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放牧禁止の基準改定止めたSNS のパワー

東京大学大学院農学生命研究科教授 鈴木宣弘さん

コメ、麦、大豆などの主要穀物の種子は私たちの「食」の源であり、私たちの「共有財産」であると考える人々の意見が会員制交流サイト(SNS) を通して広がり、政府が前のめりで進めようとしている種苗法改正に待ったをかけた。実は同様の動きが家畜の「飼養衛生管理基準」の改定をめぐっても起きていた。

放牧禁止規定にネット世論が猛反発


豚の疾病である「豚熱」の発生を受け、政府は2020年5月に「飼養衛生管理基準」に豚の「放牧中止」を盛り込みました。その内容は「大臣指定地域内に指定された場合の放牧場、パドック等における舎外飼養の中止」「放牧の停止又は制限があった場合に家畜を飼養できる畜舎の確保」を求めるというものです。これらの措置に対する国民の考えをパブリックコメント(意見公募)の形で募ったところ、放牧を営む農家はもちろん、全国各地から疑問視する数多くの声が寄せられました。通常、パブリックコメントは「ご意見拝聴」のアリバイ的なものになりがちですが、今回は種苗法改正のときと同様に会員制交流サイト(SNS)を活用したネット世論の力が発揮される異例の展開になったのです。

政府は激しい世論の反発を考慮し、最終案から「舎外飼養の禁止」を削除。「畜舎の確保」を「避難用の設備の確保」に変更するとともに「夜間にパイプなどで囲い、豚をまとめて管理できればよく、新たに畜舎を建てる必要はない」に改めました。私が過去に経験したかぎりでは、膨大なパブリックコメントを審議会の席上で配布し、内容を簡単に紹介して終わりというパターンが当たり前とされ、それに基づいて当初案を見直すための議論がなされたことは一度もありませんでした。これを「行政の柔軟性が高まった」と見ることもできるでしょうが、やはりインターネットを介した世論の高まりの成果と捉え、今後の政策議論の在り方に一石を投じたと受け止めるべきだと私は思います。

今回の飼養衛生管理基準改定に多くの人々が反対した背景には、放牧がアニマル・ウェルフェア(快適性に配慮した飼養管理)の最重要要素の一つであるという理由があります。ところが、農地面積の確保がままならない日本は放牧の推進が世界各国に比べて立ち遅れているのが実情です。アニマル・ウェルフェアは「グローバルGAP(農業生産工程管理)」認証の重要項目の一つで、その取得を日本政府も畜産農家に推奨しているわけですから、本来は放牧を進めるべきなのに今回の基準改定では放牧中止を求めるという矛盾した動きに出ました。その影響も少なからずあったのではないでしょうか。

「選択的購買力」と「財政支出」の両輪で


当然ですが、畜産の基本中の基本は家畜を快適な環境で健康的に飼養することです。にもかかわらず、前述したように生産効率至上主義の視点に立ち、ソーシャル・ダンピングやエコロジカル・ダンピングを当たり前とする工場型のメガ・ギガ畜産が増え、密接・密集・密閉の「3密」の畜舎飼いが拡大傾向にあります。これが感染症の要因となっていることが問題なのです。

スイスでは「ナチュラル(自然)」「オーガニック(有機)」「アニマル・ウェルフェア」「バイオ・ダイバーシティ(生物多様性)」や景観保護などの実践を徹底すれば、その製品価格が割高であることに理解を示して購入する消費者が多いと聞きました。その根底には環境や景観にも、人にも、動物や他の生物にも「やさしい」方法で生産された食品は「本物」であり、不安なく口にできるという感覚があるはずです。そうした消費者の「選択的購買力」に加え、スイスでは「やさしい」農業を営む農家を政府による財政支出で支えています。

かつて私が訪ねた農家は、豚の居住空間と寝場所を区分し、畜舎に自由に出入りできるように飼養することで230万円、農場と周辺の草刈り、樹木の手入れをして雑木林化を防ぐことにより、草地の生物を20種類から70種類に増加させて170万円の直接支払いを政府から受けていました。このように放牧を補助金で推進するのが海外の常識なのです。

今回の飼養衛生基準の改定をめぐる議論は養豚に限ったことではありません。「健康」とは人間に限らず、この世に生を受けたもの全てに通じる自然な願いであると思います。私は背に腹は代えられないとの思いから経営効率を高める酪農家の選択を否定する気は毛頭なく、なりわいを維持していくためには一定の効率化が不可欠なことも理解しています。同時にどんなに努力しても、さまざまな理由から厳しい経営を迫られるなか、牛の立場に立った農業、牛の身になった飼養ができないかといわれても「そんな余裕があるはずもなく、牛のことばかりを思いやったために経営が行き詰まったら元も子も無い」という現実があることも承知しています。

それでもあえて申し上げたいのは、牛は効率的に牛乳を生産するための道具ではないのです。十分な運動場が与えられず、乳を搾るだけ搾って搾乳効率が低下したら2回から3回のお産で食肉処理されてしまうという事実を考えると、何やら胸をふさがれるような思いにとらわれるのです。十分な放牧スペースがないまま、牛の頭数が増えれば飼養環境が好ましいものでなくなり、牧草地へのし尿の過投入という事態を招きかねません。こうなると硝酸態窒素が多く含まれる牧草が育ち、それを食べた牛が酸欠症でパタリと倒れる「ポックリ病」が発生し、年間平均約100頭が死亡していると西尾道徳著『農業と環境汚染』(農山漁村文化協会)は警鐘を鳴らしています。

「やさしい」酪農と畜産とは――


牛を酷使して生産効率を追求するという意味では、搾乳効率を高めるために遺伝子組み換え技術を使って開発された牛用成長ホルモン「rBST(recombinant Bovine  Somatotropin)」の問題も大きいと思います。その使用をめぐっては人への健康リスクが懸念されていたにもかかわらず、米国が「絶対に大丈夫」と主張しました。しかし、後になって前立腺がんや乳がんを引き起こす確率が高いことを示すデータが発表されたのです。これも牛の生理を無視して搾乳効率を上げるという過酷な手法の「つけ」が回り回って戻ってくるという証しといえるでしょう。

牛海綿状脳症(BSE)も同じです。牛乳の成分を人の都合に合わせて変えようと、本来は草食動物である牛に肉骨粉を与えるという人的な変更に及ぶという軽挙妄動の「つけ」というしかありません。つまり、自然の摂理に逆らえば逆らうほど環境や人間、家畜や他の生物の健康への悪影響は着実に大きくなるのです。
では牛にとって理想の環境はどういうものかといえば、「外気と同じ質の空気」「草原と同じ機能を持った牛床」「食う、飲む、横臥の自由」であるといわれています。だとすれば、一番の理想は放牧であり、問われているのは「少しでも理想に近づける」にはどうするかということではないかと思います。宅地化の流れにさらされ、広い農地の取得が困難な都市近郊の酪農家や畜産農家は別にして、多くの農家が環境にも家畜たちにも人にも「やさしい」農業に取り組める社会になってほしいと願う気持ちでいっぱいです。

「やさしい」酪農・畜産は経営効率の向上にもつながり、そのおかげで良好に保たれた景観は人々にやすらぎを与えるものでもあります。そのことはスイスの先行事例が実証済みです。また、近年では放牧を主体とする酪農・畜産が二酸化炭素を土壌中に貯留し、地球温暖化の防止にも一役買っていることが明らかになっていることも付け加えておきたいと思います。(談)


すずき・のぶひろ
1958 年生まれ。東京大学大学院教授。農林水産省、九州大学教授を経て現職。国民のいのちの源である「食」と「農」の価値を訴え、国内の一次産業を切り捨て、大企業の利潤追求を最優先する新自由主義経済への厳しい批判を一貫して続けている。著書に『食の戦争』( 文春新書) がある。

 
撮影・デザイン/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛

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