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もうひとつの沖縄戦「戦争マラリア」

【寄稿】私たちが国家の "捨て駒" にされる時 ―沖縄戦から75年、いま何を学ぶべきか―
 
ジャーナリスト・ドキュメンタリー監督 大矢英代

75年前、沖縄は激しい地上戦の渦中にあった。軍民合わせて約20万人が死亡し、沖縄県民の4人に1人が命を落とした地獄のような戦争だ。そのさなか、戦闘ではなく、日本軍の作戦によって病死した住民たちが3,600人以上もいたことはほとんど知られていない。

それは沖縄本島から南西に約400キロの海を超えた八重山諸島で起きた。この石垣島や波照間島などの島々からなる地域には、米軍が上陸せず、地上戦もなかった。にもかかわらず3,647人もの住民(総人口の1割相当)が死亡した原因は、日本軍が住民たちを風土病・マラリアの有病地に強制的に移住させたからである。これが沖縄で「もうひとつの沖縄戦」と呼ばれてきた「戦争マラリア」だ。

私が戦争マラリアを初めて知ったのは、2009年夏。ジャーナリストを目指す大学院生だった私は、石垣島の地元新聞社のインターンシップに参加していた。その際、米軍ではなく、味方であったはずの日本軍によって強いられた犠牲の歴史を知り、衝撃を受けた。すでに戦争マラリアの発生から64年の歳月が経過していた。体験者たちに直接会えるのは今が最後の機会なのではないか。彼らの肉声を映像で伝え残したい。そんな思いで一人、ビデオカメラを抱えて戦争体験者の家々を訪ねてまわるようになった。

西表島、南風見田の海岸。波照間島民が強制移住させられたかつてのマラリア有病地だ。海岸に広がるジャングル地帯に住民たちは粗末な小屋を建てて生活していた


「思い出したくもない。他を当たってくれないか」

そう玄関口で断られることも多々あった。なんとか口を開いてくれた体験者も、時に涙を流し、時に苦しみを浮かべ、言葉を絞り出すように記憶を語った。

「戦争マラリアはまだ終わっていない。それどころか、戦争の苦しみは体験者に一生付きまとい、苦しめ続けている。彼らの心に終戦はまだ訪れていないんだ……。」

体験者から話を聞くたびに、沖縄戦を過去の出来事だと思っていた自分を恥じた。現場に腰を据えて取材をしたいという思いから、2010年冬、大学院を休学し、日本最南端の有人島・波照間島に移り住んだ。戦争マラリアで当時の人口の3分の1にあたる約500人が死亡した。八重山諸島の中で最も大きな被害を受けた島だ。体験者たちとひとつ屋根の下で衣食住を共にし、サトウキビ畑で朝から晩まで一緒に汗水を流し、人間関係を築きながら、8ヶ月間ゆっくりと取材を重ねた。「本当は言いたくないが、あんたのためなら……」と体験者たちは苦しい記憶を紐解いてくれた。

戦争マラリアの取材を始めてから10年がたった今年2月、ルポ『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を出版した。

あれから75年がたった今、どうしてもこの本を社会に届けなければならないという危機感をもって書き上げた。それは戦争マラリアの犠牲が、今再び起きようとしているからだ。

波照間島の自宅で私を8ヶ月間受け入れてくれた浦仲孝子さん。サトウキビ農家の孝子さんと夫・浩さんとは、ほぼ毎日一緒に畑仕事で汗を流し、ゆっくりと強制移住の体験を聞き取りしていった。

住民は日本軍にとって「危険な存在」となった

マラリアとは、マラリア原虫をもった蚊に刺されることで感染する熱病だ。発病すると40度以上の高熱と悪寒に襲われ、悪化すれば死に至る。八重山諸島の人たちにとって「山に入ればマラリアにかかる」ことは周知の事実だった。駐留していた日本軍も、有病・無病地の場所を独自に調査、地図を作成するほど徹底した対策をとっていた。それにかかわらず、なぜ日本軍はマラリア有病地へと住民たちを追いやったのだろうか。

当時12歳、石垣島で強制移住を経験した潮平正道さんは、背景に日本軍の駐留と同時に始まった監視社会があったと話した。

「敵が来て爆弾を落されるのも怖い。でも戦争で一番怖いのは、国民同士がお互いに見張り合うこと。憲兵が住民を見張ること。兵隊はね、自分がいるところが敵に知られてしまえば、自分が殺されるという恐怖感をみんな背負っていたわけですよ。それが悲惨な事を起こしたわけ。戦争マラリアは極限の精神状態の中で起きたんです」

事の起こりは沖縄戦開戦の1年ほど前、大本営が沖縄を皇土防衛のための「不沈空母」と位置づけた頃にさかのぼる。圧倒的な戦力をもつ米軍に対し、敗退を重ねていた日本軍は、本土防衛の最後の砦として沖縄全土の要塞化を目指し、県内各地に日本軍の配備と基地建設を急ピッチで進めていった。

物資も人力も乏しい日本軍にとって頼れるのは地元住民だった。住民たちは、基地建設に欠かせない労働者となり、「現地自活」を基本としていた軍隊のための食糧供給を担う生産者になった。八重山諸島一帯を統括していた第45旅団司令部が置かれた石垣島では、比較的大きな民家には将校クラスの軍人たちが寝泊まりするなど、軍隊と住民の生活が混在する「軍民雑居」状況になっていく。 住民たちにとって、日本軍は「友軍」であり、尊敬と信頼の対象だった。

しかし、沖縄戦が近づくにつれ、石垣島では日本軍の航空基地を狙って昼夜を問わない空襲が頻発する。「いよいよ石垣島にも米軍が上陸するのではないか」と住民の間では、戦々恐々とした雰囲気が生まれはじめていた。

一方、日本軍基地が空襲を受けるたびに日本軍は住民に対する疑いを強めていった。「島内に米軍の手先がいる」「日本軍の配置情報を漏らしている」などの理由でスパイ探しが始まり、憲兵たちが住民の行動に目を光らせるようになっていく。 日本軍にとって軍事基地は防衛上の極秘施設。その建設を総がかりで担い、公私ともに軍隊と生活していたのは、石垣島をはじめ八重山諸島の各地から駆り出された一般住民たちだったからだ。日本軍にとって便利な労働者・生産者に過ぎなかった住民たちは、戦況の悪化とともに、敵に情報を漏らす可能性がある危険な存在と見なされていった。

当時、住民たちは四方を海に囲まれた島という逃げも隠れもできない環境下で、「敵に捕まれば、男は八つ裂きにされ、女は強姦されてから殺される」と島外から攻めてくる米軍に怯え、島内では敵に情報を漏らすスパイを恐れ、住民同士が互いを見張り合うようになっていった。なによりも自分自身がスパイだと疑われるのではないかという恐怖感に襲われていた。

そして1945年6月、八重山諸島の住民たちは「友軍」と呼び親しんでいた日本軍によってマラリア蚊が蔓延する山奥に押し込められ、高熱に苦しみながら次々と絶命していった。

かつての強制移住地、白水を案内する潮平正道さん。絵はマラリアで死亡した孫を墓地に運ぶ男性。潮平さんが記憶を元に描いた絵だ

「戦争マラリア」が問いかけるのは――

果たしてそれは75年前の昔話なのだろうか。

沖縄の地図を広げて見ると、ここ数年で新たな自衛隊基地が次々と建設されている。西から与那国島にレーダー基地(2016年3月配備完了)、石垣島ではミサイル基地の工事が進み、宮古島でもすでに存在する航空自衛隊基地に加えて新たに陸上自衛隊ミサイル基地が建設され、今年3月には部隊が配備された。さらに沖縄本島では既存の米軍基地32施設に加えて、辺野古新基地の建設が進められている。琉球列島の北に位置する奄美大島にも新たな自衛隊基地が建設された。それぞれの場所で反対の声をあげる地元住民たちを切り捨てながら、日米両政府による琉球列島全体の軍事基地化が強行されている。

2009年からの10年間、私が戦争マラリアの取材の中で出会った戦争体験者たちは、八重山諸島への自衛隊配備について誰もが危機感を持ち、反対の声をあげていた。 波照間島出身の玉城功一さんは「戦前と今は似ている」と語った。

「戦前は南から米国が攻めてくると言われました。今は西から中国が攻めてくる。あるいは北朝鮮が核で攻撃してくる危険があると。危機を煽っておって、それに対抗する武器や軍隊を持たないといけないんだと言う。そういう考え方だったらね、何のために日本国憲法9条があるのか。軍隊も戦争も、人殺しのためですよ」

与那国島に2016年3月に配備された陸上自衛隊レーダー部隊。配備をめぐり、島民は賛成、反対で二分され、地域に深い傷を残した。配備後も電磁波や弾薬配備などの懸念を抱える。

石垣島で強制移住を経験した潮平正道さんは、経済発展を理由に自衛隊に賛成する石垣市民について「軍隊と一緒に生活することがどういう状況になるのか、認識が甘すぎる」と憤った。

「秘密を持っている軍隊と、秘密を持たない住民とが同じ島で生活する。当然、住民は監視されますよ。『誰が情報を漏らしたんだ』と責められる。そんな恐怖感から、事実じゃないことがバーッと広まっていく。通常の生活などできなくなる」

「国防」の名の下に琉球列島を覆っていく軍事基地。それは「皇土防衛のための不沈空母」の名の下に、沖縄に日本軍基地が急ピッチで建設されていった沖縄戦前夜の光景と酷似している。戦争マラリアから今現在へと繋がるレールの上を私たちはもうとっくに歩き出しているのではないか。民よりも国体を優先した沖縄戦当時の国家のシステムは、今現在も地下水脈のように私たちの足元に脈々と続いているのではないか。

軍隊と住民が雑居した時に起きた悲劇。75年前の戦争マラリアの歴史が証明した教訓は、いまだ全く学ばれないままだ。

危うい時代である今こそ、沖縄戦を学び直そうと声を大にして伝えたい。それは「沖縄戦は残酷だった」と涙を流すことでも、「沖縄県民はいつも可哀想だ」と同情することでもない。問われているのは、75年前と同じ手段でまたも騙されつつある日本国民全員だ。私たちにとって、最後の砦は、歴史から教訓を得ることであり、今の時代を見極める知恵を得ることであると思う。いつの時代も国家の捨て駒にされるのは、私たち国民なのだ。


『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)
 
おおや はなよ
1987年千葉県出身。明治学院大学文学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズム修士課程修了。2012年より琉球朝日放送にて報道記者として米軍がらみの事件事故、米軍基地問題、自衛隊配備問題などを取材。ドキュメンタリー番組『テロリストは僕だった~沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~』(2016年・琉球朝日放送)で2017年プログレス賞最優秀賞など受賞。2017年フリーランスに。ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵との共同監督)で文化庁映画賞文化記録映画部門優秀賞、第92回キネマ旬報ベストテン文化映画部門1位など多数受賞。 2018年、フルブライト奨学金制度で渡米。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員として、米国を拠点に軍隊・国家の構造的暴力をテーマに取材を続ける。
2020年2月、10年にわたる「戦争マラリア」の取材成果をまとめた最新著書・ルポルタージュ『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を上梓。本書で第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞奨励賞。

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