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半世紀前から「健康創造」【平田牧場・平牧工房】


生活クラブと平田牧場の提携は「ポークウインナー」の「腐敗事故」からはじまった。当時は化学合成添加物や化学調味料を使った食品の生産がもてはやされ、生活クラブが豚肉の共同購入に取り組んだ1970年代半ばには作家の有吉佐和子さんの「複合汚染」が話題となった。こうしたなか、社会に先駆け「無添加」の畜肉加工品の共同購入を生活クラブは実現した。その背景には組合員と生産者、さらには専従職員の協業と分業があった。これが「国内の自給力を高めます」という生活クラブの消費材第3原則を形にする原動力ともなっている。

はじまりは女性の勉強会

東京の世田谷に「生活クラブ」が誕生したのは1965年。この年3月には市川崑監督の映画「東京オリンピック」が公開され、6月には新潟県を流れる阿賀野川の流域で、水俣病に似た有機水銀中毒の発症が報告された。

ベトナム戦争に反対する市民グループが「べ平連」を結成。作家の小田実や堀田善衛らが参加し、反戦の機運が高まったのも、この年だ。そんな時代に生活クラブは産声をあげた。

「はじまりは勉強会。身近な地域を望ましい方向に変革し、地域の主人公は市民とアピールしたい女性たちの学びの場だった」と話すのは生活クラブ生協連合会顧問の河野栄次さん(73)。生協設立前から生活クラブの活動に兄で生活クラブ埼玉初代専務理事の河野照明さん(75)と参加した。
「せっかく定期的に集まるのだから、牛乳をまとめ買いして、購買力を集めれば、中身の確かな牛乳がより安く手に入ると幼い子どもを抱えた母親たちに加入を積極的に呼びかけた」

生活クラブの牛乳は法令通りの「まっとうな品質」で、その牛乳が安く手に入れられるという評判は瞬く間に地域に広がり、「わずか6品目(現在は1000品目超)の食品や日用雑貨も扱った。そして会員が1000人を超えた1968年に組織形態を生活協同組合(生協)に改めた。1970年からはコメの産直に取り組んでいたが、当時は日本生協連のCO-OP商品のお世話になるしかなかった。当時の組合数と事業高では独自品開発は難しかった」と河野栄次さんは言う。
生活クラブ連合会顧問の河野栄次さん

無責任な生協に「喝(かつ)」

生活クラブ生協がオリジナル品の開発に動いたのは1972年以降。オイルショックで物不足が深刻化し、CO-OP商品の調達が困難になり、みそ、しょうゆ、洗濯用粉石けんなどの「Sマーク消費材」の開発に急ピッチで乗り出した。しかし、それらは「乾物」中心で、生鮮品といえば牛乳と鶏卵だけだった。

そうしたなか、人工着色料や保存料(ソルビン酸)などの添加物を使わない「ポークウインナー」を生産し、スーパーには無理でも「生協なら無添加の価値がわかるはず」と地元東北の6生協に販売したが、返品の山が続く苦境にあった平田牧場(山形県酒田市)社長の新田嘉一さんは、社会党(当時)の山形県議の紹介で生活クラブ理事長(当時)の岩根邦雄さんと出会う。

「会社がつぶれるかどうかの瀬戸際で、新田さんも懸命だった。しかし、当時の生活クラブには保管と配送のための冷蔵設備がなかった。そこで厳冬期の2月に実験取り組みの実施を決め、同じ生協陣営の無責任な生産者対応に『喝(かつ)』を入れてやろうとなった」と河野栄次さんは苦笑する。

1974年に実現したポークウインナーの実験取り組みには、一度の申し込みで5トン(東北6生協は月間2トン)の利用が集まった。だが、「先入れ先出しの不徹底でネト(腐れ)が発生。それでも組合員は『添加物不使用だから腐った』『生鮮食品が腐るのは当然』と捉え、本格的な共同購入の実施を希望したから驚いた」

庄内交流会での豚舎視察

完全無添加求め、所沢で実験

ポークウインナーの共同購入開始に当たっては、先の腐敗事故の発生を考慮し、その製造元で平田牧場の子会社「太陽食品」(現・平牧工房)と協議し、生活クラブは製品原料1キロ当たり1.2グラムのソルビン酸を保存目的で添加するとした。しかし、完全無添加の消費材を望む組合員の声が後をたたない。そうしたなか生活クラブ埼玉(さいたま市)所沢支部の消費委員会は自主的に比較保存実験を敢行した。

ソルビン酸は亜硝酸塩と併用した際に発がん性リスクが懸念される化学物質だ。亜硝酸塩は自然界にも存在するため、ソルビン酸不使用のポークウインナーが求められた。だが、保存料のソルビン酸を抜けば、そのウインナーは「保存食品」ではなく、腐敗リスクの高い「生鮮食品」と位置付けが大きく変わる。

所沢支部の消費委員会は、①完全無添加品の真空パック品②完全無添加品の簡易包装品③1キロ当たり0.6グラムのソルビン酸を添加した真空パック品④1キロ当たり0.6グラムのソルビン酸を添加した簡易包装品の製造を太陽食品に要請。併せて製品を保管する冷蔵庫の設置場所の温度を1日3回、冷蔵庫内の製品保管場所の温度を1日2回測定する組合員を募り、各条件下でのにおいや味の変化などを記録する実験を実施した。

その結果、真空パックか簡易包装かを問わず、完全無添加でも製造から7日から8日の保存は可能で、いずれも開封すれば3日目に異常が発生するとの結論に達した。この組合員自身による実験が完全無添加ポークウインナーの開発を進める大きな力となった。

協業の成果の無添加品

山形庄内地方との深い縁

農場の周囲に広がる水田

山形県庄内地方(酒田市、鶴岡市、遊佐町、余目あまるめ町(現・庄内町))と生活クラブの縁は深い。その起点となったのが、のしもち、丸もちの共同購入で提携関係にある余目農産加工(國井一典代表)創業者の國井清一さん(88)の勇気ある決断だ。1970年、國井さんは友人とコメや野菜を満載したトラックを走らせ、「自分たちの育てたコメや野菜を消費者に直接販売したい」と高島平など東京の団地を訪ねて回った。

ところが、ほとんど買ってもらえず、途方にくれる國井さんを救ったのが、新田さん同様、社会党所属の山形県議の紹介で出会った岩根邦雄さんと妻の志津子さんだった。

「東経堂団地で志津子さんが一声かけると、わらわらと大勢の人たちが集まり、あっという間にトラックの荷台が空になった。生活クラブはすごい」と、だれかれ問わずに國井さんは興奮気味に話して回ったという。その後、余目産のコメの購入が検討されたが、当時は法的にコメの産直が認められていなかった。

何とか生活クラブとコメ産直で提携できないかと國井さんは余目農協の幹部に訴えたがかなわず、同じ庄内の遊佐町農協(現・JA庄内みどり)とのコメ産直が1971年に実現している。

庄内地方の生産者との提携関係をより深めたのが、生活クラブの組合員が現地を訪ね、生産者と直接意見交換する場「庄内交流会」の実施だ。第1回目の交流会が企画されたのは1974年で、この年、平田牧場との間で豚肉の共同購入がはじまった。
「当時の親父おやじの力の入れようは尋常じゃなかった」と話すのは平田牧場社長で嘉一さんの長男の新田嘉七さん(62)だ。嘉一さんは生活クラブとの提携が決まると畜肉加工品メーカーの太陽食品を立ち上げ、生活クラブ向けの配送を担う物流会社の太陽食品販売(現・太陽ネットワーク物流)を設立した。

「父はいけると決めたら即行動の人。いきなり初回注文からポークウインナー5トンを注文してくれ、腐敗事故を生産者の責任だけにしなかった生活クラブにすっかりれ込んでいた。
そんな父に庄内交流会に参加した生活クラブの組合員が『こんなに衛生的に肥育され、健康そのものの豚の肉をぜひ子どもに食べさせたい』と訴えた。これに父は部位別販売は一切しない。頭と内臓を取り除いた枝肉をまるごと利用してくれるなら考えてみてもいいと応じたと聞いている」
平田牧場社長の新田嘉七さん
東京に戻ると組合員は「平田牧場の豚肉の共同購入を何としても実現したい」と生活クラブの事務局に何度も迫ったが「現在の力量では無理。安請け合いはできないと突っぱねるしかなかった」と河野栄次さん。

それでもあきらめない組合員に「どうしてもというなら、酒田から東京までの配送、各組合員への配送法、肉の分け方、値段の付け方、それらすべてを円滑に回せる無駄のない仕組みを自分たちで考案して実践してほしい。職員は一切関与しない」と告げた。

組合員は「豚肉委員会」を立ち上げ、一頭の豚から取れる肉を余さず消費するための部位バランス(ひき肉1キロ、カタ・バラ2キロ、モモ2キロ、ヒレ・ロース1キロが1セット)の注文方式を編み出し、それを順守した。部位別価格も市場価格を参考に自分たちで話し合って決めた。さらに配達の道案内まで組合員が引き受けるという商品社会には例がない「一頭買い」という画期的な購買システムを誕生させている。

安全・安心の「裏面」に目を

茂木敏彌さん
当時の養豚は人の残飯をえさに使う「残飯養豚」が主流で、子豚の確保も他者に依存するのが一般的だった。しかし、平田牧場ではコメや大豆かすなどの穀物飼料をいち早く導入した。同時に種豚を自社で育成し、自前で子豚を確保する自家繁殖に60年代後半から取り組んでいた。その大仕事を担ったのが、嘉一さんの義弟の茂木敏彌さん(79)だ。

「おまえの持っている1500坪の田んぼに豚舎を建て、種豚を肥育してほしい。そこで3品種の豚を交配させ、高品質でおいしい肉質の三元豚を作り出してくれないか」と請われてのチャレンジだった。

「先祖伝来の田んぼをつぶすとは何事か。おまえに豚の肥育なんぞできるわけがないと父親は大反対。借入金も3000万円(当時の公務員の初任給は3万1000円)と尋常ではなかったが、妻と義母は背中を押してくれた」
こうして開発されたのが嘉一さんが国内外で調達してきた黒豚(バークシャー種=B)や金華豚(K)にランドレース(L)、デュロック(D)と交配させた「平牧三元豚」や「平牧金華豚」だ。「B」も「K」も他の豚に比べて少産で、容易に太らず、生産効率を優先した肥育には適さなかったが、しっかりした赤みと深みのある甘さの脂が乗った肉質の豚になる。

それは「生産効率優先の論理ではなく、消費者の納得性を最優先した品種であり、それらの豚を健康に肥育して出荷するのが当社の基本理念」と嘉七さんは断言する。とはいえ、近年は過剰なまでの健康志向と栄養学の誤認から、脂質を敬遠する流れが強い。新田さんが力を込めて言う。

「当社の三元交配はもうけ至上主義に走らず、良質の脂身と赤身を消費者に味わってほしいという視点に立ち、生産された豚肉であることを多くの組合員に理解してもらいたい。とかく敬遠する人が多い脂質だが、むしろ、積極的に摂取すべきという医療関係者が増えてきているのも知っておいていただきたい」

そんな平牧三元豚を主原料に生産されるポークウインナーにハム、ベーコンは化学合成添加物と化学調味料不使用の逸材だ。新田さんはこう語る。

「ハム・ソーセージの発祥地の欧州では、ボツリヌス菌による食中毒を防ぐため、亜硝酸塩の使用が義務付けられている。日本のJAS(日本農林規格)法等も同様の措置を求めており、亜硝酸不使用の製品は無塩せきの表示はできても、ハム・ソーセージの表示での販売はまかりならんとされている」

こんな奇妙な食品行政がまかり通っているのが現実だ。また、亜硝酸塩やリン酸塩を使わずにハム・ソーセージを製造するのは、実に気骨が折れる仕事だという点も忘れてはなるまい。

「工場から組合員の食卓までの間で保管状態に支障があれば、重大事故に結びつくのは必至。このリスクを十分意識し、生活クラブの組合員には『安心・安全』なハムやソーセージを味わってほしいし、消費材の保管温度には留意してほしい」(新田さん)


撮影/魚本勝之   文/本紙・山田 衛

『生活と自治』2019年11月号「新連載 産地提携の半世紀」を転載しました。

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