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八ヶ岳山麓発、有機野菜 八ヶ岳やさい倶楽部【青果】


山梨県の八ヶ岳山麓に移住し、有機農業を営む人たちがいる。収獲期を見すえ、まくべき種と、まくべき時季は自分で決める。移住者たちが選んだ農業は、地域の先人たちの知恵を学び、「旬」を知ることから始まった。

八ヶ岳山麓で有機農業

山梨県北部の北杜市に広がる八ヶ岳南麓で、有機農業を営む13世帯のグループがある。「私たちは農薬も化学肥料も使いません」とサラリと言ってのけるのは、農事組合法人「八ヶ岳やさい倶楽部(くらぶ)」の面々だ。農家の後継者でもなく、農業の経験もなかったが、有機農業を目指してこの地に移住し、野菜の栽培を始めた。

農事組合法人として設立したのは2008年春。もともとは、北杜市で先進的な有機農業を実践していた農家とともに、02年より生活クラブ神奈川の店舗「デポー」に野菜を出荷したのが始まりだった。その後、会の名称を「八ヶ岳やさい倶楽部」とし、04年、生活クラブ連合会と提携を開始した。さらに06年には生活クラブ山梨とも提携する。

こうして安定した出荷先に恵まれたことを契機に、正式に法人格を取得し、経営的にも責任を伴う新たな出発を決意した。発起人代表の高嶺秀明さんは、「家業としての農業のままでは、農業の衰退に歯止めがかかりません。職業としての農業を進めていくために、新規就農を応援する組織をつくりたかったのです」と、当時を振り返る。職業として農業を選んだすべての若者が、その暮らしを成り立たせる収入を確保できる体制づくりを目指した。

共同出荷場に野菜を持ち寄る。八ヶ岳やさい倶楽部のメンバーではないが、有機野菜を栽培する農家も同じトラックを使い出荷する

これからは創意工夫

日本の農業の主流である慣行栽培は、栽培方法などに細かい約束事が多い。そのため、素人が初めて畑に出るにはとても敷居が高かった。「その点、有機農業はおおらかでした」と高嶺さん。「先人たちが守り育ててきた田畑であるなら、作物は採れるものです。農作業をする人たちのふるまいは、田畑への敬意に満ちていましたよ」。同倶楽部は旬を大事にし、多品目栽培を心がけ病気などによるリスクを回避し、有機栽培であっても美しい野菜づくりを目指した。
10年前、このような有機農業に出会ったのが、現在、代表を務める石川宏治さん。「自分たちは、最初から薬を使わない農業を教えてもらいました。虫も発生するし病気にもかかります」。防虫ネットを使い、病気にかかった苗は取り除くなど、収穫までの対策は物理的な方法に頼るのみ。それだけ作業に手間がかかる。

石川さんが就農した10年前は、葉物の小松菜、水菜などに防虫ネットは必要なかったそうだ。「八ヶ岳山麓は涼しくて気温が高い時期はほとんどないため、虫が発生しませんでした。けれど最近になって、そのころいなかった虫が見られるようになりましたよ」と言う。「年々暑くなり、雨の量が増え、野菜が作りづらくなりました」。気候の変化とともに今までの農法が通用しなくなってきた。

「農薬を使わない農法を続けていくためには、品種選びや作る時期などを試しながら、根気よく気候変動に対応していかなければなりません」

特に夏野菜は病気にかかりやすいので、常に複数の作物を作る。たとえばナスが採れなくてもトマトの生育が順調であれば、収益を上げることができる。また連作障害が起きないように、同じ種類の野菜を同じ畑に続けて植えない。このため、全体で出荷する野菜は、年間を通して40種類以上にものぼる。
八ヶ岳やさい倶楽部代表の石川宏治さん。「農薬をひとつも使わないことが参加のルールです。そういったベースをつくってくれた人がいたからこそ、自分たちはここで有機農業を続けられると思っています」

「地産地食」を合言葉に

コミュニティカフェ「たんぽぽ食堂」とは、5年以上のおつきあいになる。援農や交流会などをしながら、お互いの夢を語り合ってきた。右より、たんぽぽ食堂スタッフの明石泰子さん、八ヶ岳やさい倶楽部の佐藤三男さん、食堂スタッフの奥野純子さんと浅子衣左さん
八ヶ岳やさい倶楽部は、生活クラブ連合会や有機野菜を取り扱う小売店などに出荷する。特に生活クラブ山梨とは、直接に提携し、組合員との交流も盛んだ。生産者の畑ではジャガイモ掘りやサツマイモ掘りも企画され、子どもたちに大人気。草取りなどの援農も頻繁に行われている。収穫したダイズでみそを造り、小麦で麺を打ち、郷土料理の「ほうとう」をみんなで食べることもある。

生活クラブ山梨の理事長、上野しのぶさんは、地域の生産者ときちんとした関係をつくっていくことはとても大事だと言う。「異常気象や新しいウイルスの出現など、予想できないことが次々に起こっています。こんな時代だからこそ、組合員が参加できる形で、身近にいる食べ物を作る生産者を支えていきたいと思います」

同倶楽部は5年前より、北杜市にあるコミュニティカフェ「たんぽぽ食堂」にも野菜を提供するようになった。食堂のメニューの材料に使われ、店頭で販売もされる。スタッフの明石泰子さんは、「無農薬、無化学肥料で作る野菜のおいしさを、地域で伝えたいと思ったんです。食を真ん中に『地産地食』をすすめようとしています」と言う。野菜は主に佐藤三男さんから調達する。「佐藤さんが作るトマトは絶品です。手に入ったらソースを作り、次の日のランチメニューに使います。インゲンなど、おいしいだけでなく見た目もとても美しいですよ」

佐藤さんは同倶楽部設立当時のメンバーで、ただ一人の地元出身者。「年々、さまざまな要因で野菜の栽培が難しくなってきています。若い人たちはよく研究を重ね、努力をしていて、教えられることも多いですよ。私は無心で草取りをしています」。移住者が多い北杜市で、地域活動を進めるたんぽぽ食堂を応援したいとも言う。

「今は目の前の作業を日々こなしていくことで精いっぱいです」と言っていた代表の石川さんだが、設立当初の、地域に根差した有機農業を、という目的の実現に向かって、確実に前進している手ごたえを感じている。

八ヶ岳やさい倶楽部の生産者のみなさん。前列左より、佐藤三男さん、高嶺真美子さん、高嶺秀明さん、中森信康さん。
後列左より、兼子好治さん、森野晃広さん、石川宏治さん、堀勝さん、田川桐彦さん

撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子

農業に惹かれて


 
代表の石川宏治さんは、以前はIT関係の会社のサラリーマンだった。「子どもが成長するにつれて、自分でこだわりを持ってできる仕事に就きたいと、本気で考えました」。10年前に退職し、八ヶ岳やさい倶楽部に出会い、移住して有機農業を始める。「責任も結果もすべてを自分が引き受けるところに魅力があります」。移住者だが、地域ではあたたかく迎えられた。子どもたちは田んぼ道を通学し、畑の生き物も友だちだ。

田川桐彦さんは以前、北海道で畜産の仕事をしていた。八ヶ岳山麓で農業に就いていた親を手伝うため移住し、7年になる。「作った野菜を自分が食べることを考えたら、薬は使いたくありません」。きっぱりと言う。

コンピューターシステムの仕事をしていた兼子好治さんは、早期退職をした。家庭菜園を始めるつもりで実家がある北杜市へ来たが、農業に興味を持ち、そのままこの道へ進み15年が過ぎる。「有機農業は大変だと言われていますが、最初から薬を使わない栽培方法を教えてもらったので、他の農法と比較はできません。大変か大変でないかはわかりませんよ」

堀勝さんの仕事は、自然とは全く縁がなかった。仕事に疲れ自然に目を向けた時、農業に就くことを考えた。八ヶ岳山麓で有機栽培された野菜を食べたら本当においしかったのでここに来た。「楽しく暮らしていますけど、いいことばかりではありませんよ。やめてしまったらこの野菜を食べられなくなります。そう思って踏みとどまっています」

参加して11年目の中森信康さんは、有機農業に「豊かさ」を求めた。自然が豊か、食卓が豊か、お金が豊かの三つだ。道半ばだが、順調に目指す「豊かな暮らし」の実現へと向かっている。

森野晃広さんは地図関係の会社で働いていた。自分の人生を一度ゆっくり考えようと、1年間の旅へ出た。中国、ネパール、インド、アフリカを巡り、興味を持ったのは田舎の暮らし。ご飯を食べるために作物を作る、というシンプルな生活だった。「車を買うために何百時間も働くなんてことはありません。家族でのんびりと楽しそうに暮らしている姿を見ました」。日本でそんな生活がしたいと仕事を探し、農業にたどり着いた。「農家はそれぞれが独立した事業者です。今日の仕事を全部自分で決めます。サラリーマン時代より圧倒的に働く時間は多いですが、自分が選んだ仕事に迷いはありません」

一人一人に人生の物語があり、「農のある暮らし」への想いがある。


撮影/田嶋雅巳 
文/本紙・伊澤小枝子

『生活と自治』2020年9月号「新連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
【2020年9月20日掲載】

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