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児童向け書籍『チェンジ!』に込めた願い

写真家/越智貴雄さん

児童向けの本として『チェンジ!』(くもん出版)が出版されたのは2020年5月。著者の越智貴雄さんは2000年からパラスポーツの取材を続け、多くのアスリートたちとの交流を重ねる写真家だ。21歳のときに偶然めぐってきたパラリンピックシドニー大会の撮影。これを機に越智さんは人間的な魅力にあふれたパラアスリートの姿にどんどん引き込まれていったという。差別と偏見から生まれる「分断」が世界を席巻しつつある現在、パラアスリートの姿が私たちに問いかけるものとは何かを越智さんに聞いた。

巨大バルーン人形とラッピング・モノレール

「うそでしょ」と思うかもしれませんが、僕は大学生になるまで障害のある人にほとんど会ったことがなかったのです。学校の授業で「車椅子の人を見かけたら後ろから押してあげてください」と先生が話すのを聞いた経験くらいしかなく、知識も理解もほとんどないに等しい状態でした。

テレビなどのメディアから障害を抱えた人は「頑張っている人」「かわいそうな人」というトーンの情報は入ってくるのですが、それはそうだよねという程度の認識でしたし、大学2年になっても「障害」という言葉には何やらネガティブで触れてはならない何かがこびり付いているようで、まったく自分とは別の世界の話のように思っていたのです。

メディアを通じ、障害者スポーツの世界があるのは知っていましたが、強い関心を向けていたわけではありません。そうしたなか、2000年のシドニー五輪とパラリンピックの報道写真を撮影させてもらえる機会がめぐってきました。大学では報道写真のゼミで学び、指導教授は五輪の撮影経験があって「五輪はすごいぞ」と常々聞かされていたせいか、大会開催前にオーストラリアに留学し、英語の勉強をしながら撮影の準備を進め、本番を待ちました。そして何とか、ある新聞社から撮影取材の依頼をもらい、無事に五輪の撮影を終えると「パラリンピックも撮影して」と言われたのです。とても悩みました。障害のある人の姿を撮影していいのか、カメラを向けていいのかと両親にも相談したほどでした。


気になったのがパラリンピックの競技会場の入り口に置かれた車椅子に乗った女性の巨大なバルーン人形でした。その前でオージー(地元民)たちが笑顔で記念撮影をしているではありませんか。少し不謹慎だなと感じましたが、パラリンピックの撮影を終えると、彼らにとって障害のある人が身の回りにいるのは当然で、所与のことと考えているのに、それを不謹慎と感じたのは自分のバイアス(偏見)のせいだったと気付いたのです。

もう一つあります。大会を盛り上げるために、モノレールの車両にラッピングされた車椅子アスリートたちの写真です。エッ?本当に車椅子の人をラッピングの対象にしちゃうわけ?と違和感を抱きましたが、大会後にその車両を改めて見ると「当たり前だよ」と思えたのです。それだけ「パラリンピックってすごい」とひたすら感動し圧倒されたわけです。

五輪もパラリンピックの撮影も初体験でしたが、五輪に比べて当時はパラリンピックの情報は皆無に等しく、いきなり全然知らない異国に連れて行かれたという印象でした。しかし、躍動するパラアスリートの姿を必死で追い続けた大会が終わると、五輪と価値はまったく変わらないぞと心を激しく揺さぶられるような思いに包まれ、以降はパラリンピックの世界にのめり込んでいきました。

あくまで、それも一つの選択という視点

――そもそも身近に障害のある人の存在が感じられず、見えないことが不自然なはずであり、それは意図的に隠されている、見えなくされている面がありませんか。

そうですね。障害は人には見せてはならないもの、恥ずかしいものという無言の圧力というか空気感が日本社会にはまだまだ根強い気がしています。例えとしては良くないかもしれませんが、僕のおなかはボテッと出ています。それは自分で自分をコントロールできない証拠であり、みっともないものだという見方が社会の常識めいたものになっていませんか。これと実によく似ていると思います。

まぁ、僕も隠さなければいかんかなと内心では思ったりしているわけですが(笑)、別に見られてもいいし見せてもいいという人がいたら問題ですかと言いたいですね。でも、いまの日本で堂々と人に見せられますかというと見せられないのが現実でしょう。だからダイエット情報が氾濫し、人を痩せさせる高額なビジネスが繁盛し、それが正しいという流れが一層固定化されてしまうのではないですか。要するに「太っているのはダメ」と社会に一方的に決めつけられる感覚から生まれる現実ですよね。

何年か前に有名な米国の歌手が、体型に対する批判的なコメントに対して反論したことなどをきっかけに「ボディ・ポジティブ・ムーブメント」が始まったといわれています。その動きがヨーロッパにも広がっていますが、とにかく痩せろと人を強迫観念に駆り立てていいのかということです。

ただし同時に「それも一つの選択」という視点を忘れてはならないと思うのです。当たり前ですが、みんなが同じ方向を目指させなきゃいけないということは無いと思うのです。これまでは隠さなければいけない、見せるものではないと勝手に世の中が決めつけていた対象について、「見せてもいいんじゃないか」という選択肢が増えるのが望ましいと僕は思いますし、それは障害についても同じことがいえると思うのです。お互いを知ることにより、相互理解にもつながりますしね。

「平等性」と「多様性」を尊重する

――なるほど、たしかにそうですね。パラアスリートたちは「できない」「無理だ」と言われたことに勇気を出して挑戦し、堂々とやってのけている。たしかにその通りなんですが、障害を抱えた人が誰でも彼らのように行動できるわけもなく、同じように振る舞う必要もないのに、そこにも無意識の「同調圧力」めいたものが働きがちな気がしますが、どうですか。


僕はパラリンピックを20年間見続けてきましたが、チケットが飛ぶように売れて、選手にスポンサーが付くようになってきたのは2012年の英国ロンドン大会からです。ロンドンパラリンピックのオフィシャルテレビ局である「チャンネル4」のマーケティングリーダーに話を伺ったことがあります。チャンネル4の制作したパラリンピックのCMが世界中で視聴され、カンヌ映画祭の広告賞をはじめ、数多くの賞を受賞。CMを機に大会への注目も集まりほとんどの競技チケットが完売されました。

「どうすれば、こんな素晴らしい切り口のCMが制作できるのですか」と聞くと、「簡単な話ですよ。五輪の選手と同じように扱っただけですよ」と言います。そうか、この視点だと感じ入ったのが忘れられません。大会後、ひとつ問題になったことがありました。いきなりパラリンピックが注目され、障害のある人はみんなスポーツをしようという空気が生まれ、障害を持つ人からも「誰もがスポーツができるとは限らない。芸術が好きな人もいれば、料理好きな人もいる。どうしてスポーツに特化するの?」という意見が出されました。

とにかくチャンネル4が立派なのは社会の偏見と真剣に向き合おうとしているところでしょう。考えてみれば社会における無意識の偏見はかなりの広がりを持っています。例えばハリウッド映画のヒーローものに登場する悪役には障害のある人が少なくありません。バットマンの敵役のジョーカーも精神的な問題を抱えている人物として描かれ、その恨みから社会に仕返しをするという設定になっています。ピーターパンもそうです。登場する悪役のフック船長は怖い人、彼の義手姿が怖いというイメージが作られていくのでしょう。むろん、制作者は無意識だと思います。

それでも障害という言葉に対する一面的な決めつけは、かつてに比べてかなり良い方向に変わってきたと思いますし、ある意味ではこなれてきたと僕は感じています。2013年にパラリンピックと五輪を2020年に東京で開催することが決まり、障害のある人たちの報道が増えてきたのが社会のイメージを大きく変えたのは紛れもない事実でしょう。この点はまだ十分に伝わっていないと思うのでお話ししますが、実はパラリンピックの競技数は実に多いんです。車椅子の陸上種目だと4種目(トラック競技、跳躍、投てき、マラソン)に分かれています。これも「公平性」を担保し「多様性」を尊重する姿勢の表れといっていいと思います。

この点をどう見るかについてはさまざまな考え方や意見があると思いますが、僕は「障害は個性」という言葉が一人歩きしていくのが怖いと思っています。最近の若いメディア関係者に話を聞くと「障害は個性だ」と学校で先生に教えられてきた世代だなと痛感します。その言葉で完全に思考がストップし、それ以上は主体的に考えようとはしない傾向が見て取れるからです。何年か前から「障害者と呼ぶのをやめましょう。チャレンジしている人たちだ」と語られるようになりました。それも僕は怖い。またひとくくりにしているなと実に残念に思います。

写真集『切断ヴィーナス』への批判


――まさに言うはやすしだと自戒してもいますが、「ありのままを受け入れる」のが多様性を尊重するということだと越智さんの書かれた『チェンジ!』を拝読して教わった気がしています。

僕がパラアスリートたちのどこに引かれるのかというと、彼らのなかには普通に人生を歩んできたのに、突然の病気や事故で目の前にあった人生の階段が突然消え去り、ブラックホールのような暗闇に身を置かざるを得なかった人が少なくありません。そこから何かきっかけを見つけて抜け出し、再び自分の前にある階段を自力で見つけてゼロからスタートした人たちです。そんな彼らのエネルギーの強さに僕は引かれますし、とても魅力的なのです。

僕は義足を装着している女性たちを撮影させてもらった写真を『切断ヴィーナス』というタイトルの写真集にして出版し、同様に義足の女性たちによるファッションショーの実施に関わり、その現場撮影もしています。『切断ヴィーナス』を出したのは2014年でしたが、まだまだ義足は隠すものという社会通念が支配的でしたし、「タイトルが不謹慎ではないか」という意見を中心とする批判にさらされました。この点は「チェンジ!」に詳しく書きましたので、興味があれば一読願いたいと思います。

今回も義足の女性たちの写真を撮影させてもらい、2021年用のカレンダー『切断ヴィーナス』のタイトルでまとめさせてもらったのですが、それにも批判が続出でした。「切断ヴィーナスとは何事か」という意見が大変多かったとメディア関係者からは伺いました。

写真集に対するネットでのコメントは最初から話し合いを拒否した断罪的なものが多く、何を言っても受け入れてもらえない、聞く耳を持ってもらえないなと感じましたが、今回のカレンダーへの批判には、なぜ僕がこの言葉を使ったかを誠実に丁寧に説明すれば「そういう考え方があるのか。分かった」と言ってもらえそうな可能性を感じましたね。最初の写真集で撮影を引き受けてくれた女性は11人でしたが、いまでは着実に「撮ってくれていい」という人が増えましたし、ファッションショーへの参加者も増えてきました。着実に時代が変わってきているのを感じます。

社会にも大きな変化が出始めています。先日も外国の通信社の方が取材に来てくださり、その内容をバングラデシュのメディアが取り上げ、多くの関心を集めたようです。複数のメディアが世界中に配信してくれたのです。

僕がいまも追い続けているパラアスリートに村上清加さんという人がいます。彼女が僕に映画の「ズートピア」の一場面を取り上げ、こう話してくれたことがあります。
「あの映画にはずるがしこいという世間の勝手なイメージから子どもの頃にいじめられ、自分で自分をずるがしこいと思い込んでしまい、詐欺師になってしまうキツネが出てきます。

障害にも似た面があって、世間から1人では何もできないかわいそうな人と見られているという思いにとらわれ、自分で自分の可能性を信じられなくなってしまうということがありがちかもしれません。でも、私は世間の偏見を打ち破って自分の可能性に気付くことができました。これも25歳で足を失ったからこそ出会えた皆さんのおかげです」と。



おち・たかお
1979年、大阪生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。フォトグラファー。2000年からパラスポーツ取材に携わり、競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆。

いかなる文字や表現を選んで人に伝えるかは実に難しいばかりか、悩ましく、ややこしい問題だ。「障害」と書くか「障碍」とするか、あるいは「障がい」とするかと、今回はひたすら手のひら、足裏、脇の下に自律神経の狂いからくる悪い汗をかき続けた。「碍」という漢字は「常用」ないしは「当用」漢字ではなく、共同通信記者ハンドブックでは「障がい」と標記すべしとされている。常用・当用漢字は文部科学省が使用可と定めた“お墨付き”の表記で、義務教育課程を終えた人なら読み書きができるものとされているようだ。

というわけでマスメディアが選択するのは基本的に「障がい」の表記となる。
とはいえ、明治期の新聞には障碍、妨碍、碍悪と害ではなく「碍」が当たり前のように使われている。ここで貧弱な頭脳は迷走。「本人が望んで得たわけでもなく、何らかのまがいごとやハプニングを理由から立たされた境遇を害と評すのはいかがなものかとの疑問が脳裏にネオンサインのごとく浮かんでは消える。事実、碍が使えないのなら「がい」とするのが当然だと人に厳しい表情で諭されたこともある。またまた悪い汗が手のひらと足の裏にじんわりとガマの油のようににじんできた。

ふうっと深く嘆息し、どうしたものかとほうけていたら、どこからか小説『橋のない川』の著者の住井すゑさんの「高貴な人がいるから、卑賤な人がいるのではないか」という声が聞こえてきた。そうか、「正常」「健常」という言葉があるから「異常」「障碍・障害・障がい」なる表現や表記が生まれるのだなと得心した。しかし、この現実を少しずつでも変えていくにはどうしたらいいのだろう。これを越智貴雄さんは無意識の偏見と呼び、その解消に向けた道を懸命に模索し続けている。

我も越智さんに倣ってと発奮してはみるのだが、言うはやすく行うは難しは世の常。そんな「六ヶしい」課題と折に触れて向き合い続けていきたい。ちなみに六ヶしいと書いて「むつかしい」と読む。これは古い雑誌の表記で、話し言葉の音に当てたものに違いないが、最低でも六を超え七転八倒して悩むべしとの教えでもあろうと受け止めた次第だ。
                   
写真提供/越智貴雄  撮影・デザイン/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛  コラム/山神信一郎

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