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生協の食材宅配【生活クラブ】
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自分らしい暮らしと家族のかたちを 中村暁野さん ①

生活クラブの消費材をじょうずに使いこなし、家族も自分も心豊かにすてきな日々を過ごす。

そんな毎日を実践されている生活クラブの組合員にお話をうかがい、消費材を暮らしの中で活かすコツやアイディアも紹介する連載です。

今回ご登場いただく生活クラブ組合員は中村暁野(あきの)さん。7歳の花種(かたね)さん、1歳の樹根(じゅね)くんのお母さんであり、ご自身と家族で企画する雑誌「家族と一年誌『家族』」の編集長もつとめます。花種さんの小学校入学を機に、神奈川県と山梨県の境にある自然豊かな湖畔に家族4人で移り住んで1年半ほどになります。

★2回連載の第1回です。

食生活を見直したくて生活クラブに加入

―――中村さんは生活クラブ加入歴が長いとか。

子どもが生まれる前からの組合員なので、もう10年以上になります。入った当時はまだ注文が隔週でした。今は食べるものに気を使っていますが、昔からきちんと健康的な食生活ができていたわけではないんです。大学生のときにはその日口にしたものはチョコレートだけ、なんていう日もあるぐらい。その頃、夫と一緒に暮らし始めたんですが、夫も今よりも食に関心がなく、そのせいか二人して風邪気味などと体調が悪いことが多くて。「これではいけない」と、食生活を見直す意味も込めて生活クラブに加入しました。

左は生活クラブの食材で作った梅シロップ、梅の醤油漬け、あんずのシロップ煮。台所の洗剤は固型石けん1つ

―――その後結婚されてお子さんが生まれたんですね。

長女の花種が生まれたのが2010年の秋です。初めての子だし、家族の食について今まで以上に意識しないといけないなと考えていました。そんなとき起きたのが東日本大震災と原発の事故。花種はまだ5カ月でした。当時は東京で暮らしていて、自治体から「水道水は、乳幼児は飲まないように」という知らせが出たりして、放射能汚染の不安が大きく広がっていました。子どもが赤ちゃんだっただけに、食べ物のことには本当にナーバスになりましたね。

理想の家族像と現実のギャップで悩んだ時期も

―――原発事故の直後、小さなお子さんのいる方は特に神経を使われたでしょうね。

平和で安全なのが当たり前と思っていた日本で、初めて「子どもたちの未来を守れないかもしれない」ということに直面して、神経をすり減らしました。飲み水のことも食品のことも気をつけたいし、こうありたいという理想はあるのだけれど、そういったことを口にすることも憚られる空気もありました。その隔たりがつらかったですね。震災を機に社会は変わるだろうと思っていたのですが、自分が思う方向には進んではいかないこと、でも何もできない自分に孤独感と無力感を感じてしまいました。

―――ご家族にそんな中村さんの思いをお話することはありましたか。

うーん、その点では夫ともだいぶ温度差があるのを感じていて。夫と仲が悪いわけではないし家族で過ごす時間もそれなりに楽しいんですよ。でも、子どもの食べ物や社会に対する思いは共有できていない、と感じていました。忙しくて非協力的というのもありましたし、彼には彼のスタンスがはっきりあって、決してそこからブレない。自分の考えや立ち位置ははっきりしているからこそ、私の考えに対しても「好きなようにしていいよ」と尊重してくれるのですが。ただ、その頃の私には「家族というのは同じ方向をめざして一致団結するもの」という思いがあったので、夫に対して「どうして一番身近な人が同じ気持ちになってくれないんだろう」と不満がつのってしまって。

夫ととことん話し合ってお互いに変化が

―――孤軍奮闘している気持ちになってしまったんですね。解決の糸口は?

そんなふうに、社会や家族での自分の理想と現実とのギャップに悩んでしまう日々が3年ぐらい続いたでしょうか。夫は家にほとんどおらず子育ては一人で担っているような状況もあり体調を崩すほど悩んでしまったんです。それであるとき「このままでは無理」と夫に伝えたんです。夫はたぶん、私がそれほど悩んでいるとは思っていなかったんでしょうね、「え、そうだったの?」みたいな感じで。

そこからいろいろ話し合いました。夫婦で向き合う中で「夫婦が同じ方向を向いていなきゃいけない」というのは私の思い込みだったんだな、と思うことができました。夫の「僕にできるのは身近な範囲のことだからまず家族を平和にしたい」という言葉で気づかされたのは、私が「理想の家族」を追求するあまりに、結局一番身近な家庭の中でいさかいが起きてないかな? ということ。たとえば社会を良くしたい、なんて思っても、それぞれの人がそれぞれの「正しさ」を持っている中で自分の考えをぶつけるだけでは解決しない。考えの違う夫と歩み寄る努力をすることは、すごく小さなことだけど自分とは違う何かを認める、「社会をよくする一歩」かもしれない、と思うようになりました。

―――話し合ったことで中村さんの中で大きな変化が起きたんですね。

そうなんです。驚いたのは、話し合いをして1カ月ほどで、夫が会社をやめ、独立して仕事する道を選んだこと。そして私と夫、花種とも共同して作る雑誌「家族」の制作に取りかかり始めました。夫が会社勤めのときはとにかく忙しくて、夫婦共に時間にも気持ちにも余裕がなかったんです。話し合ったことで彼の中にも変化があったのだと思います。

引っ越しを転機に始まった新しい生活

娘の花種さんがご近所の方にもらってきたメダカの稚魚

―――引っ越しの話が持ち上がったのはそのあとですね。

花種の小学校入学を機に、今の場所に引っ越しました。

引っ越してみたら、予想していなかった変化が私自身に訪れました。この町の人たちには「地域で子どもを育てる」という意識が根づいている気がします。引っ越してきた当日、生後3カ月だった長男の樹根が大泣きして、でも引っ越し作業もしなくてはならないのであやすこともできずにいたら、お隣の方が「抱っこしててあげるよ~」と来てくれて。万事がそんな感じなんです。娘の学校は3年生までは送り迎えが必要なんですが、それも同じ学校のお母さんや近所の方にお願いすることもあります。みんな「まだ下に小さい子がいて大変なんだから頼っていいのよ。子どもの手が離れていった時に誰かを助けてね」と言ってくれます。

―――「おたがいさま」が根づいている土地柄なんですね。

娘の学校はお弁当やおやつを家から持っていく必要があるなど、親の関わる部分が多いんです。そうやって子どもの食に関わることは望むことでもありましたが、大変だろうなとも思っていた。でもここに来たら、確かに親のすべきことは多いのですが、それ以上にまわりの人と助けあえるのでむしろずっと楽になりました。それまでは「家庭のことは家庭の中で解決しなきゃ」と意識していた部分があったと思うのですが、まわりにも弱みを見せてどんどん頼れるようになった気がします。

新しい土地でも生活クラブを継続

―――引っ越してからも生活クラブは継続されているんですね。

引っ越し先で生活クラブを続けられたことも、心強かったです。ここは生活クラブがないエリアだと聞いていたので、慣れ親しんだ食材が手に入らないなんてこれからどうしよう……と思っていたんです。ところが引っ越してきてすぐ、挨拶回りをしていたら、生活クラブのコンテナが置いてあるお宅を見つけて。「あっ!生活クラブ!」と思わず走り寄ってしまいました。雨の日だったんですが、今でも夫に「あのときは傘を吹っ飛ばしてすごい勢いで駆け寄ってたよね」と笑われます(笑)。

東京に住んでいた頃は個別配送でしたが、こちらではグループでまとめて配送してもらう班配送を利用しています。ちょっと不安もあったんですが、近所の方とさらに仲良くなれたり、以前は参加したことのなかった生活クラブの試食会などの催しに行ったり、いいことがたくさんありました。

自分の食べるものを自分で考えて選べるように

―――以前ギャップがあったというご夫婦の考え方、今はいかがですか?

夫は自分が食べたいと思った時には何でも食べます。時には体あまりよくなさそうなものも(笑)。娘を誘って食べているときもあります。でもそのことにもう目くじらは立てないし、「私も食べる~!」と乗っちゃうときもある。そこは以前とはだいぶ変わりましたね。

ただ、折にふれて子どもたちには、「こういう食べ物にはこういう面で心配なこともあるんだよ」とか「ママがこの食べ物を選ぶのはこういう理由があるからだよ」ということを伝えるようにしています。食べることは社会の様々なことに繋がっているということを知ったうえで「今日は食べる!」という日があってもいい。でも子どもたちにはそうやって、自分の食べるものを自分で考えて選べる人になってほしいなと思っています。

*中村さんのお話は次回に続きます。

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◆中村暁野さん プロフィール◆
家族と一年誌「家族」の編集長。夫と花種さん(7歳)、樹根くん(1歳6カ月)と自然豊かな環境で暮らす。

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