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水俣より、甘夏みかんが運ぶメッセージ


熊本県南部の水俣市、芦北町、天草市の御所浦島で、生産者グループきばるが甘夏みかんを生産する。生活クラブが、その甘夏みかんを取り組み、生産者との交流を重ねながら、40年の時がたつ。

毎日みかん山へ

井川良一さんと京子さん夫妻。1000本近くの甘夏みかんの他に、グレープフルーツやスイートスプリングも育てている

12月半ば、熊本県の不知火海を望む山の斜面では、一面に植えられた甘夏みかんが、黄色に色づいていた。

甘夏みかんの提携生産者、生産者グループきばる(以下、きばる)の井川良一さんと京子さん夫妻、87歳になる良一さんの母親のサツ子さんは、水俣市の隣の葦北郡芦北町女島で甘夏みかんを栽培する。小さな入り江から見上げるように広がる園地はきれいに整備され、3人によるていねいな仕事ぶりがうかがえる。

甘夏みかんのはよく手入れがされ枝ぶりが良く、気持ちよさそうに日の光を浴びている。「遠くから見ると、緑の中に黄色い実が散らばっていて本当にきれいですよ」と京子さん。

良一さんが心がけているのは毎日みかん山へ行くこと。それは父の太二さんの教えだ。「きばるという組織の中で、一年を通じて甘夏みかんを作り消費者のみなさんに届けています。それはやりがいがあり、自分たちの生きがいにもなっています」

きばるの始まり

良一さんの父親の太二さんは、1990年に設立されたきばるの初代会長だ。

戦後は地元の精米所で米の配給の仕事をしながら、網元として漁師を束ねていた。しかしチッソ水俣工場が有機水銀を無処理のまま水俣湾に排出し、そこで取れた汚染された魚介類を食べた多くの沿岸住民が、有機水銀中毒にかかり苦しむことになる。1956年、最初の患者が公式に確認された「水俣病」は、68年、政府により公害病として認定された。

漁ができなくなった太二さんは、熊本県で50年頃から本格的に栽培されるようになった甘夏みかんの栽培を始めた。「海へ出られなくなった親父おやじたちは、完全に打ちのめされていました。甘夏みかんを作ることが生きがいになっていましたよ」と良一さん。最初は自宅の裏の敷地に苗を植え、次第に園地を広げていった。さらに松林だった山を開墾し、40年以上をかけて1000本近くの樹を植えた。

当初は農協の指導のもとに年間15回ほどの農薬散布をした。しかし水俣病という被害を受けながら、甘夏みかんを作る人たちは、大量の農薬を使う農法に従うことに疑問を持った。そこで77年、全国から水俣病の患者を支援するために集まった人たちが組織する団体「水俣病センター相思社」を事務局として、「水俣病患者家庭果樹同志会」を発足させた。無農薬栽培を目指し、生活クラブとの提携も始まり、出荷量が順調に増え、園地も広がっていった。

 
甘夏みかんの生産者、井川良一さん。「毎日みかん山へ行け」は父の太二さんから受け継いだ、みかん作りの基本だ
しかし、甘夏みかんの生育が悪いうえにカイヨウ病が多発して収穫量が激減した89年、同志会外から不足分を補てんした結果、一部に会の基準以上の農薬が使用されたものが混入してしまうという事態が起きた。

生産者と事務局は、お互いの実情を理解し合わないままに作業をすすめたことにより、消費者への信頼を失ってしまったことに気づいた。そこで再出発をすることを決め、90年、新たな生産者団体「生産者グループきばる」を組織した。有機栽培、低農薬による、できるだけ質の高い甘夏みかん作りを目指すことになる。

右写真:50年以上前、チッソ水俣工場が有機水銀を排出し汚染された不知火海。海底にたまった水銀ヘドロの埋め立て地で、野仏が静かに海を見つめる

変わる気候

きばる事務局の高倉草児さん。「きばるの初期の頃は、人が生きていくための甘夏作りだった。今はさらに、甘夏みかんそのものの価値が問われています」

現在は、水俣市、芦北町、天草市御所浦島の、25軒の生産者が会員だ。きばる独自の有機質肥料を使い、使用できる農薬は1年に5成分回数まで。9月1日以降は散布しないという取り決めがある。「甘夏みかんがテニスボールぐらいの大きさになる8月までは防除しますが、その後は絶対薬をかけませんよ」と井川さん。しかし、その後雨量が多くなると、黒点病が発生し、暑い日が続けばサビダニが猛威をふるう。せっけん水や木酢、海水から取ったにがりを散布して病害虫を防いだり、果実に袋をかけて、カメムシや鳥から守る工夫をしている。

2019年の夏は雨が多く、梅雨が2回来たような年だった。きばる事務局の高倉草児さんは、「このごろ春と秋がなくなってきました。夏が長いとダニが繁殖します。以前、農薬散布は7月まででしたが、気候が変わり1カ月のばした経緯があります」。気候変動の影響はあるが、農薬の使用量や使える期間がなしくずしにならないように、できるだけ今の基準は守っていこうと考えていると言う。

女性の力

きばる事務局の高倉鼓子さん。無農薬無肥料での甘夏みかん栽培に挑戦中

「甘夏作りの日々の作業は、女性が担うケースも多いんですよ」と、草児さんの妹で共にきばる事務局を担う高倉鼓子つづみこさんは言う。生産者家庭の中で、女性が日常的に園地での作業に当たる家は半数にのぼるそうだ。井川京子さんは、「子どもが小さい頃は、収穫の時に手伝いに来る人たちの食事やおやつの用意をしていました。草とりから手伝うようになったのは40歳を過ぎてからですよ」。義母のサツ子さんが20キロ以上もあるコンテナを、何段も簡単に重ねるのを見てすごいと思ったと言う。
植田真由美さんは水俣市月浦の小高い丘の中腹で、甘夏みかん、しらぬい、スイートスプリングなどの柑橘かんきつ類を栽培する。3人の男の子のお母さんでもある。園地に入るようになった頃に小学校1年生だった末っ子が、今では中学2年生だ。

真由美さんの夫、頼昭さんの父親の護さんは、きばるが結成された時のメンバーの一人。真由美さんは護さんから栽培を受け継いだが、義理の父親という遠慮もあり、試行錯誤しながらの毎日だった。鼓子さんは、「上の世代はそれぞれに自分たちの経験があり、積み上げてきた栽培技術を持っています。それがなかなかうまく伝わらないようです」と言う。

20年4月より、今の仕事を退職する頼昭さんが、本格的に園地での仕事を始める。真由美さんは「暑い季節に急な坂を上り下りしながら草刈りや防除をするのが一番大変」と言う。それでも「しんどせんごとせんなんね」と、あまり体がしんどくならないように、二人で力を合わせて長く続けられる方法を取り入れながら、甘夏みかんを作っていくつもりだ。

 
甘夏みかんの生産者の植田真由美さん。「甘夏みかんは樹になっている期間が長い方がおいしいですよ。草刈りをする5月ごろに食べるのが最高です」

作り続けた自信を胸に

だが、一方で、甘夏みかんの生産地の過疎化が止まらない。水俣市の人口は2万5千人。1年に400人近くが減少しているという。人口1万6千人の芦北町も同様だ。井川さんは、「この9月は亡くなった人が25人で、生まれた人は5人です。大学、高校を卒業して他で就職する人もいるので、1年間に300人ほど減りますよ」と教えてくれた。

植田さんの園地の隣も以前は甘夏みかんの農家だった。1町ぐらいの畑がとてもきれいに整備されていたが、主が亡くなり誰も手入れをしなくなると、5、6年後に雑木林になってしまった。そんな園地が少しずつ増えている。

きばるが結成された1990年、会員は53軒だったが現在は25軒。だが高倉草児さんは、「甘夏みかんが芦北町の田ノ浦という地域に導入されてから70年ほどたちました。一つの品種が地域に根付くのは難しいことです。生産する人たちがこれまで気概を持って植えて育ててきたからこそ、今があると思います」。簡単に手放すようなことはしたくないと言う。

新たに生産に携わる人たちも見えてきた。「品種改良された甘い柑橘類が出回り、消費者にとっては選択の楽しみが増えました。そんな中だからこそ、甘夏みかんは自分たちがずっと作り続けてきたものだと、胸を張って言っていきたいです」

 
急な斜面にあるみかん畑からは、不知火海が眺められる
撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子

届く想い

20年以上前に植えられた甘夏みかん。四方八方に枝を張り、たくさんの実をみのらせる

植田さんの1町3反の園地では、ヒヨドリがにぎやかにさえずり、ミミズを取るためにイノシシが石をひっくり返す。高い枝にはクモが巣をはりカメムシなどを取ってくれる。たわわに実ったしらぬいの木の前で、生産者グループきばる事務局の高倉草児さんが、「この実は出荷できると思う」と言うと、「本当に?」と意外そうな植田真由美さん。

柑橘かんきつ類はその年の気候により、病害虫が発生したり、生育状況が変わったりと、同じような状態で収穫を迎えられるわけではない。雨が多い年は、果皮の表面にぷつぷつと黒い点がつく黒点病が発生し、逆に乾燥が続くとダニがつく。アブラムシやカイガラムシによって、果皮の表面にすすのような汚れがつくことがある。干ばつの時は実が思うように大きく育たない。

きばるでは、農薬使用量を市販の約4分の1に抑えているため、病害虫の被害を受けやすい。黒点や汚れがついた甘夏みかんは、きばるの生産者が話し合って設けた出荷基準に沿い、出荷するかどうかをそれぞれに判断するのだが、程度によって迷うものが出てくる。また、取り扱う量やそれまでの経験の差によっても生産者の間で判断にずれが生じることがある。

そのため、収穫した甘夏みかんを持ち寄り、生産者と事務局と生活クラブで、基準に照らし合わせるのが「目合わせ会」だ。1年間手塩にかけて「きばって」育ててきた甘夏みかんだが、消費者が手にしたときのことを思いやり、出荷しても大丈夫かなと迷うことがある。黄色いきれいな皮の甘夏みかんを届けたいが、それには防除の回数を増やさなくてはならない。しかし自分たちは農薬に頼らないで安心して食べられる甘夏みかんを作りたい。生活クラブの組合員が、生産者のそんなおもいを受け止めながら40年が過ぎた。

「熊本弁に、『のさり』という言葉があります」と、まだ30代の高倉さんが地元の古い言葉を教えてくれた。いいことも悪いことも天からの授かりもので、それはいずれ恵みとなるというような意味だ。「農業を営んだり海へ漁に出ていると、豊漁であったり不作であったり、自分の力が及ばない多くの場面にめぐりあうのだと思います」

生産者の高齢化や地域の過疎化がすすみ、温暖化によって生育や発生する虫の種類やその時期も変わっていく。そうした現実を受け入れたうえで道を切り開いていこうとする。そんなきばるを、遠く離れた消費地で、今年も届く甘夏みかんを味わいながら応援したい。

 
撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子


『生活と自治』2020年2月号「新連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
 
【2020年2月15日掲載】

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