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伊那谷のこんにゃく作り【生いもこんにゃく他】


こんにゃく芋は、種芋を植えてから加工できる芋を収穫するまで、3年から4年の月日がかかる。「上伊那アルプス米」やリンゴ、キノコ類の提携生産者であるJA上伊那の「こんにゃく部会」のメンバーは、手間を惜しまずこんにゃく芋を育てている。

続いたこんにゃく芋栽培

伊那谷の西側は木曽山脈。駒ケ根市の田園風景がひろがる
こんにゃく部会長の下平和人さん。「こんにゃくも花が咲きます。でも花が咲くと芋が育ちません。つぼみを持った芋をとっておくようでは、プロではありませんよ」
JA上伊那は、長野県南部の、伊那市、駒ケ根市、箕輪町、宮田(みやだ)村などにあった五つの農協が合併し、1996年に発足した。西に木曽山脈、東に南アルプスと、3000メートル級の山々に囲まれ、大平洋に注ぐ天竜川が流れる伊那谷といわれる地域だ。

生活クラブ連合会とJA上伊那の出会いは、農協が合併する前にさかのぼる。五つの農協のひとつ、伊南農協が、83年、生活クラブ東京と野菜の取り組みを始めた。それがその後の生活クラブ連合会との提携につながる。栽培履歴や価格を組合員とともに話し合いながら育てる「上伊那アルプス米」の他、「You‐I千秋」「You‐Iふじ」(リンゴ)、キノコ類、野菜、花卉(かき)など、1年を通して伊那谷から届く青果が途絶えることはない。

なかでも、伊南農協から引き継がれているこんにゃく部会が栽培するこんにゃく芋を原料とした「生いもこんにゃく」「横綱こんにゃく」「しらたき」などは、長い間、組合員の食卓に上ってきた。

伊那谷で本格的に販売用のこんにゃく芋栽培が始まったのは、1960年代。それまで盛んだった養蚕が衰退し、それに代わる産業として進められた。山あいでも作れる作物としてひろがり、伊那谷の南部の泰阜(やすおか)村では、こんにゃく粉を作る工場も建てられた。

だが同じ時期、群馬県でも、養蚕からの切り替えが大々的に行われた。一時は伊那谷の生産量が上回ったが、昭和初期から盛んだったこともあり、徐々に主産地は伊那谷から群馬へと移っていった。

JA上伊那こんにゃく部会の部会長、下平和人さんは、「それでも当時、私たちは細々とこんにゃく栽培を続けていましたよ」と言う。「泰阜村がある下伊那地域は販路が途絶えて、栽培する人がほとんどいなくなってしまいました。上伊那は生活クラブと提携し、安定してこんにゃくを利用する消費者がいます。それで栽培を続けられるのです」

3年越しの収穫

JA上伊那こんにゃく部会は25人。右より、副部会長の吉川雅治さん、部会長の下平和人さん、前部会長の下島公平さん、JA伊那のこんにゃく部会担当、営農経済部の上村隆史さん
 
こんにゃく部会のメンバーは駒ケ根市を中心に25人。専業のこんにゃく農家ではなく、米や野菜、ニンニクなど、収穫期が重ならない作物も作る。

こんにゃく芋の栽培は、他の作物とは少し違う道のりをたどる。生子(種芋)の植え付けから加工できる芋に育つまでに3年から4年の年月が必要だ。春に生子を植え付けると、その養分を使い芽を出し、夏に葉を茂らせる。その頃には生子の姿はなく、秋に掘り起こすのは、新しく育った芋だ。冬の間それを貯蔵し、次の年の春に再び植える。同じようにしてその年の秋には3倍から7倍の大きさの新しい芋ができる。さらに翌年、やっと1キログラム近くの芋を収穫する。

「昨年は大変でしたよ。7月の長雨と8月に日照りが続いたせいで、収穫は例年の半分ほどでした」と下平さん。副部会長の吉川雅治さんが、「結局、雨のせいで肥料を吸収することができなくて根も張れず、植えた時と同じ大きさのものしかできなかったんです」と、不作の理由を教えてくれた。

春先の植え付けや、秋の収穫は手作業によるところが多い。芋を掘り取った後は、土を払い、生子を取り分け選別する。1年目、2年目の芋をわざわざ掘り出し貯蔵するのは、寒さに弱く腐りやすいから。伊那谷は真冬にはマイナス20度にもなることがある。芋は凍ってしまうと春に芽を出すことはない。下平さんは「とにかく全部掘り出して貯蔵し、畑の土づくりをし、また植える、毎年その繰り返しです」
こんにゃく芋。生子(種芋)、1年生、2年生と、形や大きさが変わっていく
3年目のこんにゃく。7月頃30センチほどに育ち、ヤシのように葉をひろげる(写真提供/生活クラブ長野)
収穫した芋は長野県飯田市にある冷凍庫に保管し、年間を通して加工する。しらたきや板こんにゃくなどに加工する際は、群馬県にある製粉業者に運び、こんにゃく粉にしてもらい、それを長野県内にある加工場で製品化する。生いもこんにゃくを作る場合は、芋を直接加工場に運ぶ。こんにゃくを作るには、大量の水が必要だ。

「芋が育った土地の水で加工するのが自然で、一番おいしくできるんですよ」とJA上伊那の営農経済部の油科(ゆしな)京子さん。上伊那育ちのこんにゃく芋を加工する時のこだわりだ。
JA上伊那営農経済部の油科京子さん。生活クラブ連合会の窓口を務める。「生芋からこんにゃくを作る『家庭でこんにゃく作りを楽しもうセット』は、年に1回、収穫の時期に『食べるカタログ』に載ります。2020年は前年のほぼ倍の申し込みがありましたよ」

こんにゃくはデリケート

こんにゃくは、強い日差しや風、乾燥に弱く、水はけの悪い土地でもうまく育たない。風によって葉がすれて傷がついただけでも病気になってしまうほどデリケートな作物だ。

虫には比較的強く、鳥獣の被害にもあわないが、連作障害による病気にかからないように注意が必要だ。例えば「白絹病」といって、根元に白いカビが生えたように見える病気になってしまうことがある。治ることはないので、広がらないように、発生した株は廃棄処分にしなければならない。6月から9月ぐらいまでの高温多湿な時期は、風通しを良くし、湿気がこもらないように気をつける。

病気の発生を防ぐために、土壌消毒をしてしまうことは簡単だが、減農薬栽培を心掛けているこんにゃく部会は安易に殺菌はせず、新しい圃(ほ)場や5年ほど休ませた畑に作付ける。「メンバーの畑は平均して30アール弱の目の届く範囲の広さです。規模が小さいのでいろいろ手をかけることができるのかもしれません」と下平さん。

伊那谷では高齢化がすすみ、農地を手放す農家も多い。そこを借りて新しくこんにゃく栽培を始める人も出てきた。組合員と作ってきたこんにゃく芋の産地を、これからも守っていきたいそうだ。
 
撮影/田嶋雅巳 
文/本紙・伊澤小枝子

不思議な「お芋」

こんにゃく部会による生いもこんにゃく作り講習会。「凝固剤を入れて手早くまぜるところがポイントです」と、前部会長の下島公平さん(写真提供/生活クラブ長野)

こんにゃく芋からこんにゃくを作る方法は、二通りある。

一つはこんにゃく芋を直接加工する方法。こんにゃく芋をミキサーにかけ、水を加えて加熱しながら練る。そこに水酸化カルシウム(凝固剤)を加え固め、製品にする。「旬の時期の生芋で作るこんにゃくは風味がよく、さしみこんにゃくとしてもおいしく食べられますよ」とJA上伊那の営農経済部、油科京子さん。

もう一つは、いったんこんにゃく粉にしてから加工する方法で、一般的にはこちらが主流だ。こんにゃく芋を薄く切って乾燥し「荒粉」を作り、それを製粉して「精粉」にしたものがこんにゃく粉だ。JA上伊那のしらたき、横綱こんにゃくも、この粉から作る。

「生いもこんにゃく」は、普通のこんにゃくよりも凝固剤が少ないこともあり、こんにゃく本来の風味をより味わえるそうだ。

生活クラブ長野の組合員は、11月初旬になると、こんにゃく畑へ援農に出かけ、こんにゃく芋を掘り、土を落とし種芋をとりわけ選別をする。さらに年が明けると、こんにゃく部会による生いもこんにゃく作り講習会が開かれる。

生産者と組合員がレシピ集を作り試食会をしたこともある。「こんにゃくとにんじんのごまみそ」や、「みそマヨ田楽」「こんにゃくときのこのおかか煮」などの総菜風レシピにまじって、ホットケーキミックスに、ミキサーにかけたこんにゃくを混ぜて焼いた「こんにゃくケーキ」があった。「もちもちしておいしいですよ」とは油科さんの感想。カロリーも低く、人気の一品だそうだ。

毎年、こんにゃく芋を掘る季節になると、伊那谷の駒ケ根市付近の野菜直売所には、こんにゃく芋が並ぶ。近隣ではそれを買い、各家庭でこんにゃくを作る。家庭菜園で芋を育てている人もいる。「毎年場所を変えて植えれば、消毒もせずに立派なこんにゃく芋ができますよ」とこんにゃく部会の吉川雅治さん。

日本でこんにゃくが食べられるようになったのは平安時代の頃。鎌倉時代には精進料理に使われ広まった。
おでんの材料に欠かせなく、さしみこんにゃくや玉こんにゃく、田楽など、食べ方がさまざまに工夫されてきたこんにゃく芋。このような姿の芋がどのようにして食べ物となったのか、強烈なあくを除く工夫はどこから学んだのか、植えてから葉が茂る頃に、一時は芋の姿がなくなってしまう不思議、知れば知るほど興味が尽きない。

撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子

『生活と自治』2021年2月号「新連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
【2021年2月20日掲載】

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