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生協の食材宅配【生活クラブ】
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合言葉は「森の再生」【木竹製品】


 
戦後の植林から約70年がたち、森林は伐採、再生の時期を迎えている。日々の暮らしの中では、木や竹製品の良さが見直され始めた。長野県塩尻市にある酒井産業は、国産材を使った木竹製品を取り扱い、林業と消費者を結びつける要の存在となっている。

手入れをする時期は今

酒井産業の代表取締役社長、酒井慶太郎さん。「長野県木曽郡木祖村の水木沢天然林は、木曽川の源流です。熊がいますから、ここへ来るには鈴と呼子が必需品です」

日本の国土の68%は森林でおおわれる。かつて、山から切り出した木で家を建て、まきや炭を燃料として暮らす時代があった。

戦後、エネルギー源がガスや石油に代わり、  1964年、輸入材木の関税が撤廃されると、外国の材木が安く利用されるようになる。さらに、電信柱や建築用材、生活用品が他の素材に変わり、国産の木材の利用は減り続け、林業では生活が成り立たず廃業する人が増えた。森林を健全な姿に保つには、間伐、下草刈り、枝打ちなどの手入れが必要だ。林業者の減少とともに森林は荒廃していった。

一方、現在、伐採して利用すべき時期を迎えた森林は多い。戦時中は軍需用に、戦後は焼け野原となった土地に家を建て、街を整備する資材を得るために、大量の木材が山から切り出された。広葉樹が伐採された跡に成長の早い針葉樹を植える「拡大造林」が行われたのは、60年代。それから50年以上がたった今、利用すべき時期を迎えた人工林の面積は全体の半分以上を占める。だが多くは放置されたままで、樹勢が衰え、台風や大雪のために森林自体が崩壊する危険性さえある。

酒井産業の代表取締役社長の酒井慶太郎さんは「日本の森林は、植えて回復する時代を経て、現在は適切に伐採して資源を有効活用する時期です。このままではせっかくの植林が無駄になってしまいます」と言う。

2019年、「森林環境税及び森林環境贈与税に関する法律」が成立した。これにより、それまで、森林が占める面積の割合が大きい府県が独自に行ってきた森林保全にかかわる事業を、日本全体で進めることになった。

豊かな森林は降水を受け止め、栄養豊富な水をつくり出す。森の木は二酸化炭素(CO2)を吸収し蓄え、しっかりと張った木の根は土砂崩れを防ぐ。「森林とは縁遠い場所に暮らす人たちにも、たくさんの生き物が棲(す)む森林の役割を知ってもらい、暮らしの中で木竹製品を通して木のぬくもりを感じてほしい」。酒井さんは森林環境税が、山が元気になるように使われることを願っていると言う。

1年がかりの仕事


酒井産業は、国産材で木竹製品を作る日本全国の約150の工場と提携する。20人から30人規模の工場や家内工場が多い。竹、ヒノキ、サワラなどの、材質や用途に合わせて、調理道具や木のおもちゃなど、取り扱うアイテムは1500種にのぼる。木竹製品の製作は、材料を用意し乾燥するなどの前処理が必要で、1年がかりの仕事だ。

昨年より、新型コロナウイルス感染症が広がり、在宅する人が多くなった。国連が提唱する「SDGs(持続可能な開発目標)」を意識する人も増え、木竹製品が注目され購入量が増えた。一方、昨年末より北米産の材木の輸入量が減り、需要に対する国産材の製材が間に合わず、木材価格の高騰が続いている。利用すべき木はあり、荒廃する一方の森林に手を入れる良い機会なのだが、すぐには製材できない日本林業の事情によると酒井さんは言う。「以前は全国各地に製材所がありました。国内の林業が衰えていく歴史の中で、小さな製材所は、全自動で製材を行う大規模な製材工場に統合されていったのです。需要に合わせて生産量を増やすには、新たな設備投資が必要になります。製材工場は需要が一過性のものかどうかを見極めている状態です」

生活クラブの共同購入のような、1年間を通しての計画的な取り組みは、このような時に大きな力となるそうだ。生産者は前もって材料を用意し、安定した価格で販売できる。酒井産業は、そういった消費者と現場の生産者をつなぎ、調整する役割を果たしている。

国産材を適材適所で

1980年代、東南アジアや南米を中心に森林の乱伐や無計画な農地への転換が行われ、森林破壊が大きな問題となった。FSC認証制度は、そういった森林減少や荒廃に歯止めをかけるため、93年に発足した国際的な認証制度だ。ドイツのボンに本部を置くFSC(森林管理協議会)が運営する。認証は2種類ある。一つは、適切に管理された森に対して与えられるFM(Forest Management)認証。もう一つは、その森の木から作られる製品の、生産・加工・流通にかかわるすべての組織が、製品を適切に管理していることを証明するCoC(Chain of Custody)認証。この二つの認証を経て初めて、FSC認証の製品となる。

酒井産業も、以前、FSC認証製品を取り扱う業者として、CoC認証を取得した。しかし、全国の提携工場の製品を流通するうちに、国内の木工製品に限っては実際の流通と認証制度の間に、少しずつずれが生じていることに気づいた。

日本の森林面積は約2500万ヘクタール。そのうちFM認証を取得しているのは、約41万6千ヘクタール。2%にも満たない。認証取得に多額の費用がかかるうえ、基準に沿った管理もすぐには難しいからだ。「FM認証材が手に入らない生産者も多くいます。材料が不足した時に、簡単に手に入れることも難しい。また、問屋が他の製品と分けて管理するのはとても煩雑なことがわかりました」

現在はFSC認証にこだわらず、森林組合などが適切に管理し切り出した国産材を適材適所で使う木竹製品を扱う。

未来の森をつくる

8月半ば、飛騨高山の急峻(きゅうしゅん)な山の斜面で小規模皆伐が行われていた。切った木は、「索道」と呼ばれる、尾根から尾根へ張られたワイヤーで、谷へと運ばれる。

一般に、過密になった森の手入れとして「間伐」が知られている。木と木の間隔が開くように木を間引き、森の中に光が入るようにする方法だ。日本の森は急斜面での作業が多い。「効率よく搬出できる道路に近い場所の木は間伐をし、索道で搬出可能な範囲は間伐に加え皆伐する。それより奥は雑木林に戻す、という森の再生方法が理想的だと思います」。酒井産業の考え方だ。「伐採の現場と幹線道路をつなぐには、大きな道と小さな道を組み合わせ、森の育成に負担をかけない路網づくりも大切です」。それは土砂災害を防ぐことにもなる。

岐阜県高山市で林業を営む山下木材は、切り出した木を丸太にし、刈り取った枝葉はバイオマス(生物資源)に使う。製材して残った端材はおが粉にして炭を作り、除湿、消臭剤や土壌改良剤として販売する。会長の山下廣治さんは「山で切った木はまるごと使います。私たちが作ったものを全部利用してもらうと、山はきれいになりますよ」と言う。伐採した後は、孫の世代が使うひのきを植える。

「ものづくりの現場の生産者は財産です。そのものづくりを支えるのが、私たちの仕事の原点です」と酒井さん。森林を手入れし、国産の木を使う現場の生産者とともに、50年後、100年後に生まれ変わる森の姿を想い描いている。

撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子

木曽谷の記憶


中央本線は、長野県塩尻市のJR塩尻駅より名古屋方面へ向かうと、木曽谷へ入って行く。木曽山脈と、飛騨山脈に続く御嶽山などの急峻な山々にはさまれた木曽谷の、谷底を流れる奈良井川に沿って、贄川、木曽平沢、奈良井と、木曽路の集落が続く。8月半ばでも夕方6時頃には、もう薄闇に包まれる。日照時間が短く、農産物がよく育たないこの地域では古くから、良質な木材と漆を利用した木曽漆器が作られていた。

木曽平沢の集落を南北に貫く職人通りの両側には、住まいを備えた木曽漆器の工房が並ぶ。工房は大小含めて100軒ほど。木地作り、下塗りなど200ほどある工程を分担し、分業制で汁椀や箸、湯飲みなどを作る。発送用の段ボールを作る人、営業や販売を専門に担当する人もいて、全体で一つの工場のような集落だ。

通りから少し入った所にこぢんまりとした土蔵がある。酒井産業の代表取締役社長、酒井慶太郎さんの祖父の利喜さんが、木曽漆器の大問屋で丁稚(でっち)奉公を終え独立した時に手に入れた土蔵だ。利喜さんはそこから、産地で作られた漆器を鞄に詰め、鉄道やバスを乗り継いで、2週間ほどをかけて愛知県や岐阜県、新潟県の飲食店などに製品を納めた。泊まった旅館からは、座卓やお膳などの注文を取り帰った。携帯電話などない時代だ。利喜さんは旅先からよく手紙を書いた。家族は消印を見て、次の居所を予想したそうだ。

土蔵には、当時使っていた道具や漆などの材料がそのまま残る。2階の梁(はり)には「明治6年」の文字が刻んであり、大きな革製の鞄も残っていた。利喜さんが入るだけの漆器を詰めて、行商を共にしていた鞄だ。夢もたくさん詰め込んでいたのだろう。

慶太郎さんの父の寬さんの時代になると、道路が整備されてトラック輸送が発達した。通信販売が可能になり、取引先が生協などへ広がる。全国の、国産材を使う木竹加工の生産者と提携して、調理用品、桶(おけ)、風呂の椅子などを取り扱うようになった。寬さんは、「子どもの頃から木に親しみ、木に触れて遊ぶことが大切だ」と考えて、木のおもちゃも手がける。それは、後に全国で進められる「木育」という取り組みと同じ考え方だった。

動かすと、コロコロと優しい音がこぼれてくる車の素材はブナの木だ。ミズナラ、ウワズミザクラなどで作ったたまご型の積み木は、子どもの小さな手のひらにおさまる。慶太郎さんが、木曽谷の木の仕事に携わる地域で過ごした時間には、木の香りとぬくもりの記憶が刻み込まれている、森で遊びながらその魅力を十分に受け止め育まれた想像力が、日本の森を生き返らせていくための大きな原動力なのだろう。
撮影/田嶋雅巳
文/本紙・伊澤小枝子
 
『生活と自治』2021年10月号「新連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
 
【2021年10月20日掲載】
 

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