地域に根差して50年、 産地づくり、地域づくりを進めるエスコープ大阪
泉北ニュータウンを中心に走る路線バス。生活クラブの消費材の写真が全面に貼られている。エスコープ大阪本部には「見ましたよ」という声も組合員から届いているという(写真提供:エスコープ大阪)
日本が高度経済成長のただ中にあった1970年、大阪府南部、堺市から和泉市にかけて開発された泉北ニュータウンに、泉北生協が誕生した。2010年に生活クラブ連合会に加入したエスコープ大阪の前身で、今年50周年を迎えた。コロナ禍、多くのイベントを先に延ばしながらも、50年の歴史を振り返り、新たな一歩を踏み出そうとしている。
日本が高度経済成長のただ中にあった1970年、大阪府南部、堺市から和泉市にかけて開発された泉北ニュータウンに、泉北生協が誕生した。2010年に生活クラブ連合会に加入したエスコープ大阪の前身で、今年50周年を迎えた。コロナ禍、多くのイベントを先に延ばしながらも、50年の歴史を振り返り、新たな一歩を踏み出そうとしている。
ミカンが伝えるもの
エスコープ大阪の理事長 北辻美樹さん
(撮影:永野佳世)
(撮影:永野佳世)
「エスコープ大阪が初めて直接提携したのがミカンの生産者。その出会いは、その後の政策の基本的な考えとなったそうです」
そう話すのはエスコープ大阪の理事長、北辻美樹さんだ。50周年を記念し、同生協の機関紙「Ripple」(りっぷる、さざ波のようにおもいをつなぐ意味)では、共に歴史を刻んできた生産者と北辻さんが、産地づくりについて語りあう企画を掲載している。当時の組合員活動やこれまでの歩みを聞くほどに、その意欲と行動力には驚かされると北辻さんは言う。
中でもミカンの「全量消費」の印象は強い。提携のきっかけは、和歌山県の3軒のミカン農家が、村で農作業中の若者が農薬事故で死亡したことをきっかけに、減農薬のミカンを栽培し泉北ニュータウンに引き売りにきたことだった。生産者の考えに共感した組合員が「私たちが全部食べるから」と、ミカンの全量消費が始まった。今でも続いている「シーズン登録」という事前申し込みのシステムだが、数が約束した量に至らない年には、組合員が自ら玄関先に配って歩いた話も聞いた。「今ならそんな無茶な、と思いますけど」と北辻さんは苦笑する。価格や栽培基準を生産者と消費者で決め約束量を消費する「再生産可能な生産と消費」の実践の始まりだった。
そう話すのはエスコープ大阪の理事長、北辻美樹さんだ。50周年を記念し、同生協の機関紙「Ripple」(りっぷる、さざ波のようにおもいをつなぐ意味)では、共に歴史を刻んできた生産者と北辻さんが、産地づくりについて語りあう企画を掲載している。当時の組合員活動やこれまでの歩みを聞くほどに、その意欲と行動力には驚かされると北辻さんは言う。
中でもミカンの「全量消費」の印象は強い。提携のきっかけは、和歌山県の3軒のミカン農家が、村で農作業中の若者が農薬事故で死亡したことをきっかけに、減農薬のミカンを栽培し泉北ニュータウンに引き売りにきたことだった。生産者の考えに共感した組合員が「私たちが全部食べるから」と、ミカンの全量消費が始まった。今でも続いている「シーズン登録」という事前申し込みのシステムだが、数が約束した量に至らない年には、組合員が自ら玄関先に配って歩いた話も聞いた。「今ならそんな無茶な、と思いますけど」と北辻さんは苦笑する。価格や栽培基準を生産者と消費者で決め約束量を消費する「再生産可能な生産と消費」の実践の始まりだった。
要求する一方の消費者ではなく、共に責任を分かち合うことの意味を理解しようと、通年での援農や交流の場として、生産者が土地を提供し、組合員が特別出資で建設した宿泊施設「協同の家・下津」は今も使われている。ほぼ半世紀にわたりエスコープ大阪では、ミカンの季節には、新規加入者などに電話かけを行う。「まだそんなん、やってるの? と周囲から言われることもあります。でもできるだけ丁寧にこのミカンに込められた意味や思いを伝えたいんです。ミカン生産地も高齢化が進み廃業する生産者が増えていますが、私たちの生産者は世代変わりが進み、新たに園地を借りるなど産地の維持に向かっています。組合員の側も食べ続ける関係は次の世代につながっています。私たちのモデルが産地を巻き込んだ、新たなうねりになればよいと思っています」
コロナ禍の今、思うこともある。「世界中どこでも、自分の国の食料を確保するのはあたりまえ。今回の新型コロナ禍で、貿易にそれほど大きな影響がなかったのが不思議なくらいです」と北辻さん。食を輸入に依存する日本がこの先どうなるのか。いざ、自分のところで作ろうと思っても、すぐにはどうにもならないことは、この間の生産者との交流で身に染みて感じてきた。ミカンの木も5年、10年という時間を考慮し育てることが必要だ。産地の気候も激変して生産者も今までの経験だけでは対応できないなど生産リスクは増している。
自給率というとピンとこなくても、一番身近な果物、ミカンが気軽に食べられなくなるという現実に自分が直面することから、これからの産地づくりをみんなで考えていきたい」と北辻さんは先を見据える。
コロナ禍の今、思うこともある。「世界中どこでも、自分の国の食料を確保するのはあたりまえ。今回の新型コロナ禍で、貿易にそれほど大きな影響がなかったのが不思議なくらいです」と北辻さん。食を輸入に依存する日本がこの先どうなるのか。いざ、自分のところで作ろうと思っても、すぐにはどうにもならないことは、この間の生産者との交流で身に染みて感じてきた。ミカンの木も5年、10年という時間を考慮し育てることが必要だ。産地の気候も激変して生産者も今までの経験だけでは対応できないなど生産リスクは増している。
自給率というとピンとこなくても、一番身近な果物、ミカンが気軽に食べられなくなるという現実に自分が直面することから、これからの産地づくりをみんなで考えていきたい」と北辻さんは先を見据える。
生協を暮らしの道具に
コロナ禍、発生するさまざまな想定外の事象に翻弄(ほんろう)されながらも、エスコープ大阪では50周年を記念して、記念誌の発行、記念消費材の開発など、多彩な記念事業を計画している。その一つが、路線バスへのラッピング広告の掲載だ。紆余(うよ)曲折の議論を経て、発祥の地である泉北ニュータウンを中心に走る10台のバスに掲載することを決定した。
「創立時の組合員に思いは変わらずつながっていると伝えたいし、何より、50年間、地元に密着してきた生協ですと地域に知らせたい」と北辻さんは言う。50年かけて、身近に話し合える生産者との関係をつくり、食や環境、地域での助け合いの仕組みをつくってきた。多くの問題解決を進めていることを大勢に知らせたいし、暮らしの不安や課題、こうあってほしいという願いはまだまだ多く、これからも大勢の仲間を集め、解決を目指していきたいからだ。
この地域には「エスコープ大阪という道具があると気付いてほしい」と北辻さんは願う。「一人で問題解決をしなくても、同じように悩む人の思いが集まれば、何か少しでも社会の在り方にアクセスできます」
「人との出会いが一番の原動力」という北辻さん。次の50年に向け、大勢の仲間と共にエスコープ大阪のさらなる一歩を構想する。
★『生活と自治』2020年10月号 「生活クラブ 夢の素描(デッサン)」を転載しました。
「創立時の組合員に思いは変わらずつながっていると伝えたいし、何より、50年間、地元に密着してきた生協ですと地域に知らせたい」と北辻さんは言う。50年かけて、身近に話し合える生産者との関係をつくり、食や環境、地域での助け合いの仕組みをつくってきた。多くの問題解決を進めていることを大勢に知らせたいし、暮らしの不安や課題、こうあってほしいという願いはまだまだ多く、これからも大勢の仲間を集め、解決を目指していきたいからだ。
この地域には「エスコープ大阪という道具があると気付いてほしい」と北辻さんは願う。「一人で問題解決をしなくても、同じように悩む人の思いが集まれば、何か少しでも社会の在り方にアクセスできます」
「人との出会いが一番の原動力」という北辻さん。次の50年に向け、大勢の仲間と共にエスコープ大阪のさらなる一歩を構想する。
★『生活と自治』2020年10月号 「生活クラブ 夢の素描(デッサン)」を転載しました。
【2020年10月30日掲載】