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座談会・拝見!若手農家の胸のうち

生活クラブと青果物や農産加工品の共同購入を通して提携する生産農家が自主的に連帯し、結成した「西日本ファーマーズユニオン(FU)」や「紀伊半島エリア再生産組織(KARP)に参加する若手農業後継者3人が、現在の心境を存分に語り合った。

王隠堂正悟哉さん(41) 王隠堂農園 取締役 カット野菜製造場「オルト」専務
 

樫葉冬季さん(28) 紀州果宝園の生産農家
 

佐藤大輔さん(38) やさか共同農場代表
 

ーーどうして、農家になったのですか?

王隠堂 王隠堂正悟哉(おういんどう・まさや)です。実家は奈良県の西吉野で代々農家をやってきて、僕は43代目に当たるそうです。小さいころは祖父と祖母、両親、兄弟の7人で暮らしていました。父母は柿や梅などの作物を育てながら、その出荷から販売に至るすべての仕事を自分たちの力でやっていたこともあって、どちらかといえば僕は祖父母に育てられた気がしています。そのせいでしょうか、自然と「洗脳」されるように、幼い頃から自分が農業をするのは当たり前と思っていましたね。

早いもので今年41歳になりました。地元の高校を出て大学に進学し、在学中だけは好きにさせてもらおうと農業系ではない理系の学部で物理学を専攻しました。まあ、祖父母と両親に乗せられたレールの上をそのまま走ってきた感じですね。大学卒業後は王隠堂農園で働きながら、さまざまなところに研修に行かせてもらいました。働き始めて2年目に、父たちが「オルト」というカット野菜工場を立ち上げ、24歳からはカット野菜一筋に生きてきました。だから農業の現場に出て、実際に土に触れる機会はありませんでした。

そんな僕が農家といえるかどうかはわかりませんが、「農家の心」がわかる人間が自分の作物の加工をちゃんと請け負っているという意味では、他の加工屋さんとは違うと自負しています。今年でオルトを任されて15年目になり、新たに「ポタジエ」というフリーズドライ工場を立ち上げました。この事業もオルト同様に利益追求を一義とするのではなく、今後も農家が生きていくための「術(すべ)」になることが最優先課題と肝に銘じています。

樫葉 現在は果宝園、もと紀州大西園の樫葉冬季(かしば・ふゆき)です。温州ミカンの有機減農薬栽培に取り組んだ祖父が大西園を立ち上げ、後を継いだ父が果宝園に改称し、僕も果宝園の一員です。ふゆきという名の通り、まさにミカンの季節の生まれですが、子どもの頃から、まったく農業をする気はなかったですし、ミカン山にはときどき遊びに行く程度でした。

学校を終えてからは、東京でアパレル関係の仕事に就いたのですが、転職を考えていたときに「京都で人力車引きをしてみる気がないか」と知人に声をかけられ、嵐山で4年ほど人力車夫をしていたのです。そのころ、父が体調を崩し、週末は和歌山の紀の川市に帰って、ミカン栽培を手伝うようになりました。そうしているうちに、自分にもやれるんじゃないかと自信が湧いてきたのです。

僕は今年で28歳になりました。振り返れば、僕の場合「農業をやれ」と言われすぎて嫌になっていた気がします。そんな僕が自分の意思でやるといった農業です。とにかくちゃんとやりたくて、有機・減農薬栽培で知られた愛媛のミカン農家で2年ほど研修させてもらうことにしたのです。

研修先の選定も父に頼るのではなく、自分で調べて電話をいれ、応対してくれた相手の対応を見て考えようと思い、最初は今治市の農家のお世話になりました。そこの栽培法に感銘を受け、指導してくださる農家の方との相性も良かったのが理由です。その後、家族経営で5町歩(5ヘクタール)ほどのミカン山を耕している別の農家に弟子入りするように雇ってもらい、延べ2年間の研修を終えました。その師匠には、わからないことがあれば、いまも電話で教えてもらっているくらいです。

佐藤 島根県浜田市にある「やさか共同農場」の佐藤大輔です。今年で38歳になりました。僕の場合、実家は代々農家ではなく、家業を継ぐというよりも、そもそも農業の素人が集まって開いた農場が消滅せずに続いてきた流れのなかに身を置いているという感じです。ですから、すごく力んで農業を継ごうと思ったわけでもなく、前代表の父から「継げ」と言われたこともありません。

僕は「農業はやらん」と周囲には言っておきながら、農業高校に進学し、東京の農業大学に通わせてもらいました。それしか東京に行く方法がなかったというのが正直なところです。いま、樫葉さんが父親を頼るのでもなく、父親に教わるのでもなくという話をされましたが、実は僕も前代表の父親には似たような気持ちを持っています。

父はいまでも共同農場をさらに良くしていくにはどうするか、社会の価値観をどうすれば変えられるかと常に考えているのですが、それが僕には「わがまま」に見えることもあるわけです。でも、そうでなければ強いリーターシップは発揮できないという思いもあります。だから、前代表が父親でなければ、もっと素直に話も聞ければ教えも乞えるのになあと戸惑うことがしばしばです。

父は農場の経営には決して口出ししませんが、役所からの労働環境改善指導に対して、僕たちが耕作面積の削減で対応しようとすると「それで社会が豊かになるのか、地域が元気になるのか」と真っ向から反対します。結局、僕も農場を広げることに同意したのですが、地域で耕作面積を拡大しているのは、僕らだけですね。

ーーそれで、どんな農業を目指したいのですか?

王隠堂 僕らも自分たち王隠堂農園だけが続いているのではだめで、「地域」が元気にならないとあかんとよく話しています。僕らの農場や加工場がある奈良県五條市の人口はどんどん減っていて、主要産業の農業と林業も衰退産業になっています。だから、僕らの仕事だけが順調でも、これ以上人口が減ってしまったら、パートに来てくれる女性たちがいなくなってしまう恐れもあります。今までは僕らとJAとの関係は疎遠になりがちでしたが、ここ数年は「一緒にやれることをやりましょう」というふうに変わってきました。これも地域全体が残っていかなければどうしようもないという危機感の表れだと思います。

やはり農業だけでなく、行政サービスや商店がなければ人は暮らしていけません。だから総体なんですよ。農業にだけ焦点を当てても五條市はしんどいと思います。愛媛の「無茶々園」がすごいのは農業をやりながら、地域のための老人ホームや保育所といった「ゆりかごから墓場まで」のような取り組みに踏み出したことでしょう。農業を中心に据えた生活基盤づくりへの挑戦ですよね。

樫葉 僕の暮らしている地域では、ミカン農家はうちだけです。多くの農家が野菜やイチゴの栽培に力を入れるようになり、柑橘栽培を辞めていく傾向が強くなっています。僕が父からバトンをうけたときが正直一番ダメな時でした。うちでも5ヘクタールのミカン畑がただの「山」になっていました。お恥ずかしい話ですが、そこを自分で開墾し直すとのが僕の仕事になりました。まさにゼロからのスタートです。

自分でゼロから始めるかわりに、思った通り、やりたい放題やらせてもらうぞと、重機の免許を取って、山を切り開くところからやりました。いまは果宝園をはじめ、周囲のミカン農家の力添えには感謝していますが、いささか不満なのは、僕のように次世代がミカン農家を継ぐことが分かっていたのに準備を怠り、畑の維持管理に手を付けていなかったことです。自分がバトンを渡す立場なら、同じことはしたくありません。

いま、話に出た地域を元気にするという点については、まず身近に元気な農家がいないのが気になります。だから、せめて「自分が飛び抜けてやろう」と腹をくくっています。農業はあまり人の憧れの対象になる職業ではないでしょうが、僕はやりがいのある世界だと思っています。

ーー王隠堂さんと樫葉さんは、生産農家の連帯で地域の農業を守っていくことを目的に設立された「紀伊半島エリア再生産組織(KARP)」にも参加されています。

王隠堂 KARPがめざすのは、何よりも生産者の連帯です。僕らも農産加工をやるにあたっては農家同士の横のつながりをすごく大事にしてきたつもりです。カット野菜を手がけていると原料は産地リレーになりますから、北海道から鹿児島までの生産者との付き合いがあります。佐藤さんの共同農場との関係は「西日本ファーマーズユニオン(FU)」という生産農家の連帯組織を通して生まれました。

当初は私の父がやさか共同農場の前代表と愛媛の無茶々園代表、それに九州の農家とで横のつながりを持ち、やれることを一緒にやろうという集まりでした。FU では納品先への欠品を減らすための栽培法や作付け技術を書類にまとめて共有することからはじめ、配送の手間暇も減らす物流の効率化も図りました。

むろん、財布は別々で、やれることは一緒にやり、自立経営が基本です。要するに、一緒に商売をしているわけではなく、たまに顔を合わせて話をしながら勉強したり息抜きしたりする場なわけです。僕がFUに参加して痛感したのは、こんなに素直に仕事の話が聞けるのは、やはり、人のおやじさんだからだということですね。

佐藤 まったく同感です。父親には栽培技術とか機械の扱い方といった必要最低限のことは聞けても、今後のビジョンや夢の話となると、なかなか親とはできません。かといって、そうした話ができる先輩や同世代の農家が身近にいるかといえば、それも難しいのが現実です。だからFUを通してできた農家同士の関係は有り難いと思っています。

ーーいま、どんなことが気になっていますか?

王隠堂 カット野菜でいえば、スーパーなどの小売店の意識を変えてもらうことでしょうか。去年年末から今年にかけて(2017~18年)、天候の影響で野菜不足が続いています。カット野菜業界は我慢比べの状態です。最も多く使う原料のキャベツは国産です。その仕入れ値は普段は1ケース1,000円程度ですが、それが最大8,000円くらいになりました。

それでも欠品は許されませんから、購入せざるを得ないわけです。ひどいときには週に数千万円から億単位の持ち出しになっても製造出荷しました。これが何になるのか、この先に何があるのかと考えました。目先のことだけを考えれば、欠品は絶対に出さないほうがいいに決まっています。しかし、3年、5年というスパン(長さ)で考えたとき、いま自分がしていることに何の意味があるのかと悩みました。

そんなリスクが農業や農産加工業にはつきものだと世間は知っていますし、そうマスコミも報じています。でも小売店の店頭に行けば「キャベツ1玉を買うと高いので、カット野菜を買ってください」と貼り紙がしてあるわけです。だから驚くほどカット野菜が売れるという現実がある。こんな消費を繰り返していたら、とても生産者は持ちませんよ。僕らも「ものがない」と言っている農家に「これだけ作付したのだからどうにかもってきてよ」と、むしろ言ってはいけないと思っている言葉を口にしなければならなくなるのです。

このように小売店と消費者以外は喜ばない関係は続かないですよ。そんな関係を変えていける立ち位置にあるのが生活クラブ生協だと僕は信じています。だから、ひとたび何かあったときには、生活クラブには率先して支援物資を届けましたし、今後もそうしたいと思っています。その関係は農家の横のつながりと同じです。

佐藤 日本全国どこも同じでしょうが、僕のところも高齢化と労働力不足が深刻です。各地から元気な高齢者が僕らの暮らす弥栄地区にどんどん集まってきてほしいですよ。農業者が減り続けているために、これまではきれいに草が刈られて、見事な田園風景が広がっていたところに、どんどん草が生えてきています。その対策としてドローンを使った農薬散布をしたりもしているようですが、そんなことに手間暇かけるなら、別に草が生えていてもいいし、最低限刈らなければいけないところだけを刈ればいいじゃないかと僕は考えていますが、なかなか価値観の一致をみませんね。

僕は農業の強みは百の姓(がばね=職業)を持つ、つまり、どんな仕事もできる「百姓」という言葉に象徴されていると考え、日々の仕事をしています。勉強も運動も人並みの僕が、同級生の中で唯一トップをとれるのが田んぼと畑というフィールドです。そこで僕が身をもって知った農作物の価値を「高い、安い」「おいしい、まずい」という基準だけで判断せずに、「実際に田畑に足を運んで、見つめ直してほしい」と提案していくのも自分の役割だと思っています。

王隠堂 確かに労働力の確保は厳しくなってきました。すでに和歌山にも農家は作るだけ、集荷センターが人を派遣して収穫してもらっているというタマネギ畑があります。同じ事をやりたくても王隠堂農園では畑が広域に広がっているため、自分たちの力だけではどうにもできないというもどかしさを感じています。そうなると、海外から研修生にきてもらうという方法もきっちり考えていかなければならないでしょうね。

樫葉 当面、僕は最小限の人数でやっていくつもりです。収穫など必要な時には人に来てもらいます。そんなとき、この人たちは面白いと思って働いてくれているのかなと、いつも思います。やはり、楽しく仕事をしてもらう工夫が必要なのではないでしょうか。ただお金を稼いで帰りますでは、とても就農には結びつかないと思うのです。

なかには仕事中の会話もダメという農園もあるようですが、その考えに僕は反対。話ながら手を動かすのが一番ではないですか。農家には自分の身に付けた農業技術を人に聞かれても教えたがらないという人が多い気もします。

王隠堂 同じような話をよく耳にしますね。ですが、そういった風潮もかなり変わりつつあるのではないですか。僕の知り合いにキャベツ栽培の名人がいます。その人は普通の人が1反(10アール)あたり4~5トンの収穫量なのに10トンくらいとっています。「やり方を教えてほしい」とカット野菜を僕と一緒にやっている仲間が頼んでも「俺は絶対教えない。教えて欲しければ講師料をもってこい」と断られたそうです。

それは10年ほど前のことでしたが、3年ほど前から20代前半の子を弟子にしてくれたのです。その若い子が名人と同じ栽培法を身に付けて独立し、彼は学んだ栽培法を地域の同世代の農家に広めています。

ーーこれからどんな農業をしたいですか?

王隠堂 国内の流通はむろんのこと、今後は海外向けの流通も考えなければいけないかもしれません。それには生食用ではなく加工したもの、フリーズドライがいいのかどうかはわかりませんが、一つの手段としては考えられます。それ以前の問題として、この地域にちゃんと人の暮らしが残るのかという問題があります。だから、この紀伊半島に人が働いて暮らしていくための基盤を何としてもつくらなければなりません。それが今後の農業の果たすべき役割でしょう。「モノ」を作るのではなく「地域」をつくる農業を定着させたいです。

樫葉 実は知り合いに果物をまったく食べない女性がいます。その理由を聞いてみたら「子どもの頃に食べなかったから」と言います。何でもそうですが、子どもの頃にしたことを懐かしさから大人になってからもう一回やってみたいという気持ちになりますよね。そこがすごく大事かなと思う。だから、難しいかもしれませんが、僕はもっと子どもたちとつながり、もっとミカンを食べてもらえるような関係づくりをしたいです。

佐藤 僕も子どもとの関係づくりが重要なポイントになると考えています。子どもたちはじいちゃん、ばあちゃんの言うことだけはよく聞きますよ。じいちゃんたちが「農薬がかかってないのがうまい。だから、そういうものを食え」と言うと、難しい理屈を説明しなくても、子どもたちの心に不思議と響くようです。だから、地元の小中学校という「義務教育」の場でも、地元の農家が自信を持って農業の話をする機会を増やしてほしいと思っていますし、その働きかけを続けていきます。

同時に、いまの政治状況についての問題提起もしていかなければなりません。種子法廃止や日米物品協定(TAG)が日本の農業を根底から切り崩し、遺伝子組み換え作物(GMO)の普及を促進するという私たちの生活基盤を破壊しかねないものであると訴えたいです。

そんな話をすると笑われるかもしれませんが、子育てにはお金がかかり、とりわけ教育費は実に重い負担になるのが農家の現実です。そこで、僕たちの農業を応援してくださる方々に「僕たちの地域のためにお金を用立ててください。子どもを大学に行かせたいのです。ただし、ただでとは申しません、僕たちの育てた野菜やみそをお送りします」という関係性が消費地の皆さんとつくれたらいいですね。そんな物々交換を前提とする循環経済を日本に根付かせるのが僕の夢でもあります。

ーー本日はありがとうございました。今後のご活躍を期待しています。

取材:2018年 秋

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