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【連載】東日本大震災から10年 Vol.5


写真家/田嶋雅巳さんに聞く

原木シイタケの「声」を聴く―映画「失われた春」への思い―

写真家の田嶋雅巳さんが福島県郡山市に借りた部屋から、阿武隈地方に通うようになったのは福島第一原発が爆発事故を起こした2年後の2013年。「原木シイタケを栽培する農家のいまを追いかけ、放射能汚染と向き合う彼らの日常を記録した映画を撮影するため」と言います。

その意気込みに感じるところはままありましたが、当初は本気だろうかと戸惑い、なぜ原木シイタケ農家なのかもわかりませんでした。そのころ、マスメディアは政府の定めた放射性セシウムの許容基準値を超える食品を大きく取り上げ、福島県はもとより茨城県、千葉県、群馬県、静岡県などの農家が栽培した生の原木シイタケも出荷停止を余儀なくされていたのは知っていました。しかし、生シイタケにはおがくずなどを使って屋内で栽培する菌床の国産品もあれば、中国産を中心とする輸入品が数多く流通しているせいか、シイタケ不足が話題になることはありませんでした。

「たしかにシイタケが食べられなくなったわけではありませんが、このままでは福島県阿武隈地方の里山を守りながら貴重な換金作物として農家の家計を支えてきた原木シイタケが消えてしまうという強い危機感があった」と田嶋さん。この地方の農家の多くは冬場にクヌギやコナラの木を伐採し、90センチの長さに切り分けて原木にします。また原木を生産する専門の業者もいて国内各地の農家に出荷してきました。

薪炭はもちろんクヌギやコナラの木々を使って栽培される原木シイタケは「人の労働のたまもの」と田嶋さんは捉えています。自然の摂理に逆らわず、黙々と手入れを続けなければ得られない「恵み」の一つというわけです。福島に入った田嶋さんは原木シイタケ農家との交流を重ね、高圧洗浄機を使った原木の除染にともに汗を流しながら復興を目指しました。そうしたなか、「旧ソ連時代の1986年に起きたチェルノブィリ原発事故によって汚染されたベラルーシの森林は今どうなっているのかを知りたい」「ぜひ現地を訪ねたい」という農家の求めに応え、視察ツアーも実現しました。

これらの日々を記録したのが映画「失われた春」。撮影から編集まですべてを田嶋さん自身が一人で担い(2019年字幕版)、自費制作した作品です。東日本大震災から10年が過ぎた今年、映画「失われた春」に込めた思いを田嶋さんに聞きました。

「失われた春」より_ 汚染のため廃棄された原木と椎茸


「失われた春」より_ 汚染のため廃棄された原木と椎茸

ビル清掃会社を立ち上げ、床を磨きながら考えた

――――これまで労働とエネルギーをテーマに写真を撮り続けてきたと聞いています。その理由をお話ください。

カメラという言葉には暗箱という意味があります。その暗箱に光を通してフィルムに定着させる仕組みから生まれるのが写真です。私にとってカメラは社会の「闇」を閉じ込める暗箱であり、その闇にどれだけ自分の思い、つまり光を通すことができるかが勝負だと思って、スチール(静止)写真の撮影に取り組んできました。私にとっての「闇」はやはり真っ暗な地の底にある炭鉱の世界。昔は女性も坑内で働いていましたが、乳飲み子を地上に残して、坑内に入った女坑夫たちが「今日も安全に働けた。生きて帰れる」と思って見上げた先に、ぽっかりと坑口が見える。坑口と赤ちゃんの顔が重なって、一目散にかけ上がってゆく姿が思い浮かびます。闇の深さを知らない人に光の意味は分からないのではないかと私は考えていますし、それは歴史や社会の闇も同じなのではないでしょうか。どうも昨今の日本社会は奇妙に明るく、自分のすぐ間近にある闇の存在に目を向けなくなっている気がしてなりません。
 

私は大学在学中に東京目黒区にある保育園で清掃のアルバイトをしていたのですが、自分が入ったことで、別の人が配置転換を命じられ、賃金も減らされたことがありました。それが心底許せなくて労働組合を作って雇用主である会社側と団体交渉をしたりしてきました。

掃除の仕事は体一つあれば多くの資本は要りません。モップなどの道具さえ用意できれば、非常に少ない資本で起業できます。労働運動の渦中にありながら卒業を控えていた私は、在学中に労組の仲間とビル清掃の会社を立ち上げました。
労働運動の中からつくった会社ですから、アルバイトの賃金より、私たちの賃金をあえて低くしました。搾取をしたくないという思いが強かったのです。やってくるアルバイトのなかには日産座間工場(当時)で働く人たちもいました。彼らは主に東北から自動車工場に働きに来ていたのですが。あまりにも賃金が安くてやっていけず、休日にアルバイトをしにきていたのです。

掃除の仕事は「ポリッシャー」というマシンを使った「洗浄」とその後に続く「汚水処理」、最後に「ワックスがけ」で構成されています。1チーム3人ですね。そのうち誰がリーダーになるかというとポリッシャー役。唯一機械を扱う人間なわけです。たった3人のチームの中でも、機械を扱えることがすごいという序列、階級意識ができてくるのですが、いちばん大変なのは「汚水処理」です。肉体を使った労働ですよ。掃除に限らず表面的に目立つ仕事というのは、必ず縁の下でその仕事を支える人間の労働によって成り立っているのではないかと考えるようになりました。

人が生きていくのに欠かせない食料にしてもエネルギーにしても、その供給を根底で支えているのは人びとの労働じゃないですか。保育園でのアルバイトを経て、会社を立ち上げて10年、そういう「支える側の労働」に目覚めていったのです。
そして行き着いたのが日本の産業を地の底で支えてきた炭鉱の世界。これが1982年の大みそかに車で福岡県の筑豊を目指し、作家の上野英信さん(故人)を訪ねた理由です。

上野英信さんは京都大学の文学部で魯迅などを研究した人で、広島で被爆しています。その後、大学を中退し北九州の炭鉱で坑夫として働いた経歴の持ち主です。
炭鉱では労働運動を組織しながら、ガリ版刷りの童話集などを労働者が楽しめる書物を発行しました。上野さんと直接お目にかかり、自分の問題意識は間違っていないと思えたのは大きかったですね。

「失われた春」より_ 原木の伐採

 
「失われた春」より_ 炭焼き

炭鉱、ウラン鉱山、海外の核処理施設に足を運び

――その問題意識が写真集「炭鉱美人」(築地書館)には集約されているのですね。

いろいろな事情があって会社を辞め、さて何をしようかと考えた末に写真を撮ろうと決めました。自分なりに10年間労働してみて、いまの自分なら支える側の人たちを撮れると思ったのです。何としても炭鉱で働いてきた女性坑夫の「いま」を撮りたくて、筑豊で5年暮らしました。彼女たちを撮影できたら写真から離れるつもりで、10年間の労働の総括として彼女たちを丁寧に撮りたいという一心でした。筑豊には5年いましたが、夏は東京に戻っていました。その理由は、彼女たちのポートレートはできる限り着物姿で撮りたいと思ったからです。それで夏に帰京している間に筑豊での取材費稼ぎのために週刊誌や月刊誌のグラビア写真を撮影するようになりました。

筑豊での撮影に区切りをつけた後は、海外のウラン鉱山や英仏の再処理工場などを訪ね、国内では青森県のむつ市や六ヶ所村にも足を運んで撮影しました。原発問題は1986年のチェルノブイリ原発事故で反対運動の潮目が大きく変わったというのが私の印象です。それまでは社会党(当時)を中心とする労働組合主体の反原発運動が展開されてきましたが、チェルノブイリの事故を境に原発は怖いものであり、生命を脅かすシステムだという「安全安心論」が大勢を占めるようになっていきます。その点を否定するつもりはありませんが、当時、私が注目したのは原発の安全性ではなく、原発を稼働させている核燃料サイクルの入り口は「ウラン」だということです。

それは誰によって掘られ、どういう労働を経て地上に運ばれ、原発までやって来るのかを押さえないかぎり、原発問題を正しく捉えることはできないと思いました。だから、まず入り口をおさえよう。出口は廃棄物の最終処理問題です。イギリス、フランスと日本の間にはそれぞれ「原子力協定」があり、処理済燃料が日本に戻ってくるわけです。このいずれの過程にも労働の現場があります。原発を稼働させ続けるための定期点検にしても誰がやっているのかといえば、私たちのような掃除屋、清掃作業員が炉心近くの掃除をしています。30秒過ぎたら腰ベルトを引っ張られ、別の人間と交代するという命がけの労働ですよ。ところが、この事実は人びとの視界には入らず、見えない領域へと押しやられてしまう。これを他者愛の欠落と呼ばずして何というかと憤りすら覚えます。

かつて気候のいい時期に核燃施設の建設に反対する人たちと一緒に青森県の六ヶ所村を訪ねたことがあります。同行した皆さんが口々に「こんなに豊かな自然に恵まれた土地に核燃施設なんて許せない!」と言います。でも「本当か?」と思いました。私は迷わず、その年の厳冬期に一人で六カ所村に行ってみました。
陸奥湾から吹き付ける強い季節風と地吹雪。車は雪に埋まり、雪かきに1時間くらいかかるという厳しさです。土地を手放した農家の気持ちがよくわかりました。
 
「失われた春」より_ 原木の伐採

「失われた春」より_ 里山

――原発立地は麻薬と同じ。交付金が切れたら次の原発がほしくなるという人もいます。


受け入れる側としてはそうなりますよ。しかし、受け入れる側より作る側のほうがもっとカネになるわけです。100万キロワットの原発を一基作れば5000億円くらいになるといわれていましたから、すさまじいカネが動くのです。原子力ムラなんて、できて当たり前ですよ。彼らはつくって儲け、事故後は廃炉作業でも儲けます。その陰で労働者のいのちが軽視され続けているわけです。実は福島第一原発事故の後、原発の撮影は二度としないと思った時期がありました。事故が起きたら取り返しがつかないと思って反原発運動の末席を汚してきたのに、その意味が揮発してしまったように感じられたからです。

そうしたなか、都市部では自分たちが食べているものは安全かという議論が連日のように続けられていました。わからなくはありませんし、当然だなと思いつつ、釈然としない気分が抜けなかったですね。だれもが安全なものを食べたいし、1ベクレルも体に入れたくないと願うのはわかるのですが、どこか割り切れない気持ちでいました。

そうして事故から一年ほどが経った頃、生活クラブ連合会が発行している月刊誌「生活と自治」から仕事の依頼がありました。撮影は被害を受けた茨城県の原木シイタケ農家で、私はその時、初めて原木シイタケ農家の窮状を知りました。

シイタケは単なる食材ではなく、山の維持と再生を担うカギとなる作物であり、自然の摂理とともにある循環型の暮らしの象徴でもあると教えられました。原木の産地を尋ねると「福島の阿武隈」と言います。まったく知らなかった事実に驚きました。

「阿武隈の山が放射能汚染されたので、もはや原木の出荷はできないだろう」と肩を落とす茨城の農家。農家の方の話を聞きながら私の脳裏に浮かんだのは人間ではなく、シイタケに原発問題を語ってもらう映画が撮れないかという思いでした。この1カ月後、私は阿武隈を訪ねました。最初の1年は東京八王子の自宅から車で通い、2013年の5月から郡山市内にワンルームマンションを借りて5年ほどかけて阿武隈を回って歩いたのです。そうこうしているうち、シイタケ農家の一人に「チェルノブイリに行ってみたい。何とかして」と言われました。

進むGAFA のデジタル支配 生身の領域を回復するには

シイタケ農家は里山で暮らしてきた人たちです。自分たちの里山が今後どうなってしまうのかを知りたいのは当然です。彼は「いま、チェルノブイリの森はどうなっているのか」「現地を見れば阿武隈の27年後の姿がわかるんじゃないか」と私に訴えます。それが本当に実現できるとは彼らは思っていなかったはずです。私が旅行の手配を完了したから、行かざるを得なくなったというのが実際のところかもしれません(笑)。その年は結局、映画の撮影は進まず、シイタケ農家との交流に忙殺されました。
 

「失われた春」より_ 里山

 
「失われた春」より_ 里山

――撮影に何年かけたのですか。

6年以上になります。2019年に完成させ、自主上映方式で上映してもらっています。福島大学での上映会には200人くらいの人が来てくれました。うち学生が100人でしたが、よくこれだけ真面目に書いてくれたというくらいA4版の用紙にびっしり感想を書いてくれました。大切なのは劇場上映では得られないことが、そこにはあるということです。自主上映だからこそ、いささかなりとも濃密に人と人が交われます。それは「あなたも阿武隈に来て、いっしょに考えませんか」という語りかけでもあり、運動の入り口になっていくと期待しています。

今回の映画を通して、人と人との小さなつながりが生まれ、そこから「私たちは阿武隈再生のために、こういうことをしています。みなさんも知恵やお金を貸してください」と周囲に呼びかける主体が生まれてきて、初めて意味があるということではないでしょうか。

私は今後世界が二極分解していくと思っています。一つはプラットフォーマーと呼ばれる「GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)」という超多国籍資本によるインターネットを通した支配に依拠した領域。この勢いはおそらく止まることはありません。もう一つが身近な人と人とのつながりに依拠した領域です。二極と言ってもこちらの領域は圧倒的な少数派ですが……。

新型コロナウイルスの感染拡大は人と人を分断しているといわれますが、もともと分断状態にあったものをインターネットによってつながっていると、私たちが勝手に思い込んでいた節があります。私は新型コロナ禍には「作られた側面」があると思っていますし、そこにはいろいろな力学が働いていると捉えています。

たとえば恐怖を煽ってワクチン開発を進めているかのように見えませんか。製薬会社の株価を高めるために、人びとの危機感を煽っているといえなくもありませんよね。同様の動きは止まることはなく、それは原発を支えてきた力学とも相通じている気がします。気候危機が叫ばれ、温室効果ガスの削減が世界的な課題になると、やはり原発しかないという空気が醸成されてきます。そんな世界から主体的に離れ、生身の身体感覚を取り戻し、自分の足元を見つめ直して生きることが切に求められているという思いを「失われた春」に込めました。
 
福島県双葉町の中間貯蔵現場 2021年2月23日 魚本撮影

写真提供/田嶋雅巳
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛

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