南のつくる人と北の食べる人が出会い、繋がって、力を出し合って、切り拓く未来。㈱オルター・トレード・ジャパン
提携品目:バランゴンバナナ、エコシュリンプ
◆黒いバナナから始まった
フィリピンの砂糖の島「ネグロス」から、日本で待つ私たちオルター・トレード・ジャパン(ATJ)のもとに、びっくりするような黒いバナナが届いたのは1989年のことです。素朴な農業を営んできた山の農民にとって、遠い海の彼方の日本へとバナナを送り出すことは気が遠くなるほど大変なことでした。当時、ネグロスの人たちの自立を応援するために民衆交易を始めようとしていた私たちの働きかけにこたえて、バランゴンバナナの生産者が「貧しくなんの力も経験もない自分たちに、そんなことできるのか?」という不安を抱えるなか、出荷は始まりました。ところが、数量が足りない、着いたらみんな真っ黒だった、軸がボロボロ……。そんな結果に絶望しかけているとき、「日本の消費者から『もう一度やってみよう!』と励ましが届きました。その支えがなかったら、今はなかった」と、当初から取り組むバランゴンバナナ生産者は言います。
本格的なバランゴンバナナの民衆交易が始まって22年。いま、3000人以上の生産者と300人に及ぶ出荷スタッフによって毎週、バランゴンバナナは送り出されています。さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、バランゴンバナナは生産者の定期的な収入源となり、生産者の生活はささやかに向上してきました。消費者に喜んでもらえるバナナをつくることを目指して生産者の農業技術もレベルアップしました。
生産者と消費者の交流を通して生協活動も学び、地域での生産者活動もぼちぼち生まれてきました。
2011年3月11日の東日本大震災の被災者のために、バランゴンバナナ生産者から3トンの支援バナナが届けられました。「20年以上にわたり、ネグロスの子どもたちを支えてくれた日本の皆さんの力になりたい」という生産者の気持ちが、生活クラブの協力のもと福島の子どもたちにも届けられました。
◆バランゴンバナナが地域を変えた
2012年9月、16年間、バランゴンバナナを日本に送り出しているネグロス西州の生産者のマカオさんが来日し、生活クラブの7ヵ所で交流会を開催させていただきました。
マカオさんは、「私はかつて生活のために森林伐採に関係する仕事をせざるを得ませんでした。バランゴンバナナの出荷が始まったおかげで、農業に専念することができるようになりました。持続的な環境のなかで食べ物をつくる農業はとても大切な仕事です。私は子どもたち全員にそのことを教えています。日本の消費者との信頼のある繋がりがあれば、後継者の問題はありません」と、300人以上の生活クラブの組合員さんに直接語りかけることができました。
また、交易が始まった当初にバランゴンバナナを出荷していたネグロス西州ラ・グランハのバイス地域では、出荷開始後1年で台風被害によりバナナは全滅、5年目にはバナナの病害が広がり、その後10年間、生産ができないという状況に陥りました。しかし今年、あらためて地域の有畜複合農業づくりを目指したバランゴンバナナ復興への取り組みが、親子2世代のタイアップで動き出しました。
このように、民衆交易は産地を変える力の礎ともなっているのです。
◆エコシュリンプの取り組みも20周年
私たちのもうひとつの消費材、水産物のエコシュリンプも取り扱いが開始されて今年は20周年にあたります。
インドネシアの豊かな自然の恵みと伝統的な養殖技術である粗放型養殖によって、何百年もの持続性のある生産ととびっきりの美味しさを生み出してきました。しかしながら、周辺地域の人々の生活の豊かさや開発の波は、川や海の汚染など環境の変化をもたらしています。
そうしたなかで生産性の低迷に悩む生産者も出てきています。今、エコシュリンプの生産者たちは、生活クラブをはじめとする生協との交流で「石けんキャンペーン」を学んだり、日本で資源管理型漁業に取り組む北海道との漁民との交流を深めています。若い世代を中心に、資源を利用する「粗放養殖」から、川上における植林やマングローブの再生、水管理を含めた「環境保全型養殖」の実現に向けた取り組みが始まろうとしています。
ATJは、これからもつくる人と食べる人が繋がって、持続的な地球環境と人の命と暮らしが守られる共生の社会づくりを目指します。
(2012年11月掲載)
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