【あれから3年】第3回「高橋徳治商店のいま」
「3.11」から3 年。生活クラブでは3次にわたるカンパを組合員に呼びかけ、それをもとに支援活動に取り組んでいます。この間の活動や現在の組合員や生産者の状況を5回にわたって報告します。3回目は「おとうふ揚げ」「おでんセット」などの生産者である(株)高橋徳治商店のいまを紹介します。(2014年3月11日掲載)
製品づくりへのこだわりが社員の成長に
昨年7月に完成した高橋徳治商店(宮城県)の東松島工場では、41人の社員が働いています。半年間募集し、この3月から1人が新たに加わり、水産練り製品のつくり方や機械の操作法を熱心に学んでいました。「社員は少しずつ増えていますが、被災したこの地域では人手不足が続いています。消費材の注文が多い時は、事務職も製造の応援をするなどして対応しています」と、社長の高橋英雄さんは説明します。
「震災前を越えるもの」をつくろうとする高橋徳治商店。製品の味を左右する微妙な塩加減は、毎朝、徹底して行ないます。高橋さんは「震災後に製造を再開してから2年5カ月が経ちますが、たとえば200kgの原料に対して20gの塩を加えるかなど、0.01%の調整を未だしつこいくらい実施しています。製品づくりにこだわることで、社員一人ひとりが何事も掘り下げて考えるようになりました。成長を感じています」と、顔をほころばせます。工場内には原料魚や揚げ油の香りがし、復興への確かな歩みを感じさせます。
弱き者の視点で歩む決意
しかし、工場の向かいには2000人弱が暮らす東松島市で一番の規模の仮設住宅が軒を連ねています。震災から3年が経ちますが、引っ越しができた方は2割弱程度。被災地全体では家がない方が26万7000人いると言われています。家のみならず、学校や病院など生活に欠かせない施設の建設も進んでいるとはいえません。仮設住宅に並ぶ駐車車両の数や干された洗濯物が、生活の復旧には時間がかかることを表していました。
「新工場では、生活クラブからのカンパを活用して太陽光発電パネルを設置しました。さらに蓄電池や非常用発電も整え、極力売電せず、自前でエネルギーを賄おうと考えたのです」
高橋さんがこのように考えたのは、いうまでもなく東京電力福島第一原子力発電所の重大事故がきっかけです。「目に見えない放射能の脅威にさらされている女の子が『私たちの未来を返して』と話した言葉が忘れられません。原発事故の現実をしっかり受け止め、行動でしめそうと私は心に決めたのです」
電源とともに、井戸水を自家用水としました。工場には当然、食べものがあります。災害が起きた時にはこれらを地域に提供しようと、高橋徳治商店は東松島市と災害時支援協定を結びました。被災した経験をふまえ「弱き者の視点で歩みたい」と考える高橋さんは被災地で増えている心的外傷後ストレス障害やうつ病患者の救済、児童虐待・障がい者支援団体との連携など、地域で共生するしくみをつくっていきたいと決意を新たにしています。