生活クラブの電気をつくる発電所―村の復興に挑む飯舘電力
(株)生活クラブエナジー半澤さん(左)と飯舘電力(株)小林さん(右)
生活クラブの電気の共同購入「生活クラブでんき」。その電気をつくる数々の自然エネルギー発電所の中に、東日本大震災後に福島県に誕生した2つの電力会社、会津電力(株)と飯舘電力(株)があります。前回(Vol.25)の会津電力(株)の紹介に引き続き、飯舘電力(株)の設立の経緯や生活クラブとの出会いなどを、(株)生活クラブエナジーの半澤彰浩代表取締役(生活クラブ神奈川 専務理事)に聞きました。
原発事故による全村避難を余儀なくされる中、村民が立ち上げた飯舘電力
前回のコラムで、生活クラブが会津電力(株)の佐藤彌右衛門さんと出会って、会津電力(株)の電気を生活クラブエナジーに供給してもらうことになった経緯を話しました。その佐藤さんが副社長を務める、福島県飯舘村の電力会社が飯舘電力(株)です。
ご存知のように飯舘村は、2011年の東日本大震災時の東京電力福島第一原発事故の放射能汚染により全村避難を余儀なくされていた地域です。その後、事故から6年経った昨年2017年3月31日に、避難指示が解除されたばかり。そんな、全村避難を余儀なくされていたさなかの2014年に、有志が立ち上げたのが飯舘電力(株)です。
失ったふるさとを取り戻す社長の小林さんの試み
飯舘村は、豊かな自然に恵まれた、農業と畜産が盛んな村でしたが、原発事故の放射能汚染により村民の暮らしは壊され、住む場所を追われ、農業も畜産業も継続できなくなりました。人がいない田畑は草が伸びて荒れ放題になったといいます。しかし、全村避難から3年ほど過ぎ、除染が進んで避難解除が現実的になってきた頃、「村民が戻ってきた後の暮らしを本格的に考えなければ」という気運が、有志のあいだから出てきたそうです。その一人が、現在、飯舘電力(株)の社長である小林稔さんです。
小林さんは元々、和牛を育てる肥育農家であり稲作農家。会津電力(株)の佐藤さんとは、小林さんが育てた飯舘の米を使ったお酒を佐藤さんの会社・大和川酒造でつくっていた縁で、以前から知り合いだったということです。2011年に原発事故が起きて飯舘村での米づくりができなくなったときには、小林さんが喜多方市の空いている田んぼに通ってお酒用の米をつくることもしたそうです。
帰村する村民のための産業を興し雇用と収入を生み出したいという思い
太陽光パネルの下で牧草を栽培するソーラーシェアリング
そんな中、佐藤さんが2013年に会津電力(株)を立ち上げた流れもあり、小林さんと佐藤さんを含めた5人が発起人となって、飯舘村に太陽光発電の会社を作ることになりました。そこにあったのは、いずれ飯舘村に人が戻ってきたときのために、村民が雇用と収入を手にできるような産業を興したいという強い思い。そして、飯舘の復興を自力で行っていくための、村民による村民のための会社にしたいというこだわりです。
ソーラーシェアリングで生まれた電気が生活クラブでんきへ
飯舘電力(株)は、主に「ソーラーシェアリング」による太陽光発電に取り組んでいるところが大きな特徴です。ソーラーシェアリングとは、農地の上に太陽光パネルを設置し、営農もしつつ発電をする方法。太陽の光を発電と農業の両方でシェアするというやり方です。飯舘では、太陽光パネルの下の農地で牛のエサとなる牧草を栽培するソーラーシェアリングで、発電と牧草栽培と牛肥育による収入や雇用を生み出し、地域で自立した経済を回すというモデルを作りつつあります。元々肥育農家である小林さんは、この春、飯舘に新しく作った牛舎に牛を迎え入れ、飯舘牛ブランドの復活をめざしているところです。
すでに会津電力(株)から電気を供給を受けていた生活クラブでんきでしたが、佐藤さんの紹介で飯舘電力(株)とのつながりも生まれ、まず2か所の発電所と契約をスタートしています。飯舘電力(株)は、「村民による村民のための会社」であることを大切にしており、発電所の設計・施工も維持管理も村民が中心になってやっているのがとても素晴らしい部分です。飯舘村のみなさんの思いが乗った、自然エネルギーによる電気を生活クラブで共同購入できることは、私たちにとっても誇らしいことだと思っています。
((株)生活クラブエナジー 半澤彰浩代表取締役 談)
【2018年7月9日】