厳しさ増す世界の食料需給 いま何が求められているのか?
新型コロナウイルスの新規感染者数が減少傾向に向かい、世界各国が経済活動を再開し始めています。これを受けて原油価格が高騰。多くの業種で働き手の確保がままならず、多くの製品の製造流通に支障が生じています。こうしたなか、中国が家畜の飼料や油脂原料となるトウモロコシや大豆の買い付け量を大幅に増やしています。国際的な穀物相場が引き上げられ、日本で販売される畜肉、小麦粉、食用油などの値上げにつながりました。
中国が穀物の大量買い付けに動いた背景には、国民の食生活の変化のみならず、経済発展による農地の減少と「気候危機」による農産物の不作があります。そこに新型コロナ禍が追い打ちをかけたといえるでしょう。東京大学大学院教授の鈴木宣弘さんは「中国による穀物の大量買い付けは決して一過性のものではなく、今後も常態化する」と指摘します。
中国が穀物の大量買い付けに動いた背景には、国民の食生活の変化のみならず、経済発展による農地の減少と「気候危機」による農産物の不作があります。そこに新型コロナ禍が追い打ちをかけたといえるでしょう。東京大学大学院教授の鈴木宣弘さんは「中国による穀物の大量買い付けは決して一過性のものではなく、今後も常態化する」と指摘します。
コメは余っているから「大丈夫」とはいえない事態
――この間、畜肉や食用油、小麦粉などの食料品の値上げが相次いでいます。コメだけは外食需要の低迷により2021年6月末現在の20年産米の民間在庫は約173万トン(速報値)となり、販売価格の大幅下落が続いています。食料品の値上げは家計に響くが手に入らないわけではなく、コメは余っているのだから、日本の食料が不足しているわけではないという受け止め方が一般的です。
そうですね。確かに日本の食料は足りていると考えている人が大多数でしょう。しかし、その発想を今回のコロナ禍を機に転換してほしいと私は思っています。一国の食料が足りているか否かを測る場合の指標として世界的に重視されているのは、非常時に生命活動を維持するのに必要なカロリーの源となる穀物の自給率です。では、日本の小麦の自給率はどうかといえば15パーセント、大豆が6パーセント、トウモロコシに至ってはほぼゼロパーセントの水準です。コメは97パーセントとほぼ自給できていますが、日本の穀物自給率は28パーセントと実に厳しい状況にあります。もしも不測の事態に直面したとき、生命維持に必要な熱源が7割も欠乏するのですから、とても足りているとはいえません。
このまま1俵(60キロ)の価格が生産コストの全国平均とされる1万5000円を下回る事態が定着すれば、経営の厳しさからコメの生産を断念する農家が増える恐れが高まります。コメ農家が減少し、そこに気候危機が重なれば、1993年のコメ不足の再来が現実味を帯びてきます。水田が減少すれば、着実に高まりつつある飼料用米の生産にも多大なる影響が出てくるのは必至です。そうなっては穀物自給率のさらなる低下は否めません。
今回のコメ在庫の増加の背景にはコロナ禍で食べたくても食べられない人達が激増し、需要はあるけど買えなくなったという現実があります。だから、コメは余っているのでなく、実は足りていないのです。
農水省によれば、2020年の1人当たりコメ消費が史上最大の2.5kgも減りました。全体で32万トンです。傾向的に10万トンくらい減少している分を差し引いても20万トン以上がコロナ禍の影響とみられるのです。
日本における年間所得が127万円未満の世帯の割合(相対的貧困率)は15.4パーセント(2018年現在)に達し、年間所得が300万円未満の世帯も50パーセントに迫ろうとしています。これは先進国のなかでも米国に次いで最悪の水準です。そんな過酷な経済状態にある人々の暮らしを新型コロナ禍が直撃しました。職を失い、収入が激減し、食事を「1日1食」に切り詰めざるを得ないというケースが増えているのです。
いま不可欠なのは、政府が人道的支援の見地に立ち、農家から買い上げたコメを必要とする人たちに無償で提供する仕組みです。それは在庫増加と価格下落に悩む農家の支援にもつながります。日本のマスメディアはあまり取り上げていませんが、実はすでに米国では新型コロナ禍対策の一環として、農家への支援と消費者支援を一体化した政策が実行されています。
このほど「岸田総理が15万トンの人道支援を行うと表明」との趣旨の報道がありました。しかし、それは15万トンのコメを全農などが長期保管した場合の保管料を支援するもので、子ども食堂などに提供されるのは2年後の「古古米」などになると聞いています。これでは人道的支援でもコロナ禍で失われたコメ需要の回復に努めた結果としての米価安定化措置にもなりません。
法律上、直接支援のためのコメ買上げは認められないからと政府は言いますが、緊急時に柔軟で機動的に制度運用せずして、何のための制度でしょうか。本来、国民を救うためにあるはずの法や制度が、法や制度に縛られて国民を救うどころか、苦しめることが日本では多すぎます。こんな本末転倒な話はありません。冷酷な解釈で、消費者と生産者の苦しみを放置することが法律の役目とは思えないのですが。
コロナ禍の消費者支援に米国は10兆円の農業予算を充当
――農家支援と消費者支援を兼ねた米国の新型コロナ対策ですか。その内容を具体的に説明してください。
2020年4月17日、新型コロナの感染拡大で打撃を受けた農家を支援するため、トランプ政権は「コロナウイルス支援・救済・経済安定保護法(CARES)などに基づき、190億ドル(約2.1兆円)規模の緊急支援策を発表しました。むろん、選挙対策の側面があったことは否めないでしょうが、まずは160億ドル(約1.8兆円)を農家への直接給付(所得補てん)に充てました。さらに30億ドル(約3300億円)を投入し、コロナ禍で販売不振に陥った食肉や乳製品、野菜を連邦政府が生産者から買い上げ、それらをフードバンクや教会をはじめ、生活困窮者支援団体などに無償提供したのです。
生産農家への直接給付の金額は経営面積によって異なりますが、1戸当たり年間約25万ドル(約2750万円)を上限とする助成措置が採用され、その第2弾として半年後に農家へ130億ドル(約1.4兆円)が直接給付されました。所得補てんと合わせて在庫となった農作物を連邦政府が買い上げて農家を守り、買い上げた農作物を経済的苦境に立たされた消費者への食料支援に取り組む人に活用してもらうという理にかなった政策の発動です。さらに米国農務省は生鮮食品に乳製品と肉製品をそれぞれ毎月1億ドル(約110億円)分購入しています。その産地からの調達から包装配給までを食品流通大手のシスコとの提携で可能にし、大量の農畜産物を消費者支援に回しています。
そもそも米国の農家への助成金は穀物輸出分だけで年間100億ドル(約1.1兆円)規模になる年があるほど手厚く、所得補填の仕組みも日本とは比較にならないほど充実しています。この背景には年間1000億ドル(約11兆円)近くが計上される農業予算があります。まさに食料は自国民の生命を守るための礎(いしずえ)であり、軍事力とエネルギー同様に国際的な優位性を保つための有効な「武器」であるという米国の基本理念を体現したものといえるでしょう。ここでさらに注目したいのが米国の農業予算の64パーセントが「Supplemental Nutrition Assistance Program」の頭文字を取った「SNAP=スナップ」と呼ばれる低所得者層への栄養支援プログラムに使われているという事実です。ちなみにスナップはかつて「フードスタンプ」と呼ばれていました。
その受給要件は4人世帯であれば、粗月収2500ドル(約27万5000円)で純月収2000ドル(約22万円)を下回る場合とされ、対象者には最大月650ドル(約7万1500円)ほどの「Electric benefit transfer=EBT」カードが支給されます。EBTでの支払いが可能な小売店で食料品を購入すれば、その代金が自動的に受給者のスナップ口座から引き落とされる仕組みで、2015年には米国民の7人に1人に相当する4577万人が受給しました。このように経済的な苦境に立たされた消費者支援を農業予算で推進することで、農畜産物の需要が喚起され、生産振興と持続的な再生産が可能となり、必要とする食料が買えなかった人たちの厳しい現実が少しずつでも改善されているのです。
ただし、スナップを使ってウォルマートなどで購入されるのは、大手飲料メーカーや食品メーカーが販売するインスタント食品などが中心で、高価な生鮮食品は少ないという指摘や、スナップが助けているのは零細農家や困窮したワーキングプアではなく、食品業界と偏った食事が招く疾病が需要を生む製薬企業やカード事業を担う金融業界でしかないという批判があるのも事実です。そうした点は是正していく必要があるのは当然ですが、まずもって注目したいのは農業予算で消費者支援をする、消費者支援が生産者支援であり、逆もまた真なりという視点を具体化した仕組みであることだと私は思っています。
2020年4月17日、新型コロナの感染拡大で打撃を受けた農家を支援するため、トランプ政権は「コロナウイルス支援・救済・経済安定保護法(CARES)などに基づき、190億ドル(約2.1兆円)規模の緊急支援策を発表しました。むろん、選挙対策の側面があったことは否めないでしょうが、まずは160億ドル(約1.8兆円)を農家への直接給付(所得補てん)に充てました。さらに30億ドル(約3300億円)を投入し、コロナ禍で販売不振に陥った食肉や乳製品、野菜を連邦政府が生産者から買い上げ、それらをフードバンクや教会をはじめ、生活困窮者支援団体などに無償提供したのです。
生産農家への直接給付の金額は経営面積によって異なりますが、1戸当たり年間約25万ドル(約2750万円)を上限とする助成措置が採用され、その第2弾として半年後に農家へ130億ドル(約1.4兆円)が直接給付されました。所得補てんと合わせて在庫となった農作物を連邦政府が買い上げて農家を守り、買い上げた農作物を経済的苦境に立たされた消費者への食料支援に取り組む人に活用してもらうという理にかなった政策の発動です。さらに米国農務省は生鮮食品に乳製品と肉製品をそれぞれ毎月1億ドル(約110億円)分購入しています。その産地からの調達から包装配給までを食品流通大手のシスコとの提携で可能にし、大量の農畜産物を消費者支援に回しています。
そもそも米国の農家への助成金は穀物輸出分だけで年間100億ドル(約1.1兆円)規模になる年があるほど手厚く、所得補填の仕組みも日本とは比較にならないほど充実しています。この背景には年間1000億ドル(約11兆円)近くが計上される農業予算があります。まさに食料は自国民の生命を守るための礎(いしずえ)であり、軍事力とエネルギー同様に国際的な優位性を保つための有効な「武器」であるという米国の基本理念を体現したものといえるでしょう。ここでさらに注目したいのが米国の農業予算の64パーセントが「Supplemental Nutrition Assistance Program」の頭文字を取った「SNAP=スナップ」と呼ばれる低所得者層への栄養支援プログラムに使われているという事実です。ちなみにスナップはかつて「フードスタンプ」と呼ばれていました。
その受給要件は4人世帯であれば、粗月収2500ドル(約27万5000円)で純月収2000ドル(約22万円)を下回る場合とされ、対象者には最大月650ドル(約7万1500円)ほどの「Electric benefit transfer=EBT」カードが支給されます。EBTでの支払いが可能な小売店で食料品を購入すれば、その代金が自動的に受給者のスナップ口座から引き落とされる仕組みで、2015年には米国民の7人に1人に相当する4577万人が受給しました。このように経済的な苦境に立たされた消費者支援を農業予算で推進することで、農畜産物の需要が喚起され、生産振興と持続的な再生産が可能となり、必要とする食料が買えなかった人たちの厳しい現実が少しずつでも改善されているのです。
ただし、スナップを使ってウォルマートなどで購入されるのは、大手飲料メーカーや食品メーカーが販売するインスタント食品などが中心で、高価な生鮮食品は少ないという指摘や、スナップが助けているのは零細農家や困窮したワーキングプアではなく、食品業界と偏った食事が招く疾病が需要を生む製薬企業やカード事業を担う金融業界でしかないという批判があるのも事実です。そうした点は是正していく必要があるのは当然ですが、まずもって注目したいのは農業予算で消費者支援をする、消費者支援が生産者支援であり、逆もまた真なりという視点を具体化した仕組みであることだと私は思っています。
このままでは大規模コメ専業農家が倒れていく恐れも
――新型コロナウイルス感染拡大への懸念が完全に消えたわけではなく、世界各地が「気候危機」の脅威にさらされるなか、中国が食料確保の動きを強化し、穀物を大量に買い付けているそうですね。
中国の2021年の穀物輸入は2016年と比べて、小麦が2.3倍の560万トン増、トウモロコシは10.6倍の2300万トン増、大豆が1.1倍の950万トン増と大幅に増えています。この背景には食生活の変化のみならず、経済発展による農地の減少と「気候危機」による国内生産量の低下などの理由があります。むろん、新型コロナ禍による生産国からの輸出規制に備える側面もあるはずです。こうした中国の動きは一過性のものではなく、今後も常態化していき、世界の食料自給は厳しくなる一方だと私は見ています。
にもかかわらず、日本政府は公的資金を投入して食料の生産基盤を守ろうとはせず、穀物自給率の頼みの綱ともいえるコメの生産農家への支援を強化しようとしていません。15万トンのコメの保管料支援は人道支援にも市場隔離にも不十分ですし、在庫増により大幅に下落した米価に対する価格補てんも不十分なままですし、米国のスナップのような仕組みを立ち上げようともしていません。このまま米価が1万5000円を下回る水準が続けば、大規模な専業稲作農家から廃業に追い込まれる恐れもあります。ところが、政府には緊急時にいかに機動的に生産農家を救うか、それが消費者を守ることでもあるという感覚がまったくといっていいほど欠落している気がしてなりません。このままではコメに限らず、日本の農畜産物の生産基盤は崩壊してしまいます。いまが政策転換の正念場なのです。
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛
鈴木宣弘さんの近刊「農業消滅 農政の失敗がまねく国家存亡の危機」(平凡社新書)
すずき・のぶひろ
1958年生まれ。東京大学大学院教授。農林水産省、九州大学教授を経て現職。国民のいのちの源である「食」と「農」の価値を訴え、国内の一次産業を切り捨て、大企業の利潤追求を最優先する新自由主義経済への厳しい批判を一貫して続けている。著書に『食の戦争』( 文春新書) がある。