【あれから3年】第4回「共生地域創造財団の地道な支援活動」
「3.11」から3 年。生活クラブでは3次にわたるカンパを組合員に呼びかけ、それをもとに支援活動に取り組んでいます。この間の活動や現在の組合員や生産者の状況を5回にわたって報告します。4回目は生活クラブとグリーンコープ、ホームレス支援全国ネットワークの3 団体が協力し、震災支援と現地の復興、未来に向けた共生地域の創造を目的として設立した「公益財団法人 共生地域創造財団」の報告です。共生地域創造財団は漁業や農業などの復興支援を続ける一方、岩手県大船渡市では行政と協力して在宅被災者への訪問を続けています。自らも被災者である今井久美子さんと臼井亜希子さんは、見守り支援員(*)として息の長い活動に取り組んでいます。(2014年3月14日掲載)
被災者が支援する立場に
――おふたりとも被災されたと伺いました。
[今井] 大船渡市内の自宅が全壊し、2週間は親戚の家に身を寄せ、その後2ヵ月は体育館で避難生活でした。いまも仮設住宅での暮らしが続いています。被災後は何も考えられないし、夢であってほしいとずっと思い、現実を受け入れるには時間がかかりました。
[臼井] 自宅は“奇跡の一本松”があった陸前高田市で、私の実家が大船渡市。どちらも津波で全壊したので親戚の家で3日間、その後は被災を免れた夫の実家で生活していました。震災の2日後に自宅を見に行くと当然、跡形もない。でも、悲しんでいる余裕はありません。民間の借り上げ住宅への入居手続きをはじめ、やらなければならないことばかりでしたから。この逆境から這い上がってやる!という気持ちもどこかにありました。
――どういうきっかけで財団の仕事を始められたのですか。
[今井] 仮設住宅で何もせずにいるのが苦痛で、それから逃れるために毎日外に出るようにしていました。震災前の勤務先も津波で流されてしまったので、仕事を探すために通ったハローワークで共生地域創造財団(以下、財団)の仕事に出会いました。臼井さんもハローワークがきっかけです。
在宅被災者の現実
――具体的にどのような活動をされているのでしょう。
[今井] 財団大船渡事務所の支援活動の柱は、市の委託事業である「大船渡みらいサポート事業」です。多くの課題を抱えながらも支援が行き届かない在宅被災者の方々を中心とした、調査・見守りのための訪問活動がメインです。その数は700世帯を超えています。
[臼井] 私たち見守り支援員の活動は在宅被災者の生活状況を把握し、被災によって困窮・孤独・孤立状態におかれた方などを支援することです。私が担当しているのは40~50世帯。母子家庭、父子家庭、高齢者世帯とさまざまです。ホヤの養殖を再開したものの、ホヤは4年後にならないと収穫できないため、妻がパートに出て何とか生活している漁業者もいます。
[今井] 私は、高齢者世帯30~40軒を訪問しています。当初はふたり暮らしだったのに妻が倒れたとか、夫が亡くなられた方もいます。訪問すると2時間も話される方もいるし、「顔を見せてくれるだけでありがたい、安心できる」とおっしゃる方もいます。しばらく行かないと「体を壊したのかと思った」とこちらを気遣ってくださる方もいます。また、「これからも来てくれるの」と聞かれることもあります。見守りや訪問活動は、求められていると感じています。
時とともに変わる必要な支援
――支援はまだ求められているということですね。
[臼井] 地元出身なので、「あそこの母さんが救急車で運ばれたんだよ」といった情報がいまでも入ってきます。そういう場合にはすぐに訪問し、必要ならば財団単独か、他団体と連携して見守りやサポートをしなければなりません。支援は今後も求められると思いますが、支援されるばかりではなく、「何かをしたい」という気持ちの変化が被災された方々に起こっていると感じます。実際、昨年末には、支援物資を提供していただいた方へのプレゼントを在宅被災者が手作りしました。
[今井] 見守りや訪問活動の一方、サロン活動やコミュニティ農園など、被災者同士の交流と自立したコミュニティづくりのための支援もはじめています。
[臼井] 竹かごなどに和紙を張って柿渋を塗る工芸「一閑張(いっかんばり)」などをサロン活動で作り、販売できたものは生活資金の足しにしてもらっています。在宅被災者の中には精神的に参っている人もいるので、そういう場に誘い出すことも大切な仕事です。
――みなさんの活動が、共生する地域づくりのモデルになることを願ってやみません。
(2014年3月発行 復興支援ニュースより)
(*)*見守り支援員… 財団で一定期間の研修の受けたのち、在宅被災者を訪問して必要な支援プランを立てて、定期的な見守り活動を行なっています。