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お追従笑い撲滅運動を続けてます

【寄稿】朝日新聞社編集委員 高橋純子さん

「デカパンおやじ」に悪気なし。しかし――

いまもまだ、心がスースーしている。春なのに、寒い。

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長だった森喜朗元首相の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」発言を引きずってしまっているからだ。

まごうことなき蔑視であり、侮辱であり、そのベースにあるのは人権意識の欠如、つまり、人種や国籍、性別、容姿などと関係なく、個人を尊重するという意識の欠如にほかならない……という真っ当な批判はすでに多くの人がしている。
私も怒っている。許される発言ではない。ただ一方で、彼を「差別主義者」のごとく取り扱うのはなんだかちょっと違うというか、問題の根深さをかえって見えにくくしてしまうような気もしている。

私に言わせれば、彼のような人は「デカパンおやじ」なのだ。ゴムがゆるゆるのデカパン一丁で公の場に出てきてへっちゃらな人。それが自分のユーモアでありサービスだと思い込んでいる人。「ちょっと、ちょっと、ズボンはきましょうよ(呆)」「せめて上着をはおってください(泣)」と周囲があわあわと注意しても「えっ、なんで?これがおれの正装だけど」とかなんとか聞く耳もたずに上座にどかりと腰を下ろしちゃう人。そこは、上等な仕立てのスーツを着て差別的言辞を吐きまくる、かの副総理の「確信犯」とは違う気がする。

しかし、もちろんだからといって、罪は軽いとか目くじらをたてるなとかいう話には当然まったくぜんぜんならない。デカパンに悪気はない。だから余計、始末におえない。

悲しいけれど、冷たいけれど「退場」願うしかない

(呆)も(泣)も、すべて(喜)と解釈してみせるナゾのポジティブシンキングとでもいおうか。真正面からの批判には「いじめられている」と被害者モードで対応する厚かましさ。そんなことだから、自らを省みたり、時代に即して考えや発言を変えたりできない。それを裏付けるかごとくに先日も、ある政治家のパーティーに出席した森氏は、その政治家のベテラン女性秘書について「大変なおばちゃんがおられる」「女性というには、あまりにもお年なんですが」と発言している。会長辞任という、ひとりの人間の人生においてとてつもない大傷を負って間もないのに、もうすっかり「回復」している。なんと強靭な精神力であろうか……ってもちろん、ほめてない。

みなさんにも親戚に一人ぐらい、デカパンがいたりしないだろうか。いくら注意してもなおらない、となればわれわれ親戚一同はデカパンの「口封じ」に注力することになる。その手の話をくだんの人物が持ち出しそうになった瞬間、あっ!と飲み物をこぼしてみたり、「おじさん、お煮しめ食べた?おいしいよ」などと言ったりして流れを変える。それでもだめなら、最終手段を繰り出さざるを得ない。
そう。もう集まりに呼ばない。悲しいけれど、冷たいようだが、それしかない。

以上を森氏のケースに引き寄せて言い直すと、80 余年をデカパン一丁で通してきた人にいまさら正装してもらうのは難しいのは事実。ゆえに肝要なのは、そのような人物を組織の上層部に据えないことであり、公の場での発言の機会を極力与えないことだろう。くだんの人物がもしも許されざる発言をし、反省すらしないようなら厳しく批判してご退場願う。さすればせめても、後進への教育的効果をもたらすことにはなるはずだ。

森氏辞任に至る経緯を「ネットリンチ」などと称する向きもあった。なに寝ぼけたことを言っているのだろうか。社会はそうやって少しずつ変わってきた。そうやって少しずつ、変えていくしかないのである。

6畳なのに果てしなく続く空間のバリアフリー化

「どこまでも果てしなく続く6畳の茶の間――」。
森発言が飛び出した時、その場に居合わせた人たちから笑いが起きたという報道に触れ、ふと思い出したのは天才コラムニスト・故ナンシー関の言葉だった。
果てしなく続いている、なのに6畳。身内意識と同調圧力が充満し、お追従笑いがこだまする茶の間。これが、男女平等ランキング世界120位に甘んじるわが国のまったき縮図というほかない。

そこに多様性という新たないのちを芽吹かせるには、茶の間のふすまを取り払い、よどんだ空気を入れ替え、玄関の段差をなくし、廊下に手すりをつけ、誰もが参加できるバリアフリーの空間に改造する必要がある。クオータ制を導入し、様々な意思決定の場に女性が半数いるようにすれば、日本は一気に大きく変わるだろう。ただ、その到来を待ち望むだけではおそらく足りない。

性別を問わず、茶の間を打破したいと考える人たちには、わきまえない「異物」になることをオススメしたい。個人的な話で恐縮だが、私はひとりひそかに「お追従笑い撲滅委員会」を結成し、会議で偉いさんが何かくだらない冗談を言ったとき、いや、そこそこ面白いことを言ったときでさえ笑わないよう心がけている。眉間にしわを寄せたり、首をかしげたり、ため息をついたり、ときにはにらんでみたり、ささやかすぎる実践ではある。だがしかし、場に緊張感をもたらしているという手ごたえは、ある。

まず、わたしたちを踏みつける足をどけてちょうだい!

そのような日々の鍛錬は、同調圧力に抗してわきまえない人間でいるためにも欠かせない。わけても女性はそうだ。化粧しないと相手に失礼だとか、ぺったんこの靴は禁止だとか、華美にならぬよう、かといって地味すぎぬ服装を心がけよとか、ほらほらもっと笑顔で、女性らしいきめ細やかな気配りでみなを癒してなどと「社会的役割」までも勝手に押し付けられてきた。That’ s  GANJIGARAME.

この抑圧を、男性諸氏は正しく想像することができるだろうか。私の見るところ、デカパンかスタイリッシュなボクサーブリーフかは別にして、男性はパンツ一丁でうろうろしている「特権階級」である。そのことにもっともっと自覚的であってほしい。もちろん、男性にも「男らしさ」が押し付けられていることは承知している。それはそれで大変に窮屈だろうとは思うけれども「まずは男性のみなさん、私たちを踏みつけるその足をどけて」(© ルース・ベイダ―・ギンズバーグ)だ。
共闘はそこから始まるはず――おっと。ずいぶん話が長くなってしまった。

しかしそもそも、幼少期から「わきまえろ」と陰に陽にしつけられてきた女性が自らの意見を述べようとすれば、話が長くなるのは当然ではあるまいか。これまで使ってこなかった筋肉を動かし、自らを縛る透明なロープを自力でゆるめつつ、パンツ一丁の人にも理解してもらえるよう言葉を選び選び話をしないといけないのだから。

もうひとつついでに言わせてもらえば、女性は競争意識が強いから1人が発言すると次々発言しだす、それで会議が長くなるというようなことを森氏はのたまっていたが、その分析は果たして正しいのか。私は、彼女たちは競争していたのではなく、連帯していたのではないかと推察している。賛同を示したり、背中を押したり、伝わりづらいと感じた部分を補いあったり。圧倒的な男社会の中で女性たちが静かに手を取り合っていることを、私は知っている。
 

わからないのか、わからないふりをしているのか

さて最後に少しだけ、オリンピック開会式の演出を統括するクリエーティブディレクターが、タレントの渡辺直美さんをブタ=オリンピッグに見立てた演出案をグループラインに投稿していたことが発覚し、辞任した件について触れさせてほしい。1年以上前の内輪のやりとりを世間に告発する振る舞いの是非についてはここではおいておく。私が引っ掛かったのは、彼女は体型を売りにしてきたのであり、かつては「ピッグ☆レディ」としてブタの鼻をつけて歌っていたこともあるのだから演出案は侮辱ではない、本人も気にしていないはずだという説を唱える人が意外と多くいたという事実だ。

この見立てはのちに、渡辺さん自身が「(その演出プランが自分の所にきたら)絶対断っているし、批判すると思う」「普通に面白くない」などと発言し、もろくも打ち砕かれるわけだが、体型を売りにしてきたんだからブタ扱いしても問題ないというのは――露出の多い服を着ているから性暴力被害に遭うのだー―いうのとそう大して変わらぬ論法のように思えてならない。

当たり前だが、自分で自分の容姿を演出するのと、他人にもてあそばれるのとではまったくワケが違う。そんな簡単なことが本当にわからないのか、わからないふりをしているのか。わからないならわかってもらおう。私たちはもっと、怒らなければならない。
 
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛
 
たかはし・じゅんこ
1971年福岡県生まれ。1993年に朝日新聞入社。鹿児島支局、西部本社社会部、月刊「論座」編集部(休刊)、オピニオン編集部、論説委員、政治部次長を経て編集委員。

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