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たとえ道のりは険しくとも


岩手県盛岡市から宮古市に向かう山間の道には、当地の人びとが待ちわびる春の気配が感じられた。のどかにしてぬくもりある風景が続く。ところが、宮古市街に入るとそれが突如として一変した。

まるで空爆を受けたような惨状が眼前に広がった。これが被災1週間後の東北地方沿岸部の姿だ。同様の景色は宮古から山田町、さらには大槌町、釜石市から陸前高田まで変わることがなかった。

それは宮城県に入っても変わらず、陸前高田市と南三陸町は町全体が消失し、石巻市の市街地には何かが焼けたような異臭とともに、殺気めいたものすら感じられた。

――あれから10年。確かに被災地の人びとのたゆまぬ尽力あってこその「復旧」は進んだ。しかし、そこには「金目(カネめ)臭」も同居し、どこか人が置き去りにされた観もある。そうしたなか、真に人間の力と支え合いに立脚した「復旧復興」を目指して歩み続ける人たちがいる。

日本初の持続可能な養殖漁業認証(ASC)への歩み ―東日本大震災を機に価値観を転換―

波打ち際から沖合に浮かぶ小島まで歩いて渡れそうな間隔で、カキやワカメの養殖施設の所在を示すブイ(浮き)が並んでいた南三陸町の志津川湾。この風景を巨大地震による大津波が一変させ、566人の尊い命と町並みをはじめ、地域の生業(なりわい)の場を奪い去った。「目の前に広がる何もない海を見て、ぼうぜんとするしかなかった」と当時を思い起こすのは宮城県漁協志津川支所戸倉出張所のカキ部会長の後藤清広さんだ。同部会は2016年、国内で初めて「資源管理型養殖漁業」の証しである「ASC認証」を取得した。

宮城県南三陸町 宮城県漁協志津川支所戸倉出張所カキ部会長・後藤清広さん
苦境に立つ日本漁業と経済最優先の養殖

――東日本大震災から10年、ご苦労の連続だったと思います。

私たちが採用している養殖法は10メートルほどのロープにカキのタネを吊(つ)るす延縄(はえなわ)垂下式です。時化(しけ)に強く、水揚げも比較的楽なので震災前はブイが湾内にある小島に渡れるほどの間隔でひしめいていました。ところが、そのせいか普通なら2年で出荷できる大きさになるカキの生育が3年かかるようになってしまったのです。そのとき、養殖施設を一定程度撤去すればよかったのですが、とにかく生産量を増やそうとだれもが躍起になってしまいました。ある時からどんなにいかだを増やしても水揚げが悪くなりました。カキの生息環境を一切考慮せず、利潤追求を優先したわけです。これで悪循環にはまってしまいました。
 
残念ながら日本漁業は衰退を続けています。ならば輸入すればいいと思われるかもしれませんが、すでに買い負け現象が起きているのです。こうなると小売価格は高くなります。国産の水産物も近年は品薄のため高値傾向にあり、消費者も肉に比べ魚は高いという固定観念すら持つようになってしまっています。そんなとき東日本大震災に見舞われました。あの津波で町は全滅。信じられないような風景を目にして養殖を再開できるとは誰ひとり思えなかったはずです。

私も養殖の再開は無理だと考え、別の仕事を探していましたし、一緒に海に出ていた長男も企業に就職。連れ合いはパート勤めに出ると決めていました。そこに漁協の志津川支所長から「カキ部会長になってくれ」と電話があったのです。丁重にお断りしたのですが、押し切られた格好です。

カキ部会長として新たな道を

幸い、考える時間だけはふんだんにありましたから、どうせ部会長を引き受けるなら自分にしかできないことを思い切りやろうと腹をくくりました。被災直後の6月に開かれた総会で「1年で生産可能なカキ養殖で漁業を再開しよう」と提案したのです。部会員のだれもが震災前の「過密養殖」に無理があったのはわかっていました。しかし、自分の漁業権の行使を制限し、譲り合ってまで状況を改善しようとは考えないものです。

しかし、私が考えていたのは漁業権を平等に分配し、いかだの投入台数を震災前の3分の1に減らし、いかだといかだの間隔を40メートル空けるという方法でした。毎晩のように会議を持ち、それを何度も提案。同意を得ようと懸命に対話を重ねました。ときには激高した漁師仲間に胸倉(むなぐら)をつかまれることもありましたが、まさか命まではとられまいと妥協しませんでした。

そのうち「あいつじゃ駄目だ」「部会長を替えろ」「どうせ1年で終わりだろう」という声が私の耳にも届くようになりましたが、私は部会長職にしがみつく気はまったくなく、ひとえに過密養殖からの脱却ができればいいとだけ考えていました。

こうして何度も話し合いを重ねるうちに、若い漁業者が賛成してくれたのです。こうして私の提案はついに承認されたのですが、いざ実行という段になると再び抗議の声が上がりました。「いかだの台数を減らせば、本当にカキの品質が向上し、所得も安定するのか」と文句がやみません。

こうしたなか水産庁の共同経営を対象とした「がんばる漁業復興支援事業」という制度の存在を知ったのです。ただし、その対象となるのは個人操業ではなく共同経営のみ。共同で水産物の品質向上を図り、3年後に黒字化する計画があれば認められると聞きました。当時、カキ養殖の再開を求める漁業者が96事業体。そもそも漁師は一人親方が中心で、協同作業を嫌う気風が勝っているわけですから部会員からは「何だよ、他人と一緒かよ」の声が上がりますし、水産庁の担当者からも「96人全員で共同経営が可能か」と念を押されました。内心は不安でしたが、私は「できるかどうかではなく、やります」と言い切りました。

2年目(2012年8月~2013年)は事業実績が伴わず、部会員から不安の声が上がりました。ですが、ためらわずにいかだの間隔を40メートルに広げました。これでは震災前の3分の1のいかだしか入らず、ひとりの保有数は7台になります。だから部会員からの抗議も続出でしたが「うまくいかなければ、間にいかだを入れて増やす」と答え続けました。 

3年目の2014年には13台のいかだに宮城県内の松島のタネガキを試験的に付け1年で収穫する計画を実行しました。タネ付けから4カ月後、被災地の復旧ぶりを視察に来た「世界自然保護基金(WWF)」の担当者が「試しにカキの殻を開けよう」と言います。当然、まだまだに違いないと私は思いましたが、恐る恐る殻をむいてみると、何とカキが20グラムほどに成長していたのです。翌15年5月にはタネ付けから10カ月で56グラムにまで大きくなりました。

震災前は4~5年置いても、ここまでにはなりませんでした。やはり過密養殖がいけなかったと痛感しました。同時に勝手に他人の操業海域に入って仕事をする「豪腕操業」の問題もあったため、私は各船に衛星利用測位システム(GPS)を付けてフェアな操業を徹底してもらいました。漁業権も公平に分配して世襲的な側面の是正に努めました。各部会員がそれぞれカキ養殖なら2ポイント、ギンザケ養殖は3ポイント、ワカメは1ポイントを持ち、最大6ポイントまでは自由に組み合わせるという方法も皆で話し合って決めたのです。
持続可能な養殖漁業「ASC認証」を取得

――戸倉地区のカキ部会は2016年に持続的な養殖漁業を実践していることを国際的に認証する「ASC認証」を取得され、国内初の事例となりましたね。

私の思いは海の状態やカキの生態を度外視した過密養殖に二度と戻るまいという点にありました。認証の取得には厳しい審査を乗り越える必要がありますし、その取得は自分たちで自分たちに過密養殖に戻らないための縛りをかけることにも通じます。ASC認証の審査条件には参加する漁業者全員の賛同が求められるのです。

この点を皆に確認すると当初は反対意見が多数を占めました。安全管理や作業マニュアルの作成が求められ高額な認証費用も必要だったからです。3年分の審査と監査料に約240万円、3年ごとの更新に220万円ほどかかります。最初は助成金を頂戴し、何とか費用を捻出することができました。

現在、日本では5団体がASC認証を取得していますが、たとえ認証されても取り消し処分を受ける場合もあります。とにかく資源を枯渇させず、良好な水質の海の恵みである品質の高いカキを次世代に残し続けていくのが持続可能性のポイントです。認証を受ける前の議論では「漁師にとって資源は奪うもの」という率直な意見も出ましたし、どこの漁協の組合長も「環境を守り飯が食えるか」と懐疑的だったと聞いています。

資源を分かち合い、その生息環境を最適に維持し後世に残すというASC認証の理念は単なる理想に過ぎないということかもしれません。ですが皆で理想を追い続けたから現在の戸倉があります。事実、カキの投入量を3分の1に減らしたおかげで、収量が2倍になり、生産額も震災前の1.5倍と良好です。この結果、日曜は休め、加工場の管理も大変楽になりました。コストは4割減、毎月100万~200万円の剰余金も出ています。ASC認証を受ける際に最も懸念した経済が一番伸びているのです。

また、うれしいことに部会員に10代、20代の人たちが増えました。部会員の家族で一度は漁業を諦めた後継者たちです。震災前には考えられなかったことです。若い漁業者を募集する際、休みと賃金に腐心しがちですがそれは違います。彼らは将来性を見て、好きな仕事をやる、こういう漁業をやりたいと夢見るのです。昨夏の漁業法改正で漁船漁業者には漁獲割り当て制度が適用されますが、私は反対です。一方、福島県水域では魚がたくさん取れるのに原発事故の影響で漁獲制限をしています。皮肉にも取らなければ魚は必ず増えます。

だからこそ資源管理を的確に進め、持続型の漁業への転換が切に求められるのではないでしょうか。だれよりも早く、多くという人の欲望を主体的にコントロールする漁業者の意識転換が促進される時代が来たと私は確信しています。


撮影/魚本勝之
構成/田久保薫子

この人ありて


 
丸壽(まるじゅ)阿部商店社長 阿部寿一さん(51)*写真右
信条は「前浜の暮らしを何としても守りたい」

何としても後藤清広さんの辛抱と苦労を無駄にするわけにはいかない。「おれも力になりたい」と、丸壽阿部商店の社長、阿部寿一さんは、宮城県漁協志津川支所戸倉出張所の持続型養殖漁業の実現を側面からサポートしてきた。

父親とともに家業であるカキの仲買卸と水産物加工の世界に身を置いて31年。前浜の歌津、志津川、唐桑半島の漁業者との親交を深めながら「あいつなら安心」と荒くれだが実直な海の男たちとの信頼関係を勝ち取った。カキは漁協の共同販売制度を中心に仕入れるが、戸倉のカキは「当初は県内でも下から数えたほうが早いランク。身が小さくて味も良くなかった。それをトップランクにまで押し上げたのが、とにかく過密養殖をやめようという後藤さんの粘り腰の提案だった」と笑顔で話す。
ときには漁師仲間から威圧され、さんざん陰口をたたかれても動じない後藤さんに「とことんほれ込んだ。あの人は常に徹底的に話し合うことをいとわなかった。だれもがわが身が一番なのは当たり前。とかく金目が物を言う世の中にあってまずは地域。地域全体の利益を追い続けたのが後藤さん」と言い切る。

それは社会も認める事実だ。2016年に海を守りつつ、カキの生態に即した養殖漁業の証しとなる「ASC認証」を取得した戸倉出張所のカキ部会は天皇杯を受賞した。「でもね、あの人が一番喜んでいるのは震災で一度は捨てた漁業の現場に多くの若手後継者が戻ってきてくれたこと。これからも戸倉の前浜で漁業が続けられるようになったことだ。本当に頭が下がる思いでいる」

新型コロナ禍の影響で不安視されたカキの出荷販売は幸い今期も順調に推移しており、生活クラブの組合員の共同購入利用量も伸びてはいるが「当社の生活クラブ向けは総扱い量の15パーセント。その他外販は激減で厳しい経営を強いられている。まぁ、いいときもあれば悪いときもあるもの。下を向いてばかりもいられない」と阿部さんは逆風にさっそうと立ち向かう。海人の心意気を見た。
 

重茂(おもえ)漁業協同組合 後川良二さん
復旧なっても「復興」遠く

「岩手サバイバル」という名の組合員向けの産地交流企画を生活クラブ埼玉が開催していたことがある。サバイバルとは大仰と決して鼻で笑うことなかれ。目的地は岩手県宮古市の重茂半島にある重茂漁協の本所。参加希望者は公共交通機関や自家用車でたどり着き、現地でのイベントに参加するという趣向だ。当時は興味があっても時間とカネがなく、とうとう参加できずに歳月が流れた。

ようやく重茂に行けたのは十数年後の本紙の取材。子どもの頃からワカメ漁に親と出ているという若手の漁協職員を訪ね、ワカメを使った料理を紹介してもらうという企画だった。重茂といえばアワビとウニの産地でもある。ワカメ料理は「刺し身」で、同じ皿にアワビの刺し身を載せてくれた。これを同行してくれたカメラマンに撮影してもらい、原稿と併わせてデスクに提出すると「おいおい、これじゃあ、ワカメが主役にみえないじゃないか」と渋い顔をされたのが忘れられない。
ワカメ漁の最盛期には家族総出で港に出て、水揚げされた生のワカメをボイル塩蔵する漁業者たちの活気に満ちた姿があった。重茂漁協では組合事業として生ワカメのボイル塩蔵を手がけるが「漁業者が自ら加工すれば、生での出荷より高く買い取り、利益を組合員に還元している」と案内してくれた漁協職員が胸を張った。それだけではない。重茂漁協では一軒の家から複数の組合加入を認めており、父親と息子がともに組合員であるケースも少なくない。何事も一人一票。父も子も対等という。

漁業関連施設の充実ぶりにも圧倒された。サケの稚魚とアワビの稚貝のふ化放流のための施設、コンブの種の育成施設、漁協直営の定置網漁とまさに漁業基地と呼ぶにふさわしい陣容を誇っていた。

それらをすべて10年前の大津波が沖へと流し去った。その惨状を重茂漁協は「一人の100歩より、100人の1歩」「誰ひとりとして漁業からの脱落者を出すまい」の精神で乗り越え、長年の健全経営で蓄えた漁協資金と公的復興資金の活用で岩手県内の漁協としては最速の復旧を成し遂げた。しかし、震災の影響で魚道が変わり、海からサケが戻ってこなくなった。温暖化の影響からか親潮が思うように南下せず、ワカメとコンブの生育不良が続くようにもなった。藻類が減少すれば、これらを捕食して育つウニとアワビも捕れなくなる。

これも気候危機の現れか、近年は冬の嵐に夏の台風に直撃されるケースも増え、例年通りの操業と水揚げ確保が難しくなってきた。高齢化と震災廃業による労働力も深刻だ。「漁師はすぐには育成できない。だから操業時間が短期集中で済み、水揚げも比較的楽な早採りワカメ『春いちばん』に賭けるしかないが、それさえ難しい状況になっている」と同漁協業務部長の後川良二さん。その言葉が胸に重くのしかかる。さて、今年はどうか。しばらくは重茂から目を離せない。


『生活と自治』2021年3月号「産地提携の半世紀―はみだし編―」を一部転載しました。
 
【2021年3月20日掲載】
 

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