくらい牛の成長が早く、病気の心配も少なくなるから、どうしても手を出したくなる。それを使わず、こんなに難しい飼い方をしている。ほかではまねができない。ただ飼っているのではなく、肉を『創る』イメージでやっている。方向性に間違いはない」と管野さん。
もう1パックで維持できる
子牛は和牛に比べて安価だが、非GMの飼料は割高で、薬剤を使わないため1頭から食用にできる量はやや少ない。手間暇のかかる難しい肥育法を選択し、コストは高く、実入りは少ない。ブランド和牛に匹敵する希少価値もある。
しかも「健康志向の高まりを背景に、脂肪交雑が多くない牛肉に対するし好も増えている」(平成22年度食料・農業・農村白書)というように、社会全体がかつての霜降り絶対主義から脱し、ヘルシーな赤身肉はトレンドにさえなってきている。それでも供給は減り続けている。
牛は成長を待ってくれず、生活クラブヘ供給されない分はハム・ソーセージの大手メーカーなどに安価で引き取られていく。チクレンのように特別な育てられ方をしていない肉と同等の扱いを受けては、あえて難しい肥育法を選択し高い飼料を与える意味も消える。
かつてBSE問題が全国を席巻し、ハム・ソーセージ向けの取引さえ停止したとき、生活クラブからは量は減ったものの注文が入ったという経験がある。
管野さんは「(生活クラブは安心・安全だと)信頼してくれた。BSEに比べ、放射能問題は長く続きそうで、私たちはさらに落ち込むかもしれないという不安を抱えている。全組合員の各世帯が月にもう1パックずつ多く食べてもらいたい。そうすれば、今の生産を維持できる」と話す。
生活クラブとチクレンが守ってきた「『安心・安全』の追求」から生まれる、ヘルシーな牛肉が生き残れるかどうかは、この1年が正念場だという。取材終了後、管野さんは「牛が駄目なら、鹿でも飼うしかないか」と冗談とも思えないことをぽつりとつぶやいた。
◆牛の都合に合わせる/放射性物質の検査もスタート◆
牛の肥育を委託している農場をチクレン北見事業所長の管野雅彦さん(51)に、北海道チクレンミート北見工場(北海道北見市)の食肉センターを工場長の伊藤隆浩さん(48)に、それぞれ案内してもらった。
■農場
チクレンが預託している22戸の農家で常時約1万1000頭のホルスタイン種の去勢された雄牛が肥育されている。訪ねたのは約450頭を育てている北海道佐呂間町の農場だ。
「毎日、手を抜かずに餌を与えることが大事。餌を与える時間を人に合わせるのではなくて、牛の都合に合わせる、牛の寝床をしっかり管理する、それで育ち方に差が出る」と管野さん。
牛舎にいるのは、生後約7ヵ月から20ヵ月ほどに成長した出荷間近の牛たちだ。ほとんどの牛は白黒のまだら模様のおなじみの牛柄。生後間もない若い牛たちは幼い顔をして寄ってくるが、出荷間近の牛たちは体が大きくなり、のんびりと寝そべり、人が入ってきても気にしない。ここで牛たちは大切に育てられ、おいしい牛肉になっていく。
「飼料を少し変えてみたから、牛の様子を気にしてて」。通りかかった農場職員にすかさず声をかけた管野さんは「私たちは水や餌を与えてただ飼っているわけじゃない。肉を創っている」と胸を張った。
■食肉センター
体重800キロほどに成長し出荷された1頭の牛はまず骨付きで約420キロの枝肉となり、骨と余分な脂を取り除かれて、最終的には1頭当たり225キロ程度の食肉となる。つまり牛の総体重のうち、食べられるのは3割にも満たない。
生後すぐに耳に付けられた札が個体識別番号となり、枝肉から部分肉に解体される過程でもバーコードで管理される。これがトレーサビリティーで、消費材として組合員に届いた段階でもどの農場からの出荷か識別できる「法律施行以前からやっていたことで、何ら問題なくできている」と伊藤さん。
「自信を持ってお見せできる」(管野さん)と言うように、保健所職員が常駐して衛生管理し、BSEや金属探知の検査も行われるなど、隅々にまで管理を行き届かせる。
今年9月には高価な機器を購入し放射性物質の検査も始まった。枝肉の段階で測定し、1日のうちで比較して高い数値が出た2体の枝肉の一部をミンチにしてさらに検査するというルールを定めた。もちろんチクレンでは汚染が問題となった稲わらを牛に育べさせておらず、問題視されるような放射性物質は検出されていない。
同時に全農場の放射能測定も順次進めている。福島第一原発事故の暗い影は遠く離れた北海道にも及んでいる。
『生活と自治』2011年11月号の記事を転載しました。