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安保法制と自衛隊、米軍基地と憲法9条 沖縄を犠牲にした日本の「平和」を問い直す

ロングインタビュー
東京大学大学院総合文化研究科教授・高橋哲哉さん

安保法制と自衛隊、米軍基地と憲法9条
沖縄を犠牲にした日本の「平和」を問い直す


米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題をめぐり、沖縄県民は昨年8月の県知事選挙で「建設反対」を表明した玉城デニー知事を選出。その後に実施された県民投票でも「基地建設反対」の意思を明確に示した。にもかかわらず、日本の現政権は工事を強行する姿勢を改めようとしない。そこから見えてくるのは沖縄の「犠牲」を固定化し、米国の「属国」と化しつつある独立国日本のゆがんだ姿ではあるまいか。この現状を変えうる力の一つとして「米軍基地を本土に引き取る会」が各地で展開する市民活動をあげる東京大学大学院教授の高橋哲哉さんの思いに迫った。

憲法9条と日米安保がセットで支持されている現実

――「世界一危険な米軍基地」と称される普天間基地(沖縄県宜野湾市)の機能を辺野古に移設・大規模化するという日本政府の決定に対し、県民の意思を問う県知事選挙と県民投票が相次いで実施されたのは2018年、つい昨年のことですが、すでに本土の主たる関心事ではなくなっている感があります。その結果は新基地建設を即座に中止し、普天間基地の返還を求める沖縄県民が大多数を占めました。にもかかわらず、現政権は基地建設をいまなお強行しています。

この現実に胸を痛め、悔しいけれど自分には何もできないと悩んでいる人もいれば、沖縄県民には申し訳ないが耐えてもらうしかないとあきらめにも似た気持ちでいる人も多いのではないでしょうか。それが私たちの胸に無力感とあきらめ感を生み、そこから培われた傍観主義が民意を軽視する政府の権力行使を容認してしまう力として働いている気がししています。むろん、私もそんな傍観者のひとりですが、沖縄の基地を「本土に引き取る活動」に注目されている高橋さんの文章を拝見し、まさに目からウロコが取れたというか、「これだ!」と視野が開けた気がしました。


それはうれしいですね。つい先だって「沖縄の米軍基地を『本土』で引き取る!市民からの提案」という本がコモンズから出版されました。ひとりでも多くの方に手に取っていただきたい本ですが、そこには、現在、国内に11団体ある「引き取る会」の活動現況と参加者の肉声が収録されています。東京には「沖縄の米軍基地を本土に引き取る首都圏ネットワーク」があり、老若男女を問わない多様な市民たちが主体的な活動を展開しています。もちろん、まだまだ政治的な力はありませんが、沖縄をめぐる問題にコミットする運動のスタイルとしては、以前はまったく考えられなかった貴重な一歩ではないでしょうか。

なぜ、私が引き取る会に注目するようになったかといえば、日本には「憲法9条は守りたい。けれども同時に日米安保がないと不安」と考える人や「安保があるのは当たり前」と考える人が少なくないと改めて認識させられたからです。それは、たとえば2015年に戦後70周年を記念して共同通信社が実施した全国世論調査の結果に如実に表れていました。その調査はまず「憲法改正に賛成か」もしくは「今のままで良いか」と質問しています。結果は「今のままで良い」が6割、「変えるべき」が3割とダブルスコアで「今のままで良い」が多かったのです。

改憲については9条だけを対象にしたものではありませんでしたが、「いまのままで良い」ということは日本国憲法第9条も、そのままで良いということです。ところが、「戦後日本は米国と同盟関係を結んで日米安保体制を強化してきました。これについてどう思いますか」という質問には「もっと強化すべき」が20パーセント、「今のまま維持すべき」が66パーセントで合わせて86%が日米安保体制の維持を望み、「安保を廃止すべき」とした人は、わずか2パーセントに過ぎないとの結果が出たのです。つまり、「憲法9条を守る」「変えなくていい」が6割、強化と維持を合わせると「安保体制」支持が9割近くで、最大多数は平和憲法も安保体制も両方支持していることが明らかになったわけです。

このように安保は空気のような存在と化していて、そこに深刻かつ大きな問題が潜んでいると思うのです。いうまでもなく、沖縄では安保は決して空気ではありません。米軍機から落ちた部品が住宅地をかすめ、軍用輸送機のオスプレイが沖縄県民の生活圏に近い場所に墜落しても、米軍が謝罪しないというニュースが沖縄の新聞には連日のように出ているのです。沖縄では安保は安心して呼吸できる空気ではなく、むしろ危険な毒気として常態化してしまっているわけです。その沖縄と本土の違いがどこからきて、何を意味しているのかを踏まえ、沖縄の基地問題を考える必要があると思います。

沖縄戦(1945年3月~6月)の歴史を学ぶために、平和学習を兼ねた修学旅行などで、沖縄を訪ねる中高生は少なくありません。首里城とか平和記念資料館とかを回るようです。沖縄を知る第一歩だとは思いますが、はたして平和教育の中で「基地問題のリアリティ」がどれだけ教えられているのかと、疑問もあります。「沖縄戦で悲惨なことがありました」「戦争は2度と起こしてはいけませんね」はもちろんいいのですが、沖縄のなかに基地があるのではなく、基地のなかに沖縄があるという現実が、実際に行けば見えるわけです。なぜ、そうなっているのか、それにどういう意味があるのかを教えるのは難しいと思いますが、そこを素通りして皆が「平和はやっぱり大切ですね」というだけに終わってしまっているとしたら、とても残念なことです。

米国の国務省は海兵隊撤退を検討したことも

――過去の戦争を学ぶ、歴史に学ぶのは重要ですが、それを「いま」とつなげなければ価値は半減してしまうということですね。なかなか難しい課題ですが、その貴重な歩みの一歩が引き取る会の活動だということでしょうか。

そうです。ここで沖縄の歴史を簡単に振り返ってみましょう。米軍は沖縄戦で勝利し、そのまま居座った部分がもちろんあります。ただ戦後数年が過ぎた1950年代初頭には、米軍基地の9割が本土にあり、沖縄は1割でした。それでも沖縄の面積と人口を思えば、多いのは事実です。沖縄戦で米軍が入ってきたからですね。ところが、朝鮮戦争(1950年6月~53年7月)が休戦状態になってからですが、本土では米軍基地反対闘争が激しくなってきたのです。当時、米国政府と米軍は本土に核ミサイルを配備したかったようですが、あまりにも反基地闘争が広がっていため、これを力で押さえつければ反米運動に発展しかねないと懸念し、海兵隊や核ミサイルなどを沖縄に集中させたという見方が現在は有力になってきました。

反基地闘争だけが理由とは言い切れませんが、かなり重要な要因だったことが歴史研究者の努力で明らかになってきているのです。事実、米軍基地が本土から沖縄に移ることはあっても、逆はほとんどなかったですよね。民主党野田政権(2011年~2012年)の時も「沖縄海兵隊1500人を岩国に移す」という提案を米国がしてきたのに、当時の政権はこれを拒否しました。山口県と岩国市が反対したからです。ところが、岩国と同じように沖縄が「断固反対」といっても、日本の歴代政府は「じゃあ、止めます」とは言わないですよね。そこに大きな違いがあります。

それだけではありません。米国国務省は沖縄返還前後、あるいは95年の少女暴行事件後に沖縄で基地返還運動が盛り上がったときには海兵隊撤退案も検討しているのです。そのとき海兵隊を引き留めたのも日本政府です。「どうか、帰らないでください」と沖縄に引き留めた。これも史家の研究で最近明らかになってきていることです。結局、日本の歴代政権が米軍の沖縄駐留を望み、基地を沖縄に集約してきた。固定化し隔離してきた結果、現状があるわけです。そういうことが残念ながら知られていません。沖縄の新聞はそうした研究成果があれば一面トップで取り上げますが、本土のメディアは全然取り上げようとしないからです。


――沖縄の歴史のみならず、もはや60年安保反対闘争を知らない世代が増えています。61年生まれの私も社会科の教科書をはじめとする書物を通してしか知りません。

私も56年生まれで実体験としては知らないのですが、明らかなのは60年安保の時が日本の戦後史のなかで安保反対の声が一番盛り上がった時期ということです。それでも安保は廃止できなかった。先に触れましたが、50年代には関東地方にも数多く存在した米軍基地に対する反対運動があり、次第に関東の基地は整理縮小されていったわけです。その基地反対運動が安保そのものに対する反対運動となり、1952年に発効した旧安保条約を60年から改定・延長しようという日米両政府の目論みに反対する激しい国民運動に発展しました。デモ隊の国会突入、デモに参加していた東大生の樺美智子さんが亡くなり、さらに国民の怒りに火が着き、さまざまなことが起きました。

そのとき最大限盛り上がった安保反対運動も、結局、岸信介政権による新安保条約の成立を許してしまいました。岸首相は混乱の責任を取って退陣しましたが、その後の選挙で自民党は勝利し、次に出てきた池田隼人首相がぶち上げた「所得倍増計画」によって、高度経済成長の時代に入ります。その道を日本は突き進んでいき、「安保反対」の声は次第に小さくなっていきました。そして、とうとう戦後70年にあたる2015年の調査では「安保反対」2パーセントなどという数字が出てきてしまったのです。

戦争への危機感も高度経済成長のなかで薄れていき、本土の基地は整備縮小されて沖縄に固定化され、本土で暮らす人たちの周りから米軍がいなくなり、見えなくなり、安保も見えなくなったのです。安保が見えなくなればなるほど安保支持率が高まり、今日に至っているわけです。つまり、沖縄に基地負担を集中させればさせるほど本土では安保が見えなくなって、安保支持率が高まるという状況が続いてることになります。

しかし、言うまでもなく、日米地位協定は沖縄だけではなく、本土にも適用されています。にもかかわらず、米軍が周りにいない土地では、それがまったく意識されないのです。一方、沖縄では米軍絡みの事件や事故が絶えず起こっていますから、地位協定が常に意識され、これまでに何度も「改定すべき」と言ってきています。ところが、有権者全体の99パーセントが暮らす本土と、その有権者たちの支持によって成立している日本政府は、地位協定の見直しなど全然やる気がないまま、今日まできているのです。

沖縄県ではこの間、米軍基地を置き地位協定を米国と結んでいるドイツ、イタリア、韓国の事情を調べています。韓国は日本に近い部分もありますが、「日本よりはましだ」とされていますし、ドイツやイタリアは米軍基地のなかでも、国内法が通用するように交渉し、規定を変えています。それが日本ではまったく手が付けられていません。世界中で最も「不平等な」というか「治外法権的」な地位協定を持っているのが日本ではないかと思いますね。ただし、逆に日本もまた中東のジブチに自衛隊が常駐していて、在日米軍と同じような特権をもつ地位協定を結んでいるのですが。


――日本は米国の「属国」という声をよく耳にします。属国と「植民地」はどう違うのですか。

日本は米国の「属国」という指摘について、以前はやや過剰なレトリックと感じていましたが、沖縄のことを通じて、いわゆる「密約」を含む安保の実態を知れば知るほど、その通りだなと思うようになりました。

たとえば、比較的よく知られるようになってきたのが「横田空域」です。首都圏の上空に日本の航空法が適用されず米軍の支配下にあるために、日本の民間機が大きく迂回しなければならない巨大な空域がある。たとえばトランプ大統領が横田基地に直接降り立って入国する。米軍の兵士は最高司令官の大統領以下、パスポートの有無に関係なく、入国管理の対象にもならず、主権を有する独立国の日本に入国できるという異様な事態が最近ようやく意識されるようになってきました。まさに属国ですね。植民地というのは公式に主権が否定され、法制度的にも主権が認められないエリアを指します。たとえば朝鮮、台湾が日本の植民地だった時代には、かのエリアの人たちには主権がなかったわけですね。いまの沖縄の現状は、いささか強い表現ですが、植民地的状況にあると思うんです。主権は認められていない。政府は言葉では「地方自治の尊重」といいますが、沖縄で辺野古反対の知事が当選しても知事の意向は無視し、県民投票の結果が基地建設反対でも、そこに示された沖縄の民意を尊重しようとしていません。

いうまでもなく、日本は主権国家で国連加盟国、独立国なはずです。しかし、実態はアメリカに従属している、しかも自発的に従属しているわけです。16世紀フランスのエティエンヌ・ド・ラ・ボエシという人が書いた論考があり、「自発的隷従」について論じられています。人間が自発的に権力に隷従・奴隷的に従属していく危険性をボエシはずっと昔に指摘しています。

日本の場合は、まさに米国に「自発的」に「隷従」していると言うしかない。たしかに主権はあるのです。だから、その気になれば、日米地位協定は改定できるし、日米安保条約も10条の規定に従って、日米のいずれかが止めたいと言い出せば、1年後に止められるのです。地位協定の見直しは、多くの日本国民が「見直し交渉を米国とやるべきだ」と主張し、それを公約とする政権を誕生させ、彼らがタフに米国と交渉すれば変えられるはずなのです。
なぜなら、すでにドイツやイタリアがやっているわけですから。やろうと思えばできるのに、全くやる気がない。現状でいた方が得だと思っているんですね。これが日本政府であり、外務防衛官僚。そして日米安保体制の実態をあまり知らずに漠然と「中国、北朝鮮の脅威があるし、やっぱり米軍に居てもらわないと困る」と思っているのが国民の実態ではないでしょうか。つまり「この方がいいんだ」ということ。だから現状が固定化してしまうのです。

沖縄の米軍基地のみならず、最近は安倍政権のもとで奄美大島、宮古島、石垣島、与那国島など旧琉球王国の版図であった琉球諸島への自衛隊配備を進めています。現政権は「中国の脅威に備えるために、必要なのだ」と思わせようとしています。しかし、中国側からすれば、自衛隊の進出、ミサイル基地そのものが脅威になるわけです。事実、1年前に米朝関係の緊張状態が高まった際に、キムジョンウン氏が「日本に米軍基地がある限り、日本が攻撃対象になる」と発言しています。やはり問題は米軍基地の存在なのです。日本に米軍が駐留していることが、北朝鮮の攻撃対象になる第一の理由なのです。

そもそも自衛隊は米軍の補完部会

――世界一の軍事大国でロシアと並んで世界最大の核保有国である米国の基地が、自分たちの身近にあり、常に虎視眈々(たんたん)と自分たちの動きを監視しているわけですからね。


安保体制を維持する限り、日本は米軍の戦争に「付き合う」ことは避けられず、そこから来るリスクに付きまとわれることになります。現実に、戦後日本は、朝鮮戦争、ベトナム戦争(1950年代~75年)、湾岸戦争(1991年)、2001年の「9.11」後のアフガン攻撃、最近ではイラク戦争(2003年~2010年)など、アジアから中東までを睨んだ米軍の出撃基地になってきたわけです。沖縄や本土の基地から米軍が出撃して戦争を遂行してきました。

これらの戦争は、日本が攻撃されたから米軍が日本を守ってくれたわけではありません。日本はまったく攻撃されていないのです。ベトナム戦争しかり、イラク戦争しかり。ただ米軍の都合で米軍の戦争のために、本土と沖縄から出撃して行ったわけです。これはとりもなおさず、日本が米軍の戦争を支え、結果として米軍の戦争に加担し、米軍の戦争に巻き込まれ、日本も被害を受けるリスクを高める要因として働いていることを示しています。

米軍が戦争をしていれば、当事国のテロリストによって日本の米軍基地が狙われ、日本の大都市でテロが起こる可能性だってあります。原発が狙われる可能性だってある。要するに米軍と一蓮托生、運命共同体みたいになってしまうのです。米軍の戦争に加担するのは本来、憲法9条に反しますし、平和主義に反します。そして、最近ますます明らかになってきたのは主権国家でありながら米国の属国である日本の現実です。それは日米安保体制があるからでしょう。これらの理由から、私は安保体制は解消し、東アジアでの平和体制の構築を目指すべきだと思うのです。

しかし、直ちに安保を止めるのは無理でしょう。なぜなら国民の8割から9割が支持しているからです。安保解消を政策とする政権を作るのはとても簡単にはいかないのです。だからこそ、「沖縄だけが安保の当事者ではなく、国民皆が当事者なのです」と、本土から声を上げ、沖縄にある基地を引き取ろうという呼びかけが重要になってくるのです。なぜかといえば、安保体制を支持する本土の有権者が「イエス」と言って置いているのが沖縄の米軍基地だからです。そのことを先ず自覚するための「引き取り論」であり、安保を支持する本土の有権者が本来なら引き取るべきもの、本来は本土にあるべきものが米軍基地だという認識を共有する必要があるのです。

私たちは現在も沖縄に日々、米軍基地負担を肩代わりしてもらっているんですよ。押し付けている、まさに日々新たにそうしているんですね。それを一刻も早くやめる必要があるのですが、普天間基地という基地一つも「引き取れない」と言っているのが現状です。


安保体制と憲法との関係についてですが、実は「安保なき憲法9条」という状況は、日本国憲法が1946年に公布され、47年の5月3日に施行された後、旧日米安保条約が結ばれた1951年までのごくわずかな期間だけ存在していました。むろん、占領下ですから実質的には「安保」があった、つまり米軍はいたわけですが……。

そうすると、米軍がいない、いわば「日米安保のない憲法9条」という時代は実は一度も経験されていないのです。つまり、9条と日米安保はずっとセットで来ているのです。だとすれば、日本国民が本当に憲法9条を遵守し、平和主義を貫こうと思っているかどうかは、安保体制をやめてからじゃないとわからないのです。米軍に守ってもらっているという感覚がありながら、「憲法9条は重要であり、自衛隊は戦争していません」と言っているわけですからね。

私たちは一度も米軍なき、日米安保なき憲法9条の時代を経験してないのです。先ずは安保条約を解消してみないと、憲法9条を日本国民が本当に選び取るか分からないと私は思っていますし、安保がなくなった時、初めて本質が問われると見ています。安保を置いたままで、改憲か、護憲か、9条をやめるかどうかという議論をしても、ほとんど意味がないと私は思います。さらに自衛隊は発足時から米軍の補完部隊であり、最近になって一層米軍の一体化が進んでいることも忘れてはなりません。

日米安保条約の原案は米軍がつくったものです。それを見ると、日本が再軍備するときには「あくまで米軍の指揮下でやらなければならない」と書いてあるんですね。実際、朝鮮戦争のときに米軍が皆出払ってしまったので、日本の治安を守るために「警察予備隊」という自衛隊の前身が発足したのですが、この組織も米軍の将校が立ち上げたものです。だから、自衛隊の指揮権は有事になればおそらく現時点でも米軍にあるのではないでしょうか。日本が米国の属国状態であるというのは、すなわち自衛隊も米軍の補完部隊であるということであり、ここに安倍政権が安保法制を成立させた理由があります。

集団的自衛権を一部認め、米国が他国に攻撃されたら、自衛隊は米軍を助けることができるようになるというのですが、これは安保体制下では当然です。密約も含め日米安保体制の実態に表の法制を近づけて行っているのが安倍政治なのです。自衛隊と米軍は元々一体であるからこそ、辺野古米軍基地は将来的に自衛隊が使うことを想定しているし、与那国島や宮古島、石垣島に作られる自衛隊基地は米軍とリンクしているのです。こうした意味でも、辺野古基地は本土のためのもの、本土で暮らす私たちが沖縄県民の苦悩を意識しないまま、一方的に押しつけていることになるわけです。そして、だからこそ、その点を自覚した「引き取る会」の市民の活動がきわめて重要なのです。


たかはし てつや

1956年福島県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学。南山大学講師などを経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。「沖縄の米軍基地」「犠牲のシステム福島・沖縄」(ともに集英社新書)など、著書多数。


撮影/魚本勝之・大島俊一
取材・構成/生活クラブ連合会 山田衛

【2019年8月19日掲載】

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