「正当な攻撃」という虚構 米国の調査報道が解き明かした「誤爆」の真相
大矢英代(米国在住ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督)
2021年8月29日、米軍はアフガニスタンの首都・カブールの住宅街を無人爆撃機(ドローン)で空爆した。攻撃直後、米軍は「ターゲットはイスラム国系組織「IS-K」のメンバー」と断言し、攻撃の正当性を訴えた。しかし、その主張を米軍は3週間も経たないうちに撤回し、「誤爆」を認めた。米軍が非を認めるきっかけになったのは、米国メディアによる調査検証報道だ。誤った爆撃の犠牲者は「テロリスト」ではなく、幼い子どもたちを含む一家10人だった。
リーパー(死神)という名のドローン(無人爆撃機)で
「凶悪な攻撃に関与した者はだれでも、追い込み、代償を払わせる」
米国のバイデン大統領が怒りの声をあげたのは、2021年8月26日。アフガニスタンのカブール空港で、イスラム国系組織「IS-K」による自爆攻撃が起き、米兵を含む約170人の死亡が確認された。バイデン大統領の報復宣言通り、翌27日、米軍はアフガニスタン東部を空爆。さらに「再び空港が攻撃される可能性が高い」と判断し、監視を強めていた。
8月29日の朝。カブールの上空では、米軍のドローンが眼下に広がる住宅街の動きに目を光らせていた。「リーパー(死神)」と名付けられたその機体は、同日午前9時頃、カブール空港の東側5キロの地域を走行する1台の白い車を見つけた。その車は一軒の家に立ち寄り、運転手が黒いバッグを受け取ったのちに走り去った。その後も、車は、数時間にわたって、カブール市内のあちらこちらを訪ねて回り、ある施設に立ち寄った際には、そこから数個のプラスチック製タンクを持ち出し、車に積み込んでいた。これを「爆破物に間違いない」と米軍は判断。同日午後4時55分、当該車両が一軒の民家の駐車場に入った瞬間、ドローンからミサイルを発射した。ミサイルは車を直撃、運転手は即死した。
「車両が相当の二次的爆発を起こしたことから、かなりの量の爆発物があった様子だ。民間人の被害の有無を判断しているところだが、現時点ではその兆候は得ていない」
米軍の報道官ビル・アーバン海軍大佐は、空爆作戦の後に記者会見を開き、こう語った。「ターゲットはIS-Kのメンバー」「正当な攻撃だった」と主張した米軍。しかし、事件の真相は、米軍の公式発表とは大きく異なるものだった。
米国のバイデン大統領が怒りの声をあげたのは、2021年8月26日。アフガニスタンのカブール空港で、イスラム国系組織「IS-K」による自爆攻撃が起き、米兵を含む約170人の死亡が確認された。バイデン大統領の報復宣言通り、翌27日、米軍はアフガニスタン東部を空爆。さらに「再び空港が攻撃される可能性が高い」と判断し、監視を強めていた。
8月29日の朝。カブールの上空では、米軍のドローンが眼下に広がる住宅街の動きに目を光らせていた。「リーパー(死神)」と名付けられたその機体は、同日午前9時頃、カブール空港の東側5キロの地域を走行する1台の白い車を見つけた。その車は一軒の家に立ち寄り、運転手が黒いバッグを受け取ったのちに走り去った。その後も、車は、数時間にわたって、カブール市内のあちらこちらを訪ねて回り、ある施設に立ち寄った際には、そこから数個のプラスチック製タンクを持ち出し、車に積み込んでいた。これを「爆破物に間違いない」と米軍は判断。同日午後4時55分、当該車両が一軒の民家の駐車場に入った瞬間、ドローンからミサイルを発射した。ミサイルは車を直撃、運転手は即死した。
「車両が相当の二次的爆発を起こしたことから、かなりの量の爆発物があった様子だ。民間人の被害の有無を判断しているところだが、現時点ではその兆候は得ていない」
米軍の報道官ビル・アーバン海軍大佐は、空爆作戦の後に記者会見を開き、こう語った。「ターゲットはIS-Kのメンバー」「正当な攻撃だった」と主張した米軍。しかし、事件の真相は、米軍の公式発表とは大きく異なるものだった。
8月29日、アフガニスタン・カブール市内で空爆作戦を行った米軍の無人爆撃機MQ-9リーパー。「リーパー」は「死神」を意味する。(撮影:U.S. Air Force Photo / Lt. Col. Leslie Pratt)
米軍の「公式発表」とは異なる現場の光景
爆撃の翌朝、アフガニスタンで取材を続けるジャーナリストのマチュー・エイキンズ記者は、オートバイで爆撃現場に向かった。迷路のように入り組んだ住宅街を進むと、一軒の民家の前に人集(ひとだかり)ができているのが見えた。家族の案内で中庭へと進むと、そこには黒焦げになった車があった。原形をとどめないほどに破壊されている。周辺には遺体が散乱し、爆撃の衝撃を物語っていた。
現場には空爆で命を落とした男性の兄弟がいた。
「彼はIS-Kと繋(つな)がりがあったのですか?」
エイキンズ記者は、まず、米軍の公式発表について質問した。兄弟は「絶対にありえない」と否定。その証拠として、死亡した男性の名刺を記者に見せた。彼の名前は「ザマイリ・アクマディ」。勤務先は米国カリフォルニア州に本部を置くNGO「ニュートリッション・エデュケーション・インターナショナル」で、肩書きには「栄養士・技術士」とあった。
死亡したアクマディさんは、43歳。対テロ戦争の開戦後、戦争で被害を受けた人々や、難民、貧困世帯への食料供給に尽力してきた。
さらに詳しい話を聞くため、エイキンズ記者はアクマディさんの妻と対面した。彼女はショックの余り呆然(ぼうぜん)としていて、エイキンズ記者の呼びかけに言葉を返すことすらできなかった。その隣にいた若い女性は「私の婚約者も一緒に殺された」と泣き叫んでいた。遺族たちは「今回の空爆で幼い子ども7人を含む、一家10人が死亡した」とエイキンズ記者に訴えた。
彼が実際に空爆現場で見た光景と、米軍側の主張との間には、軽視できない大きな食い違いがあった。特に重要なのが「車両が相当の二次的爆発を起こしたことから見て、かなりの量の爆発物があった」という主張との相違だ。エイキンズ記者が目撃した爆破車両周辺の木々は、まだ青々と茂っており、民家の壁も残っていた。米軍が主張した「相当の二次的爆発」の形跡は見当たらなかった。
エイキンズ記者は、ニューヨークタイムズの映像調査チームとタッグを組み、調査を開始。亡くなったアクマディさんの同僚や近所の人たちへの取材を積み重ねた。そしてアクマディさんの勤務先に設置されていた防犯カメラの映像を入手し、映像を解析し、アクマディさんの足取りを追った。まるでパズルのピースを組み合わせていくような地道な調査の積み重ねが「8月29日」の全体像を浮かび上がらせていった。
現場には空爆で命を落とした男性の兄弟がいた。
「彼はIS-Kと繋(つな)がりがあったのですか?」
エイキンズ記者は、まず、米軍の公式発表について質問した。兄弟は「絶対にありえない」と否定。その証拠として、死亡した男性の名刺を記者に見せた。彼の名前は「ザマイリ・アクマディ」。勤務先は米国カリフォルニア州に本部を置くNGO「ニュートリッション・エデュケーション・インターナショナル」で、肩書きには「栄養士・技術士」とあった。
死亡したアクマディさんは、43歳。対テロ戦争の開戦後、戦争で被害を受けた人々や、難民、貧困世帯への食料供給に尽力してきた。
さらに詳しい話を聞くため、エイキンズ記者はアクマディさんの妻と対面した。彼女はショックの余り呆然(ぼうぜん)としていて、エイキンズ記者の呼びかけに言葉を返すことすらできなかった。その隣にいた若い女性は「私の婚約者も一緒に殺された」と泣き叫んでいた。遺族たちは「今回の空爆で幼い子ども7人を含む、一家10人が死亡した」とエイキンズ記者に訴えた。
彼が実際に空爆現場で見た光景と、米軍側の主張との間には、軽視できない大きな食い違いがあった。特に重要なのが「車両が相当の二次的爆発を起こしたことから見て、かなりの量の爆発物があった」という主張との相違だ。エイキンズ記者が目撃した爆破車両周辺の木々は、まだ青々と茂っており、民家の壁も残っていた。米軍が主張した「相当の二次的爆発」の形跡は見当たらなかった。
エイキンズ記者は、ニューヨークタイムズの映像調査チームとタッグを組み、調査を開始。亡くなったアクマディさんの同僚や近所の人たちへの取材を積み重ねた。そしてアクマディさんの勤務先に設置されていた防犯カメラの映像を入手し、映像を解析し、アクマディさんの足取りを追った。まるでパズルのピースを組み合わせていくような地道な調査の積み重ねが「8月29日」の全体像を浮かび上がらせていった。
マチュー・エイキンズ記者が取材、執筆したニューヨークタイムズの特集記事「調査報道:米軍のドローン攻撃、爆破物なしと判明」。記事が公開されてから約1週間後の9月17日、米軍は「誤爆」を認めた。(撮影:大矢英代)
ノートPCと水を運んだのを「不審行為」と断定
「自宅にノートパソコンを忘れてしまったので、通勤途中にうちに寄ってパソコンを持ってきてくれないか?」
午前8時45分、アクマディさんの元に、事務所の上司から電話が入った。アクマディさんは了解し、すぐに出勤の準備を整えた。15分後、社用車に乗り込み、自宅を出発した。上空のドローンがアクマディさんの車を見つけたのはこのときだ。ドローンはここから8時間にわたり、監視を続ける。
アクマディさんは上司の自宅に立ち寄り、ノートパソコンを受け取った後、その足で同僚二人をそれぞれの自宅に迎えに行った。午前9時35分、アクマディさんの勤務先の防犯カメラに事務所に到着した車が映った。同僚と一緒にアクマディさんが事務所に入っていく。
その後、彼らは再び車に乗り込んだ。向かったのは、タリバンが占拠する警察署。難民への食料支援を行うため、タリバン側に許可を求めたのだ。午後2時頃、勤務先の防犯カメラには、警察署から戻ってきた様子が映っている。
その30分後、防犯カメラには、再び事務所から出てきたアクマディさんが映し出された。手には放水用ホースを持っている。そのホースを使って、彼は複数のプラスチック製タンクに水を入れている。事務所の警備員も、その作業を手伝う。そしてプラスチック製タンクを次々と車に積み込んだ。
その様子を上空から偵察していた米軍のドローンは、プラスチック製タンクを「爆発物」と判断した。米軍側にとっては「容疑者の犯行を捉えた決定的瞬間」だった。
アクマディさんは、なぜプラスチック製タンクに水を汲(く)んでいたのか。ニューヨークタイムズの取材チームは、同僚などへの聞き込みから、彼の暮らす地域では、アフガン政権の崩壊によって水道水が使えなくなったことを明らかにする。水不足に悩む家族のために、勤務先から水を持ち帰っていたのだ。
アクマディさんは、同僚たちをそれぞれの自宅に送り届けた後、午後4時55分、自宅に帰ってきた。遺族はその瞬間をこう語っている。
「子どもたちは『お父さんが帰ってきた』と大喜びで車に駆けていった。どこかに車で連れて行ってとせがんで、車の後部座席に乗り込んだんだ。アクマディのいとこのナサールは、水タンクの積み下ろしを手伝おうとして車に近寄っていった」
次の瞬間、突然の爆発音が轟(とどろ)いた。家の窓ガラスは飛び散り、家族はパニックに陥る。アクマディさんの兄弟が中庭に飛びだすと、そこには黒煙と炎に包まれた車両と、子どもたちの遺体が散乱していた。
この爆撃によってアクマディさん(43)と3人の子どもたち(20歳、16歳、10歳)、アクマディさんのいとこ(30歳)、4人の甥(おい)と姪(めい)たち(7歳、6歳、3歳、2歳)が死亡した。
一家の死から12日後、ニューヨークタイムズは特集「調査報道:米軍のドローン攻撃、爆破物なしと判明」を公開。同日、ワシントンポストも「『正当な攻撃』を検証する」と題した調査報道特集を公開した。報道は米国社会に大きな衝撃を与え、2社の報道は各国のメディアでも大きく報じられた。
記事公開から約1週間後、米軍は、攻撃によって犠牲になったのは「IS-K」とは無関係な一般市民だったことを認め、「攻撃は悲劇的な間違いだった」と語った。メディアの報道が米軍の誤りを見破り、非を認めさせたのだ。
午前8時45分、アクマディさんの元に、事務所の上司から電話が入った。アクマディさんは了解し、すぐに出勤の準備を整えた。15分後、社用車に乗り込み、自宅を出発した。上空のドローンがアクマディさんの車を見つけたのはこのときだ。ドローンはここから8時間にわたり、監視を続ける。
アクマディさんは上司の自宅に立ち寄り、ノートパソコンを受け取った後、その足で同僚二人をそれぞれの自宅に迎えに行った。午前9時35分、アクマディさんの勤務先の防犯カメラに事務所に到着した車が映った。同僚と一緒にアクマディさんが事務所に入っていく。
その後、彼らは再び車に乗り込んだ。向かったのは、タリバンが占拠する警察署。難民への食料支援を行うため、タリバン側に許可を求めたのだ。午後2時頃、勤務先の防犯カメラには、警察署から戻ってきた様子が映っている。
その30分後、防犯カメラには、再び事務所から出てきたアクマディさんが映し出された。手には放水用ホースを持っている。そのホースを使って、彼は複数のプラスチック製タンクに水を入れている。事務所の警備員も、その作業を手伝う。そしてプラスチック製タンクを次々と車に積み込んだ。
その様子を上空から偵察していた米軍のドローンは、プラスチック製タンクを「爆発物」と判断した。米軍側にとっては「容疑者の犯行を捉えた決定的瞬間」だった。
アクマディさんは、なぜプラスチック製タンクに水を汲(く)んでいたのか。ニューヨークタイムズの取材チームは、同僚などへの聞き込みから、彼の暮らす地域では、アフガン政権の崩壊によって水道水が使えなくなったことを明らかにする。水不足に悩む家族のために、勤務先から水を持ち帰っていたのだ。
アクマディさんは、同僚たちをそれぞれの自宅に送り届けた後、午後4時55分、自宅に帰ってきた。遺族はその瞬間をこう語っている。
「子どもたちは『お父さんが帰ってきた』と大喜びで車に駆けていった。どこかに車で連れて行ってとせがんで、車の後部座席に乗り込んだんだ。アクマディのいとこのナサールは、水タンクの積み下ろしを手伝おうとして車に近寄っていった」
次の瞬間、突然の爆発音が轟(とどろ)いた。家の窓ガラスは飛び散り、家族はパニックに陥る。アクマディさんの兄弟が中庭に飛びだすと、そこには黒煙と炎に包まれた車両と、子どもたちの遺体が散乱していた。
この爆撃によってアクマディさん(43)と3人の子どもたち(20歳、16歳、10歳)、アクマディさんのいとこ(30歳)、4人の甥(おい)と姪(めい)たち(7歳、6歳、3歳、2歳)が死亡した。
一家の死から12日後、ニューヨークタイムズは特集「調査報道:米軍のドローン攻撃、爆破物なしと判明」を公開。同日、ワシントンポストも「『正当な攻撃』を検証する」と題した調査報道特集を公開した。報道は米国社会に大きな衝撃を与え、2社の報道は各国のメディアでも大きく報じられた。
記事公開から約1週間後、米軍は、攻撃によって犠牲になったのは「IS-K」とは無関係な一般市民だったことを認め、「攻撃は悲劇的な間違いだった」と語った。メディアの報道が米軍の誤りを見破り、非を認めさせたのだ。
カブール市内で暮らす難民の子ども。米軍の攻撃で死亡したザマイリ・アクマディさんは、対テロ戦争の被害を受けた難民や貧困世帯に食糧を届けるNGO団体の職員だった。(撮影:2021年8月1日 / Trent Inness / Shutterstock)
過去20年で膨大な犠牲者を出しながら
私がアクマディさんの事件を初めて知ったのは、運転していた車のラジオが伝えたニュースを通してだった。
「被害者の乗った車は、白いトヨタカローラでした」
ハンドルを握る私はドキリとした。そのとき運転していたのも白のトヨタカローラだったからだ。カブール市内を走る車はほとんどが白色系で、トヨタカローラが最もポピュラーな車種であり、米軍の情報捜査局は「IS-Kは次の攻撃の際には白いトヨタカローラを使う」との情報を得ていたという。
ラジオニュースはこうも伝えた。「アクマディさんは、カブール市内の施設を訪ねて回っていた。それらの施設がIS-Kのアジトと見られたため、容疑者と疑われた」と。
また私はドキリとした。その日、私はサンフランシスコ市内の各所を運転して回り、何軒かの友人宅を訪ねていた。そして、いつも通り運転中にニュースを聞きながら、いつも通りの道を、いつも通り帰路についていた。
運転席からふと空を見上げると、カリフォルニアの澄んだ秋の空は、夕焼けに染まっていた。もしもこの瞬間、自分がカブールで同じ行為をしていたらどうだったろうか。この空の彼方(かなた)を飛行するドローンに、私も一日中、監視されていたかもしれない。米軍基地に設置されたコンピュータースクリーンには、車を運転する私の姿が映し出されている。そして、軍人が指先でスイッチを押した瞬間、空から降ってきたミサイルで木っ端微塵(こっぱみじん)に吹き飛ばされるとしたら……。そんな恐ろしいことが、実際に、アクマディさんの身には起きたのだ。
最大の問題は、このような米軍の「誤爆」が過去にも繰り返し起きていたことにある。大勢の一般市民が犠牲になった結婚式場爆撃事件(2008年)、100人以上が死亡したファラー州爆撃事件(2009年)、医師や看護師、患者など42人が死亡した病院爆撃事件(2016年)など、アフガニスタンで起きた代表的な事例だけをとっても膨大な犠牲者を出している。
「被害者の乗った車は、白いトヨタカローラでした」
ハンドルを握る私はドキリとした。そのとき運転していたのも白のトヨタカローラだったからだ。カブール市内を走る車はほとんどが白色系で、トヨタカローラが最もポピュラーな車種であり、米軍の情報捜査局は「IS-Kは次の攻撃の際には白いトヨタカローラを使う」との情報を得ていたという。
ラジオニュースはこうも伝えた。「アクマディさんは、カブール市内の施設を訪ねて回っていた。それらの施設がIS-Kのアジトと見られたため、容疑者と疑われた」と。
また私はドキリとした。その日、私はサンフランシスコ市内の各所を運転して回り、何軒かの友人宅を訪ねていた。そして、いつも通り運転中にニュースを聞きながら、いつも通りの道を、いつも通り帰路についていた。
運転席からふと空を見上げると、カリフォルニアの澄んだ秋の空は、夕焼けに染まっていた。もしもこの瞬間、自分がカブールで同じ行為をしていたらどうだったろうか。この空の彼方(かなた)を飛行するドローンに、私も一日中、監視されていたかもしれない。米軍基地に設置されたコンピュータースクリーンには、車を運転する私の姿が映し出されている。そして、軍人が指先でスイッチを押した瞬間、空から降ってきたミサイルで木っ端微塵(こっぱみじん)に吹き飛ばされるとしたら……。そんな恐ろしいことが、実際に、アクマディさんの身には起きたのだ。
最大の問題は、このような米軍の「誤爆」が過去にも繰り返し起きていたことにある。大勢の一般市民が犠牲になった結婚式場爆撃事件(2008年)、100人以上が死亡したファラー州爆撃事件(2009年)、医師や看護師、患者など42人が死亡した病院爆撃事件(2016年)など、アフガニスタンで起きた代表的な事例だけをとっても膨大な犠牲者を出している。
タリバン政権下に置かれたアフガンの人々への連帯の声が世界各地で上がった。(撮影:8月28日ロンドン/ Koca Vehbi / Shutterstock)
2001年以降の「対テロ戦争」による犠牲者や、投入された税金について調査を行ってきたナタ・クロフォード教授(ボストン大学)は、2021年9月21日、ラジオ番組に出演し、「過去20年間、米軍の空爆によって死亡したアフガニスタンの市民は5900人にのぼる」と話した。クロフォード教授らの調査によれば、アフガンとイラクでは一般市民約25万5000人が犠牲になった。対テロ戦争の戦禍が広がったシリアやパキスタンなどの周辺諸国まで含めると、一般市民の犠牲は約38万7000人まで膨れ上がる。
膨大な犠牲者のなかには、たくさんの「アクマディさんとその家族」がいたはずだ。米国メディアの報道で、アクマディさんはテロリストという汚名を払うことができた。しかし残された遺族にとって、米メディアの報道がどれほどの意義を持つものなのかは、私には正直わからない。アクマディさんの遺族が今、世界の人たちに問いかけたいことがあるとしたら、きっと、こういうことではないだろうか。
「米軍の攻撃によって、既にこれだけの一般市民の犠牲が出ていながら、なぜ、私たちの家族が犠牲になるのを防いでくれなかったのですか?これからもずっと、私たちのような犠牲者を出し続けるつもりなのですか?」
米軍が事実を認めた後も、アクマディさんの遺族に対して、米軍と米国政府からは謝罪の言葉すらなく、現場となった中庭には、まだ車の残骸が残されたままだという。
2001年以降の「対テロ戦争」による犠牲者や、投入された税金について調査を行ってきたナタ・クロフォード教授(ボストン大学)は、2021年9月21日、ラジオ番組に出演し、「過去20年間、米軍の空爆によって死亡したアフガニスタンの市民は5900人にのぼる」と話した。クロフォード教授らの調査によれば、アフガンとイラクでは一般市民約25万5000人が犠牲になった。対テロ戦争の戦禍が広がったシリアやパキスタンなどの周辺諸国まで含めると、一般市民の犠牲は約38万7000人まで膨れ上がる。
膨大な犠牲者のなかには、たくさんの「アクマディさんとその家族」がいたはずだ。米国メディアの報道で、アクマディさんはテロリストという汚名を払うことができた。しかし残された遺族にとって、米メディアの報道がどれほどの意義を持つものなのかは、私には正直わからない。アクマディさんの遺族が今、世界の人たちに問いかけたいことがあるとしたら、きっと、こういうことではないだろうか。
「米軍の攻撃によって、既にこれだけの一般市民の犠牲が出ていながら、なぜ、私たちの家族が犠牲になるのを防いでくれなかったのですか?これからもずっと、私たちのような犠牲者を出し続けるつもりなのですか?」
米軍が事実を認めた後も、アクマディさんの遺族に対して、米軍と米国政府からは謝罪の言葉すらなく、現場となった中庭には、まだ車の残骸が残されたままだという。
サンフランシスコ湾に沈む夕日(撮影:大矢英代)
※2021年10月14日、米国防省は8月29日の米軍の誤爆により命を落とした犠牲者の遺族に見舞金を支払い、アクマディさんの家族が米国への移住を希望するのであれば支援する意向を表明した。さらにアクマディさんが長年にわたり慈善団体で働き、アフガニスタンで人々の命を救う仕事に取り組んできたことを明らかにしている。
おおや はなよ
1987年千葉県出身。明治学院大学文学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズム修士課程修了。2012年より琉球朝日放送にて報道記者として米軍がらみの事件事故、米軍基地問題、自衛隊配備問題などを取材。ドキュメンタリー番組『テロリストは僕だった~沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~』(2016年・琉球朝日放送)で2017年プログレス賞最優秀賞など受賞。2017年フリーランスに。ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵との共同監督)で文化庁映画賞文化記録映画部門優秀賞、第92回キネマ旬報ベストテン文化映画部門1位など多数受賞。 2018年、フルブライト奨学金制度で渡米。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員として、米国を拠点に軍隊・国家の構造的暴力をテーマに取材を続ける。
2020年2月、10年にわたる「戦争マラリア」の取材成果をまとめた最新著書・ルポルタージュ『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を上梓。本書で第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞奨励賞。
1987年千葉県出身。明治学院大学文学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズム修士課程修了。2012年より琉球朝日放送にて報道記者として米軍がらみの事件事故、米軍基地問題、自衛隊配備問題などを取材。ドキュメンタリー番組『テロリストは僕だった~沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~』(2016年・琉球朝日放送)で2017年プログレス賞最優秀賞など受賞。2017年フリーランスに。ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵との共同監督)で文化庁映画賞文化記録映画部門優秀賞、第92回キネマ旬報ベストテン文化映画部門1位など多数受賞。 2018年、フルブライト奨学金制度で渡米。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員として、米国を拠点に軍隊・国家の構造的暴力をテーマに取材を続ける。
2020年2月、10年にわたる「戦争マラリア」の取材成果をまとめた最新著書・ルポルタージュ『沖縄「戦争マラリア」―強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を上梓。本書で第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞奨励賞。