チェルノブイリ事故から31年 当時のお茶を検査しました
今から31年前、1986年4月26日は、ソビエト連邦(当時)のチェルノブイリ原子力発電所で原子力事故が起こった日。今では日本でこの事故のことが語られる機会は減ってしまいましたが、このチェルノブイリの記憶を刻みこんだ「あるもの」が、30年以上経った今も生活クラブのいくつかの地域生協に保存されています。
それは、当時、チェルノブイリ原発から放出され日本にまで到達した放射能に汚染された、1986年産のお茶の葉。出荷前の段階で、生活クラブの当時の自主基準値を上回る放射能が検出されたため、供給停止になったものです。この度、チェルノブイリ原発事故から30年以上が経過したことを受けて、保管されていた茶葉の放射能をあらためて測定する試みが行われました。
86年産の日本茶から放射能が検出された当時の経緯
1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起きた当時、国は輸入食品に対する放射能の暫定基準値を370Bq/kg(ベクレル)としました。生活クラブは、国の基準のさらに10分の1である「37Bq/kg」を暫定自主基準値とし、自主基準値を超えた食品は供給をストップするという措置をとりました。この自主基準値により、イタリア産のスパゲティやトルコ産のローレルなど、供給ストップになった品目もありました。
そうしたヨーロッパ産ではない、1986年収穫の日本茶から、自主基準値を上回る放射能が検出されたのが翌年の1987年のこと。生活クラブにおける三重県のわたらい茶の検査で、最大で227Bq/kgのセシウムが検出されました。チェルノブイリの放射能汚染は日本にまで届き、特に、ちょうど一番茶の収穫時期にあたったお茶の葉が、大きく汚染の被害を受けた形です。227Bq/kgという数値は国の基準値以下ではあったものの、生活クラブの自主基準値は上回っていたため供給停止の措置がとられました。そのわたらい茶の量はなんと7.6トン。その時期の他の日本茶の多くにも同じように放射能が降り注いだはずですが、国の基準を超えてさえいなければ流通したと思われます。
放射能汚染のために、出荷できないお茶を7トン以上も抱えることになってしまったわたらい茶の生産者。この状況を受け、生産者と痛みを分かち合いながら問題を共に考えていこうという動きが生まれ、供給停止となったわたらい茶を生活クラブで引き取り、各地域の生活クラブに配布して原発や放射能について考える材料としていく、という活動になりました。お茶の取り扱いは各地域に委ねられ、配送センターでの展示や、催しで展示したりなど、さまざまな使い方がされました。
保管されていた86年産の茶葉の放射能検査を実施
▲マヨネーズの空きびんに入れて30年間保管されていたわたらい茶
そういった地域の生活クラブのうちのひとつ、神奈川県の横浜みなみ生活クラブでも、汚染されたお茶を当時からずっと配送センターに展示・保管していました。
今回、事故から31年、汚染の検出から30年ということを受けて、この保管していた汚染されたお茶を放射能検査にかけるという試みがなされました。放射性セシウムのうち、セシウム134は半減期(放射性物質の量が半分になる時間)が約2年、セシウム137は半減期が約30年なので、31年経ったお茶の場合、セシウム134は検出されずセシウム137は半減していることが予測されます。
検査は、横浜みなみ生活クラブの港南センターに保管されていた茶葉の一部を試料として、4/28(金)の夕刻から5/1(月)の早朝にかけて行われました。
検査結果は
■セシウム134 不検出 (検出下限値 0.15Bq/kg)
■セシウム137 23.0Bq/kg
というものでした。セシウム134が不検出なのは予測通り。セシウム137は1kgあたり23ベクレルという量が残っていました。
右写真:開封し検査用容器へ移されるわたらい茶
当時、セシウム134と137は0.55:1の割合で放出されたので、この結果から計算すると、この試料は31年前の事故当時、セシウム合計で1kgあたり71 Bq/kgの放射能汚染を受けていたと推計されます。1987年の放射能検査ではいくつかのわたらい茶の検体を測定したうちの最高値が227Bq/kgでしたが、茶畑の位置や斜面の向き、海抜高度などによっても汚染の具合は異なるため、当時71Bq/kgだったと推定される今回の茶葉の値はサンプルのばらつきの範囲と考えられます。(注)
当時71 Bq/kgだった茶葉の放射能は、30年経っても、23 Bq/kgまでにしか減りません。ここからさらに30年経っても、セシウム137の量が半減するだけなので、11 Bq/kgのセシウムが残ってしまうことになります。
一度汚染されたものからセシウム137が検出できなくなるまでには、永い年月がかかることの証明ともなる検査結果でした。
30年経過しても放射能が残る現実を教訓に
今回の、1986年産のわたらい茶の放射能検査結果は、汚染から30年以上が経っても消え去ることのない放射能の怖さをまざまざと感じさせるものでした。当時、わたらい茶の生産グループの代表だった鳥羽平悟さんは、7.6トン(約一千万円以上)の汚染茶を倉庫に抱え途方にくれながら、このわたらい茶を、再び放射能汚染を繰り返さないための活動にぜひ役立ててほしいと涙ながらに語っていたそうです。
日本国内で起きた東京電力福島第一原発事故もいまだ収束をしていない今、生活クラブでは、引き続き地道に消費材の放射能検査を続け、食品の安心と安全を届けていくことが大切だと考えています。そして、生活クラブでんきの共同購入などを通して自然エネルギーを推進し、今後も「原発のない社会」に向け確かな歩みを続けていきます。
【2017年6月9日】