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【600号特別企画座談会】組合員がつくる「生活者の新聞」として

生活クラブ生協の組合員が100円を個人払いし、自ら編集にも参加してつくる「生活と自治」。日々の暮らしのなかで、読者が必要とする情報とは何か。個人購読は、それを主体的に選び取る「投票行動」ともいえる。今月号で「生活と自治」が通巻600号を迎えたのを機に、編集委員会の3人が山田衛編集室長を交えて、その存在意義を改めて考えた。

■「生活と自治」編集委員 小倉香住さん・大久保ろりえさん・小林恭江さん

機関紙から脱皮して

小倉 「生活と自治」は、いつごろ発行されたのですか。

山田 1971年です。生活クラブの機関紙「声」を「生活と自治」に改題しました。当初は生活クラブ創立メンバーの一人である岩根志津子さんが「生活」とか「生活新報」という名称でガリ版刷りのニュースを発行していたのです。「生活と自治」と命名したのは生活クラブ生協初代理事長の岩根邦雄さん。「市民が主人公として生活を律していくとはどういうことなのか」をテーマにした情報発信のために、意図して硬質でとがったタイトルを付けたと聞いています。

その後、神奈川、埼玉、千葉へと生活クラブ生協は広がり、78年にはオリジナルコープ品「消費材」の開発といった各地の生活クラブ(単位生協=単協)に共通した事業を担う機構として連合事業部が設けられました。同時に「生活と自治」は生活クラブグループの連合機関紙として一元化されたのです。

大久保
 「生活と自治」憲章には、「生活クラブ連合会が情報事業の一つとして発行する協同組合による生活者の新聞」とあります。機関紙とはどう違うのでしょうか。

山田
 一般的に機関紙の役割は組織方針を構成員に伝えることにあり、執行機関が発行します。しかし、「生活と自治」は読者代表で構成される編集委員会が編集権を持ち、情報の送り手と受け手が主体的に関わってつくられる媒体です。まだ「生活と自治」が機関紙だったころは、岩根邦雄さんが毎月さまざまな問題を提起し、組合員の議論を喚起しました。1部100円の個人払い制度もその一つです。これは組合員の大反発と激しい討議を巻き起こしました。

その後、生活クラブ連合事業委員長となった折戸進彦(おりと・のぶひこ)さんは「個人が購入する以上『生活と自治』を組合員が納得する内容にしなければならないと考えた」と言います。組合員のさまざまな討議と支部大会の決定を経て、82年から「個人払い制度」の徹底を図り、機関紙から生活者の新聞への脱皮を進めたのです。

小林
 北海道は86年から「全員購読」を原則とする議論を始めました。自主的に購入する人が9%しかおらず、二度の総代会とさらに臨時総代会を開いて全員購読を決めたと聞き、私は100円を払って自ら必要とする情報を得る、一つの運動だったのだと納得しました。この議論が、その後、意思ある組合員が毎月100円を拠出する「福祉基金」の創出にも生かされたのだと思います。

山田
 86年は読者代表で構成する「生活と自治」編集委員会が設けられた年でもあります。有料化により財政的な基盤ができ、編集委員会の独立性を高めて、独自の調査や取材活動をしていこうとなったのです。

92年に生活クラブ連合会が設立されると、さらに議論が重ねられ、経営権を持つ生活クラブ連合理事会から、編集委員会に編集権が委譲されました。そのときの位置づけが「生活者の新聞」。読者である組合員が自分たちの問題意識に沿った媒体をつくっていくという意思表示だったと思います。

小倉香住さん(生活クラブ大阪)

組織意思と異なる角度で

小倉 生活クラブ大阪が連合会に加入した時は、「生活と自治」の全員購読に抵抗を感じる組合員もいました。だから、全員購読を基本とすることを単協の総代会で決定してから取り組むこととし、加入後1年間は組合員に「生活と自治」の意味を伝えるための直接的な働きかけをしたと、当時の理事が話してくれました。

山田
 そこがとても重要なのです。生活クラブ連合会が「生活と自治」を購読しなさいと一方的に命ずるのではなく、「こういうものがあるがどうするか?」と単協に諮り、真剣に議論をして、総代会で決定する。このプロセスがあってはじめて、情報の共同購入が実現してきたわけです。

関西の各単協よりも前に東北の単協が連合会に加入しています。いまも「総代会で決定していない」という理由で、全員購読を見送っている単協もありますが、その方針に連合会が踏み込み、干渉することもありません。

大久保
 単協方針は尊重すべきですが、そもそも「生活と自治」の存在さえ知らない組合員がほとんどではないでしょうか。「組合員が自分たちで編集している情報媒体がある」ということをしっかり伝えていきたいと思います。ウェブサイトもリニューアルし、若い世代には使いやすくなりました。友だちにSNSで伝えるなど、そうした場も活用できるといいのですが。

山田
 もちろん、一人でも多くの人に購読してもらいたいのはやまやまです。私は実際に読んでいるか、読んでいないかは別にして、100円を支払ってくれている組合員が「読者」であり、この媒体のオーナーではないかと考えています。

それから、読者代表である編集委員会の役割は何かといえば、自分の問題意識を語ること。組織におもねることなく、自由に発信することでしょう。「生活者」とは、まさに組合員に他なりません。だから、日々の暮らしのなかで自分が強く疑問に思うことを皆さんが生活クラブに集う人に発信できる「生活と自治」という媒体は、生活者の新聞なのです。

小林
 安全保障関連法案が可決されたころ、「民主主義って何だっけ?」という特集がありました。私たちの生活に関わる法案が、次々に多数決で決められていき、何が正しいのかとちょうど見失いかけたときでした。
紙面では編集委員が身近な人に「民主主義って?」と問いかけ、併せて委員会のまとめが掲載されていました。あの特集を読んで、編集委員が自ら調べてまとめた記事が、私が求めていた「考える材料」だったと、改めて思い起こしました。

小倉
 私が「生活と自治」を意識的に手に取ったのは、東日本大震災の特集号です。不確かな情報が出回っていた頃でした。知りたかったのは、そこで被災した方々の生の声ですが、合わせてその当時の生産者の様子も知ることができました。

山田
 いま、紙面企画の話が出ましたが、編集委員会で提案された企画がすぐに形になるとは限りません。しかし、企画をめぐって自由な意見交換ができる場があることが重要だと思うのです。

組合員の生の声をすくい取りながら、「いま世の中どうなっている?」「社会の仕組みを変えられるのか?」という問いかけが参加者全員でできるわけです。今後も「生活と自治」は読者代表の意思を反映した媒体であり続けなければならないでしょう。

大久保ろりえさん(23区南生活クラブ)

知りたい、知らせたい

大久保 高校時代に家庭科で食品添加物の勉強をして大変なショックを受けました。そのとき、「生活と自治」のQ&Aのコーナーにあった添加物の記事が貴重な情報源になったのです。私はその紙面から、問題を提起するだけでなく、それを自分たちでどう解決していくのかという消費者の責任もあると気づきました。

山田
 20年以上前ですが、私が編集室に異動した頃の編集長が、意識的に生活クラブの消費材と市販品との違いを取り上げていました。自ずと添加物や農薬の問題を多く扱うようになるわけですが、とりわけ印象に残ったのはグローバル食品メーカーの化学調味料の特集でした。

取材を重ね、化学精製されているから「化学調味料ではないか」と指摘すると先方は「うま味調味料」だといって譲りません。そのとき、編集長が付けたタイトルは「それでも『生活と自治』は化学調味料と呼ぶ」。正直たじろぎましたが、その潔さには感服しましたね。

小林
 私は、消費材の価値を伝える情報を発信していきたいのですが。

山田
 以前、消費材特集を発行したときには「あまりに機関紙的ではないか」という指摘もありました。しかし、生活クラブのことを取り上げたら機関紙になるとは私は思いません。先の食品メーカーへの取材と同じスタンスで生活クラブと向き合い、一方的な身びいきにならない記事を提示すればいいと思いますが、どうでしょう。

きちんと取材し、調べてみたら、生活クラブの消費材にはこういう利点があったという取り上げ方、書き方に徹し、商品社会の構造的な問題を明らかにすることが重要なのです。同時に「生活と自治」には生活クラブのオンブズマン的役割があると言われていることも忘れてはならないでしょう。

小倉
 連載陣の一人、森達也さんが「今の戦争はいつの間にか始まる」と指摘しています。戦争や平和をテーマに取り上げることは大切だと思います。

山田
 そうですね。平和は、共同購入運動の前提です。ただし、政治的な公平性・中立性を保つべきだという意見もあります。そうしたなか、以前編集長だった私が覚悟を持って取り上げた政治的なテーマがいくつかあります。

編集委員会がどうしても異議を唱えたい、とにかくおかしいという問題があれば、生活クラブの運動と事業に直接関係がないことでも「生活と自治」には書いてあるというケースがあってもいいのではないですか。

大久保
 それが読者代表で構成する編集委員会の存在価値ですね。私は「生活と自治」の編集は外部のプロ集団が担っているものとばかり思い込んでいましたが、今回、自分たちで新しいコーナーをつくるという体験ができました。読者として、知りたい、知らせたいという気持ちをもっと大事にしていこうと思います。

小林恭江さん(生活クラブ北海道)

撮影/永野佳世 構成/本紙・元木知子

「漂えど、沈まず」の精神

文/本紙・山田 衛

明治の文豪なら坂道を上りながら考えるところだろうが、当節の凡人は事務所の片隅で机に向かい、こう嘆息する。

智に働けば「難解」とそっぽを向かれ、情にさおさせば「主観的にして情緒的」と叱られる。意地を通せば「偏向的」と批判される。とかく「生活者の新聞づくり」は難しい。

そんな雑念にとらわれながら、毎月の取材執筆、編集に追われ、ようやく発行にこぎ着けたと一息つけば、「匿名の抗議」に気おされる。そんなとき、胸に去来するのは、こんな詩の一節だ。

「どうして100円も払って、こんなものを読まされるのか」と詰問される日々にもマケズ、「無料配布にしなさい」の叱責の声にもマケズ、ヒガシに「これで100円なら安い」という人あれば、「今後もめげずに出しますから」と誓い、ニシに「あの記事がよかった」という人あれば、「もっと次は喜んでもらおう」と奮い立つ。そういう「生活と自治」編集室職員にワタシハナリタイ。

むろん、現実はままならない。
これが機関紙なら、組織方針と事業・活動現況を伝えることに徹し、組織批判は厳に慎むべきところだが、こちらは「生活者の新聞」。読者代表で構成される編集委員の生活実感から生まれるテーマに沿い、場合によっては「獅子身中の虫」となって生活クラブに疑問を呈すのが「なんじの役割」とのたまう先人もおられる。

幸い、制作費は読者の個人払い制に依拠して捻出されるから、広告主へのびへつらいは不要だが、購読料の支払い主の意向には常に謙虚であらねばならない。はて、どうすれば26万人の有料購読者が「まぁ、よし」としてくれる紙面がつくれるかと頭をかきむしる日々が続く。

悩めども、悩めども、答えは見つからず。じっと手を見てもどうにもならず。ふと鏡に目をやればフランシスコ・ザビエルのような髪型をした自分が映る。
それでも漂えど、沈まずの精神でがんばるしかない。
山田衛「生活と自治」編集室長

「生活と自治」の50年~何を伝えてきたのか

1973年2月号 71年、「生活と自治」に改題した。
食糧管理法のもとでコメが「配給」されていた時代に、生産者と消費者との直接的な提携を呼びかけた。
1978年9月号 生活クラブ神奈川、埼玉、千葉が相次ぎ設立され、78年から統一版に。平田牧場との産直提携が、新たな食品流通を生み出したことなどを伝えた。
1986年8月号 82年に一人100円で購入する個人払い制度に移行。86年には編集委員会が発足した。生活クラブが長野、北海道、山梨などへと広がっていき、各地の組合員が表紙に登場した。
1993年3月号 90年に生活クラブ連合会が設立。92年には機関紙ではなく「協同組合による生活者の新聞」と位置づけられ、編集権が編集委員会に委譲された。当時の表紙には「生活者の新聞」と掲示されている。
1994年7月号 タブロイド判から現在のA4版へ。地球規模で起こるさまざまな問題と暮らしとのつながりを考える企画が表紙となった。
1998年7月号 96年に遺伝子組み換え食品の輸入が認可され、暮らしの中の化学物質も社会的問題に。添加物や農薬とともに、新たな課題についての情報提供が積極的に展開された。
2001年9月号 BSE(牛海綿状脳症)が国内で確認され、食品偽装事件も相次いだ時期。最新の情報と共に生活クラブ生協の遺伝子組み換え対策を特集した。
2007年2月号 生協法(消費生活協同組合法)の大幅な改正を受けて、日本の生協の実情と課題を探った。新自由主義的な競争社会へ転がり始めた時期。
2011年9月号 東日本大震災の発生から間もなく、福島第一原発の大事故が発生。放射能汚染により、日本の暮らしは一変した。巻頭のリレーエッセイで、「人間が基準にならなければ」と脚本家の山田太一さんが訴えている。
2016年1月号 安全保障関連法や米軍辺野古基地建設をめぐり、多くの人が「民主主義」について考えた年。5月号では、「そうだ!『選挙』に行こう」と呼びかけた。
2018年7月号 国連サミットで「持続可能な開発目標(SDGs)が、COP21では温室効果ガス削減に関する「パリ協定」が採択されたことを受け、新たに「生活クラブ消費材10原則」が策定された。
『生活と自治』2019年4月号の記事を転載しました。

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