自慢の米と水で醸す、芳醇な酒【酒】
大和川酒造店の専務、佐藤雅一さん
2019年より、生活クラブ連合会との提携が始まった「大和川酒造店」は、福島県喜多方市にあり、創業は江戸時代、寛政2年だ。地元の水や自社農園で育てた米を原料として、酒を造る。太陽光発電を中心に、豊かな自然を生かしたエネルギー資源も酒造りに取り入れている。
「飯豊蔵(いいでぐら)」で安定した味を
飯豊蔵で酒を仕込む職人。左より、杜氏の佐藤哲野さん、蔵人の西村賢二さんと福田龍斗さん、杜氏を補佐する頭の板橋大さん
「うまい酒造りを心掛けていますが、その酒のうまさを常に安定させて造るのが、一番の仕事だと思っています」と話すのは、福島県会津地方の喜多方市にある「大和川酒造店」の専務、佐藤雅一さん。「酒は、その年に収穫した米を使い、気候も一定ではない環境の中で毎年仕込みます。飲む人が気に入っている酒を、いつも同じように味わってほしいのです」。大和川酒造店が30年前に、当時としては最新鋭の装置を備えた飯豊蔵を建設した時以来の、酒造りへの想(おも)いだ。
大和川酒造店は江戸時代の寛政2年(1790年)に清酒醸造販売を始めた。雅一さんの父、現在の会長の彌右衛門さんは9代目となる。
1980年前後に、喜多方市が蔵の街として全国に知られるようになり、さらに喜多方ラーメンで有名になると、観光客が多く訪れるようになった。創業以来、醸造所である酒蔵は街中にあったが、衛生面とこれからの酒造りを考え、新たな場所に移すことを決めた。90年、喜多方市の西の端の押切川を埋め立てた土地に建設したのが飯豊蔵だ。ここで精米から始めて、酒造りの全工程を行う。
仕込み蔵には、最大8000リットルのもろみを仕込むことができるステンレス製のタンクが5本並ぶ。以前は何人もの蔵人がかいを使ってもろみを発酵させていた仕事を、タンクに取り付けた4枚のブレードが回転してすましてしまう。
「約1カ月間をかけるもろみの仕込みは、温度管理がとても重要です」と雅一さん。冷やしたい時は雪や氷を使い、温めたい時はあんかを当てていた時代もあったが、ここではタンクが魔法瓶のような造りになっていて、そこを湯や冷水が通り温度が調節される。「機械は自動的に調整し、しかも正確です」
機械の力を借りて酒を造るが、微生物を相手に思い通りの酒を造るには、職人の、長年の経験と培われた技術、勘が必要だ。「飯豊蔵で酒造りを始めてから30年がたち、今は、自分たちで満足がいく酒を造っていますよ」
「うまい酒造りを心掛けていますが、その酒のうまさを常に安定させて造るのが、一番の仕事だと思っています」と話すのは、福島県会津地方の喜多方市にある「大和川酒造店」の専務、佐藤雅一さん。「酒は、その年に収穫した米を使い、気候も一定ではない環境の中で毎年仕込みます。飲む人が気に入っている酒を、いつも同じように味わってほしいのです」。大和川酒造店が30年前に、当時としては最新鋭の装置を備えた飯豊蔵を建設した時以来の、酒造りへの想(おも)いだ。
大和川酒造店は江戸時代の寛政2年(1790年)に清酒醸造販売を始めた。雅一さんの父、現在の会長の彌右衛門さんは9代目となる。
1980年前後に、喜多方市が蔵の街として全国に知られるようになり、さらに喜多方ラーメンで有名になると、観光客が多く訪れるようになった。創業以来、醸造所である酒蔵は街中にあったが、衛生面とこれからの酒造りを考え、新たな場所に移すことを決めた。90年、喜多方市の西の端の押切川を埋め立てた土地に建設したのが飯豊蔵だ。ここで精米から始めて、酒造りの全工程を行う。
仕込み蔵には、最大8000リットルのもろみを仕込むことができるステンレス製のタンクが5本並ぶ。以前は何人もの蔵人がかいを使ってもろみを発酵させていた仕事を、タンクに取り付けた4枚のブレードが回転してすましてしまう。
「約1カ月間をかけるもろみの仕込みは、温度管理がとても重要です」と雅一さん。冷やしたい時は雪や氷を使い、温めたい時はあんかを当てていた時代もあったが、ここではタンクが魔法瓶のような造りになっていて、そこを湯や冷水が通り温度が調節される。「機械は自動的に調整し、しかも正確です」
機械の力を借りて酒を造るが、微生物を相手に思い通りの酒を造るには、職人の、長年の経験と培われた技術、勘が必要だ。「飯豊蔵で酒造りを始めてから30年がたち、今は、自分たちで満足がいく酒を造っていますよ」
飯豊蔵。1990年に完成する。精米、こうじ造り、酒の仕込み、搾り、充てん、火入れの、酒造りの全工程を行う
もろみを仕込むタンク。自動的に温度管理ができる
仕込み中のもろみ。活発に発酵がすすんでいる
瓶に傷がないなどを確かめて、酒を充てんし、火入れへとすすむ
若き杜氏(とうじ)と蔵人たち
酒造りの仕事の流れを作り、搾りの時期を判断するのは杜氏であり、責任をもって仕事に当たるのは蔵人たちだ。
以前は季節になると新潟県から何人かの杜氏が来ていたが、飯豊蔵の杜氏は雅一さんの弟の哲野さん一人。3人の蔵人と酒を造る。全員喜多方市に住む30代だ。哲野さんは杜氏になり6年目。現社長である先代の杜氏の佐藤和典さんについて修業した。
飯豊蔵では15種類ほどの定番の酒と、季節によって特徴のある酒をいくつか造っている。生活クラブ連合会で取り組む「純米辛口弥右衛門」が造られ始めたのは15年前。それまでは甘口の酒が主流だったが、辛口が好まれるようになった頃だ。「弥右衛門は、全部の温度帯でおいしく飲めるように意識して造っています」と哲野さん。冷やすとキリッと辛口だが、温めると米のうまみによる甘みがひろがっていくように感じられる。それを、「閉じていた酒の味が開いてくるようだ」と表現した。
「酒を造るときは、いつもどのような酒にしたいかを考え、そのイメージに近づけるための材料や工程を選んでいます。今まで全くなかった味を出したいとか、試したいことはたくさんあります」。これまでの大和川酒造店の酒の味もしっかり守っていきたいと、頼もしい36歳だ。
以前は季節になると新潟県から何人かの杜氏が来ていたが、飯豊蔵の杜氏は雅一さんの弟の哲野さん一人。3人の蔵人と酒を造る。全員喜多方市に住む30代だ。哲野さんは杜氏になり6年目。現社長である先代の杜氏の佐藤和典さんについて修業した。
飯豊蔵では15種類ほどの定番の酒と、季節によって特徴のある酒をいくつか造っている。生活クラブ連合会で取り組む「純米辛口弥右衛門」が造られ始めたのは15年前。それまでは甘口の酒が主流だったが、辛口が好まれるようになった頃だ。「弥右衛門は、全部の温度帯でおいしく飲めるように意識して造っています」と哲野さん。冷やすとキリッと辛口だが、温めると米のうまみによる甘みがひろがっていくように感じられる。それを、「閉じていた酒の味が開いてくるようだ」と表現した。
「酒を造るときは、いつもどのような酒にしたいかを考え、そのイメージに近づけるための材料や工程を選んでいます。今まで全くなかった味を出したいとか、試したいことはたくさんあります」。これまでの大和川酒造店の酒の味もしっかり守っていきたいと、頼もしい36歳だ。
杜氏の佐藤哲野さん。「いつも、造りたい酒の味をイメージしています」
米も水も地元産
飯豊蔵で造られる、味も香りもさまざまな酒
大和川酒造店がある喜多方市は、会津盆地の北に位置する。標高2000メートル級の飯豊連峰を望み、その雪解け水は地下にしみこみ伏流水となる。それは豊かな湧水となって田畑を潤し、酒造りに利用される。
もう一つの酒の原料、米も地元産だ。
近隣の契約栽培農家が化学肥料を使わず、無農薬や減農薬で栽培する酒造好適米(酒米)を使う。2007年には、自社農園として、農業法人「大和川ファーム」を設立した。喜多方市内の約50ヘクタールの田畑で、うるち米、酒米、そばを栽培する。飯豊蔵で精米する玄米の約6割が、大和川ファームで生産される。酒造りの工程で出てくる米ぬかや酒かすは、農園の有機質肥料の原料となる。
栽培する酒米は、福島県生まれの「夢の香」や、以前は関西以西でしか栽培されていなかった「山田錦」など。飯豊蔵がある敷地内にある苗床では、栽培する稲の苗を作り、社員自ら田んぼに足を運び、田植え、草取り、収穫まで手をかける。
エネルギーも地元産で
専務の佐藤雅一さん。「これからの酒造りには、太陽光発電を中心に、自然エネルギーを生かしていきます」
11年3月11日。東日本大震災が発生し、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故が起きた。現会長の彌右衛門さんはその時、原子力発電による電気を、これまで何の疑問も持たずに、一つのエネルギーとして使っていたことに気づいた。
自分たちが酒造りをしている会津を改めて見回すと、豊かな自然環境がある。そこからエネルギーを作り出したいと考えるようになり、13年に「会津電力株式会社」を設立し発電事業を始めた。現在、小規模分散型の太陽光発電を中心に、福島県内に70カ所以上の発電所を持つ。
さらに14年、喜多方市の東に横たわる雄国山の山麓に、雄国太陽光発電所を建設し、17年より生活クラブエナジーに電気を販売するようになった。それからの交流がきっかけとなり、生活クラブ連合会で純米辛口弥右衛門を取り組むようになる。19年6月のことだ。
雅一さんは、「3・11後は、福島と言っただけで酒が売れない時期もありました。けれどそれは、会社としての酒造りに対する想いを見直すきっかけにもなりました」と、10年間を振り返る。「それまでは、大和川ファームを中心に栽培した安全安心な米で酒造りをして満足していました。それだけではなく、喜多方という地域で得られる米と水と人の技術を使い、エネルギーまで生産し、自分たちの力で酒を造っていることを消費者のみなさんに伝えたいと思いました」
持続可能な酒造りを考え、会社としてのSDGs(持続可能な開発目標)設定の検討も始めた。たとえば、飯豊蔵では重油を使っているが、それを木質ペレットなど自然エネルギーに変えていく予定だ。このような考えを、地域の中で、他の企業にも広げていきたいと言う。
零度前後の日が続き、1メートルの雪に覆われる喜多方の地で、酒を仕込みながら街の未来を描く若者たちがいる。
自分たちが酒造りをしている会津を改めて見回すと、豊かな自然環境がある。そこからエネルギーを作り出したいと考えるようになり、13年に「会津電力株式会社」を設立し発電事業を始めた。現在、小規模分散型の太陽光発電を中心に、福島県内に70カ所以上の発電所を持つ。
さらに14年、喜多方市の東に横たわる雄国山の山麓に、雄国太陽光発電所を建設し、17年より生活クラブエナジーに電気を販売するようになった。それからの交流がきっかけとなり、生活クラブ連合会で純米辛口弥右衛門を取り組むようになる。19年6月のことだ。
雅一さんは、「3・11後は、福島と言っただけで酒が売れない時期もありました。けれどそれは、会社としての酒造りに対する想いを見直すきっかけにもなりました」と、10年間を振り返る。「それまでは、大和川ファームを中心に栽培した安全安心な米で酒造りをして満足していました。それだけではなく、喜多方という地域で得られる米と水と人の技術を使い、エネルギーまで生産し、自分たちの力で酒を造っていることを消費者のみなさんに伝えたいと思いました」
持続可能な酒造りを考え、会社としてのSDGs(持続可能な開発目標)設定の検討も始めた。たとえば、飯豊蔵では重油を使っているが、それを木質ペレットなど自然エネルギーに変えていく予定だ。このような考えを、地域の中で、他の企業にも広げていきたいと言う。
零度前後の日が続き、1メートルの雪に覆われる喜多方の地で、酒を仕込みながら街の未来を描く若者たちがいる。
撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子
蔵と水の街、喜多方
喜多方市の街中にある「大和川酒造北方風土館」
飯豊蔵ができるまで、ここに住み、酒造りをしていた(大和川酒造北方風土館)
喜多方は、北に飯豊連峰、東に雄国山を望み、良質な水が豊富で米どころとして知られている。明治以前は会津若松から見て北の方角に位置しているので「北方(きたかた)」という字があてられていた。それが、喜びの多い方角、という意味で「喜多方」と改められた。
山々に囲まれた会津盆地の中にあるため、夏冬の寒暖の差が大きく四季の移り変わりが鮮やかだ。酒をはじめとして、みそやしょうゆなどの醸造業が盛んで、仕込みや保存をする土蔵が多く建てられていた。空気を通さない土壁は室内の温度変化を防ぎ、夏は涼しく、冬の寒さを和らげる。
蔵の街としても名を知られているが、特徴的なのは、蔵が仕事場や貯蔵庫として使われるだけではなく、暮らしの場ともなっていたことだ。畳を敷き、家具を置いた蔵は座敷蔵と呼ばれ、人々はそこで暮らしを営んでいた。
1990年に「飯豊蔵」が完成するまで、大和川酒造店が酒造りをしていた蔵が、喜多方市の街中に残る。現在は、「大和川酒造北方風土館」として一般に公開されている。江戸時代の寛政2年創業の老舗で、江戸蔵、大正蔵、昭和蔵と、増設されてきた堂々とした蔵を見ることができる。
張場を備えていた座敷蔵もあり、専務の佐藤雅一さんは幼稚園の頃まで、そこで家族と暮らしていた。酒の仕込みは朝早くから始まる。座敷蔵は仕込み蔵へと続いており、朝起きると、米を蒸す匂いや酒の香りがしていたという。
この地域は湧水が多く、北方風土館の敷地内も、流れる水の音が絶えることがない。飯豊連峰に降る雪が豊富な地下水をもたらしている。それは酒の原料となり、米どころ喜多方の田んぼをも潤してきた。
雄国太陽光発電所から少し下った所に、「恋人岬」いう名の、会津盆地が見渡せる場所がある。なぜ「岬」かというと、田んぼに水が入ると、そこはまるで海に突き出た岬のようになるからだという。日が沈むとき、田んぼがオレンジ色に染まる、初夏の夕暮れ時の絶景スポットだそうだ。刈り取りが終わったばかりの晩秋には、想像もできない風景だ。
四季折々の風景の中で、生まれ育った街を心から愛する人たちが造る酒が、飲む人をあたたかで幸せな心持ちにしてくれる。
山々に囲まれた会津盆地の中にあるため、夏冬の寒暖の差が大きく四季の移り変わりが鮮やかだ。酒をはじめとして、みそやしょうゆなどの醸造業が盛んで、仕込みや保存をする土蔵が多く建てられていた。空気を通さない土壁は室内の温度変化を防ぎ、夏は涼しく、冬の寒さを和らげる。
蔵の街としても名を知られているが、特徴的なのは、蔵が仕事場や貯蔵庫として使われるだけではなく、暮らしの場ともなっていたことだ。畳を敷き、家具を置いた蔵は座敷蔵と呼ばれ、人々はそこで暮らしを営んでいた。
1990年に「飯豊蔵」が完成するまで、大和川酒造店が酒造りをしていた蔵が、喜多方市の街中に残る。現在は、「大和川酒造北方風土館」として一般に公開されている。江戸時代の寛政2年創業の老舗で、江戸蔵、大正蔵、昭和蔵と、増設されてきた堂々とした蔵を見ることができる。
張場を備えていた座敷蔵もあり、専務の佐藤雅一さんは幼稚園の頃まで、そこで家族と暮らしていた。酒の仕込みは朝早くから始まる。座敷蔵は仕込み蔵へと続いており、朝起きると、米を蒸す匂いや酒の香りがしていたという。
この地域は湧水が多く、北方風土館の敷地内も、流れる水の音が絶えることがない。飯豊連峰に降る雪が豊富な地下水をもたらしている。それは酒の原料となり、米どころ喜多方の田んぼをも潤してきた。
雄国太陽光発電所から少し下った所に、「恋人岬」いう名の、会津盆地が見渡せる場所がある。なぜ「岬」かというと、田んぼに水が入ると、そこはまるで海に突き出た岬のようになるからだという。日が沈むとき、田んぼがオレンジ色に染まる、初夏の夕暮れ時の絶景スポットだそうだ。刈り取りが終わったばかりの晩秋には、想像もできない風景だ。
四季折々の風景の中で、生まれ育った街を心から愛する人たちが造る酒が、飲む人をあたたかで幸せな心持ちにしてくれる。
撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子
文/本紙・伊澤小枝子
『生活と自治』2021年1月号「新連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
【2021年1月21日掲載】