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3年もののカキと新規参入の若者に期待

2011年の東日本大震災で岩手県内最大の犠牲者を出した陸前高田市。主要産業である漁業も甚大な被害を受け、壊滅的な状況に陥った。再起から10年余りが過ぎようとしている現在も漁業復興に向けた動きは続き、新たな希望が芽生えつつある。
 

競り値ナンバーワンの「3年もの」

年を重ねて養分を蓄えたカキは、養殖イカダを沈めかねないほどの重さになる。
「竹では重みに耐えられないため、しっかりと杉で組まれたイカダに吊るします。ぷっくりとした身の『3年もの』のカキが連なると、相当な重さになりますからね」と、岩手県陸前高田市の広田湾でカキ養殖を営む佐々木眞さん(45)。漁師の家に生まれ、一度は東京に出たが、22歳で帰郷したUターン者だ。兄が親の後を継ぎ、自身は漁協の組合員を経て独立し、カキの養殖にいそしむようになった。

養殖のカキは通常1年から2年で出荷するが、佐々木さんは3年間かけてじっくり育てる。殻付きカキは「3年カキ」や「3年もの」と呼ばれ、豊洲市場の競りで何度も最高値をつけてきた。
 

取材したのは5月。出荷シーズンも終盤に差し掛かる頃だったが、「これからが2年目以降のカキを海から上げて、お湯につけてから戻す時期。養分を取り合う他の貝を落とすことで、身入りをよくします」と、佐々木さんは品質向上に余念がない。「カキの名産地に生産量ではかないません。この地域でしかできない育て方だからこそ勝負ができるのです」

3分の1に減った漁業者で再起


養殖イカダに近づくと佐々木さんは船を止め、イカダの上に点在する淡い茶色の小さな玉を指さし、「ウミネコの卵ですよ」と教えてくれた。この時期が産卵期。イカダの上には抱卵する親鳥の姿もある。天敵のいない海上は彼らにとってはふ化のための安全地帯といえる。国の天然記念物に指定されるウミネコだが、広田半島の先に浮かぶ椿島(つばきじま)は繁殖地として名高い。豊かな生態系を感じさせてくれる穏やかな湾の営みだ。この穏やかな景色を一変させたのが、2011年3月11日の東日本大震災だった。

北上高地がリアス式海岸になだれ込むかのような地形の岩手県にあって、陸前高田市はもっとも広い平野部を有する。海抜ゼロメートル地帯に市街地が広がっていた。その大半を東日本大震災の巨大津波は飲み込んだ。震災前は約2万3500人の同市の人口は、現在、1万9000人を切る水準にある。主要産業である漁業の担い手の減少も著しく、2008年に489あった漁業経営体は366に減った。
 

佐々木さんも所有する120台のイカダと3隻の漁船、出荷のために保管していたカキを流された。友人も亡くし、当面のなりわいもない。そんな心の整理がつかない状況で、地元の漁協からカキの養殖を続けるかどうかの判断を迫られた。

「がれきも山積みのままで、行方不明者の捜索も済んでない時期。心底戸惑いました」と佐々木さん。震災前にはようやく養殖技術が身につき、経営も順調に軌道に乗り始めていた。ともに漁業を営む両親や兄弟とも頻繁に話し合いを重ね、将来の暮らしの展望を見いだしつつあった。そのすべてを失い、再起をかけてカキ養殖を再開するには、船やイカダなどの施設を含めて数千万円から億単位の資金が必要だった。「『3年もの』のカキの養殖は、3年先の収穫を見越して投資するということ。その間は無収入になることを意味します。船も流され、補償もどうなるかわからない時期に再開できる人はやはり限られました」

佐々木さんの漁場がある両替(りょうがえ)地区では、震災前は28の経営体がカキの養殖にあたっていた。継続すると手を挙げたのは、佐々木さんを含めてわずかに10経営体であった。漁場再生に向けて静かな再スタートが切られた。

労働力不足が深刻なワカメ養殖

港からしばらく車を走らせ、山に登ると、湖のように凪(な)いだ広田湾と街が一望できた。寒流(親潮)と暖流(黒潮)がぶつかる潮目に位置する広田湾は、世界的にも豊富な魚種で知られ、ワカメ、コンブ、ホタテ、カキ、ホヤなどの産地となっている。単一品種を育てても着実な水揚げは望めない。だから、広田湾の漁業者は多種多様な海産物を育て、通年養殖を通して収入確保に努めてきた。漁業再開から10年が過ぎた現在、継続を決めたカキ養殖は安定してきた。しかし、地域の漁業は元に戻ったといえるのかといえば、広田湾漁業協同組合の戸羽新二さんは首を横に振った。

「カキの養殖エリアとイカダの数は決まっていて、誰かがやめない限り新たな参入はできません。浜(ハマ)で仕事をしたいという若手はいますが、その多くはカキ養殖に参入したい人たちです。一方、ワカメ養殖は厳しい状況に置かれています」
 

戦後、この地域の冬場の仕事になっていたのはワカメ養殖で、今でも岩手県の生産量は全国トップシェアを誇る。ワカメは広田湾の漁業の中軸を担っている生産物の一つであるに違いないが、最近は事情が変わってきた。ワカメは仕掛けてから収穫までの時間が短くて済む。種付けしたロープを冬に仕掛ければ、春には収穫できる。実際に、津波被害にあった養殖漁場では、ワカメの生産でどうにか暮らしを守った現場も多かったという。

ただし、刈り取りして水揚げし、陸にあげてすぐに茹で、塩をつけるという一連の仕事を丸2カ月毎日繰り返さなければならない塩蔵ワカメの生産は労力がかかる。さらに収穫期には人手を確保しなければならないという課題もある。カキ養殖にいそしむ佐々木さんも収穫期には両親の営むワカメ養殖を支援するというが、まさに家族労働で成り立っているのが実情だ。当然だが、ここにも効率化の波が押し寄せる。「小さな船で往来を繰り返せば手間がかかる。だから大型の船で一気に引き上げてくる方が効率的だというのが最近の風潮です」(戸羽さん)

東北農政局によれば、東北6県の漁業経営体は1万727(2018年)を数えたが、この10年間で全体の35パーセントに当たる5863経営体が消滅した。この現実を何とかしようと2018年に漁業法の改定が進められた。これまで地元の漁協にだけ付与してきた漁業権を、企業にも割り当てられるようにするなど、漁業を「成長産業」につなげるための施策とされる。この70年ぶりの法改正には、他の一次産業と同様に、大規模集約化を推進しようとする狙いがあるとされる。ただし日本の漁業者の94パーセントは家族経営の小規模事業者だ。機械化に多額の設備投資が求められることを考えれば、そう簡単な話ではなかろう。

小さな漁業の担い手育てる取り組みも


取材当日の夕刻、カキ養殖漁業者の佐々木さんの船の周囲で働く若者がいた。漁業者の三浦尚子(ひさこ)さんだ。関東地方出身の三浦さんは、学生時代に陸前高田を訪れ、震災ボランティアをしていた。その後、実家に戻ったが「家族のように受け入れてくれた佐々木さんたちが恋しくなり、すぐに戻って来ちゃったんです」と笑う。以来、仮設住宅に住みながら、ワカメやカキの生産を手伝ってきた。漁協の組合員になって独立したのは2020年。現在はワカメ養殖に取り組む。

三浦さんは収穫期には、これまで自分の面倒を見てくれた地元の人たちを短期雇用し、作業を手伝ってもらったという。初めてのシーズンを終えて、「こんなに採れたのか」と驚くほどに十分な水揚げが得られた。水揚げしたワカメは全量漁協に出荷され、塩蔵加工後に「広田湾のわかめ」として販売されている。

自分が養殖を手がけたものを「三浦さんのワカメ」のブランドで世に送り出すことはできないが、「地元の漁師さんたちの審査を経て漁業権を持つことが許され、従業員の立場とは違う責任感が生まれました。ここ陸前高田で漁業を営みながら、地域に根ざして暮らしていくという将来を見据えられるようになりました」と瞳を輝かせた。

佐々木さんのところには、三浦さんのほかに2人の移住者が新たに弟子入りしている。地元に根差し、いずれは小さな漁業の担い手となる貴重な存在だ。彼らを温かく見守る佐々木さんら陸前高田の漁業者の姿が、カキの養殖イカダの上で懸命に卵を抱くウミネコの親の姿に重なった。

撮影/鈴木貫太郎
文/上垣喜寛

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