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[本の花束2022年5月] 人がいて、暮らしがあった生のきらめきに満ちたモノクロ写真

工藤正市さんは、青森県の地方新聞『東奥日報』で戦後まもなくから長きにわたって、カメラマンとして活躍。
最近になって多くの未発表写真を娘・加奈子さんが発見し、『青森1950-1962 工藤正市写真集』が刊行されました。
この写真集について、加奈子さんに寄稿いただきました。

父が遺したネガフィルム

工藤加奈子

実家の押入れの天袋の奥に、大小の段ボールに入れられた大量のネガフィルムを発見したのは、父が亡くなってから四年後のことでした。母が施設に入ることになり、荷物を整理していたのです。

新聞社に勤めていた父が、若い頃、仕事以外でも写真を撮り、雑誌に投稿していたことは、それとなく聞いていました。

しかし「人様に見せられるような写真はもう残っていない」と、常々話していたので、驚きと同時に、何が写っているのか見当もつかず戸惑いました。

そんな時にテレビカメラマンである夫が、現像は大変だから、データ化してみようと、早速スキャンをする道具を買ってきました。そして、一枚一枚小さなフィルムを拡大していくと、そこには私が生まれる前、二十代の父が撮影した七十年前の青森が写っていたのです。

濛々と煙を上げる青函連絡船、行商人や荷物が行き交う駅前の魚菜市場、道端で赤ん坊を背負って遊ぶ子どもたち、厳しい肉体労働をしながら明るく前向きな人々、どれもこれも、笑い声が聞こえ、夕飯の匂いが漂ってくるような写真でした。

笑顔の人が多いのは、きっとカメラマンの父も笑っていたからでしょう。私が知る父は、ちょっと気難しく、人付きあいが良いとは言えなかったので、新しい父を発見したような気持ちになりました。

仕事人間で、あまり遊んでもらった記憶はありませんが、若い頃は朗らかで好奇心旺盛、写真を撮ることが楽しくてたまらなかったようです。

今も青森といえば、豪雪や生活の厳しさをことさらに強調した表現が多いなか、父の写真には、雪国に暮らす市井の人々の喜びや幸せがありました。毎日の通勤途中に、面白いと思った瞬間を切り取っただけなのかもしれません。 

父の写真を見て、一番喜んだのは母でした。忘れていた当時の思い出がどんどん甦って、写真を見ながらいろいろな話をしました。

母が他界し、その後は、新型コロナウイルス感染症によって自宅待機の日々。それならばと、ネガフィルムのデータ化を再開し、インスタグラムで写真の発表をはじめました。

すると青森はもちろん、全国、海外の若者たちから反響が届くようになりました。七十年前の日本や、青森がどんな場所にあるのか知らない人にも、心に何か伝わるものがあったのだと思います。

最近各地から、「写真集をきっかけに、父母や祖父母とゆっくり話ができました」という便りが届くようになりました。

私の母もそうだったように、父の写真から、皆さんの御家族の懐かしい記憶が甦ってくれたら、父も喜んでくれるのではないかと思います。
書籍撮影:花村英博

『青森 AOMORI 1950-1962 工藤正市写真集』
工藤正市 著
みすず書房(2021年9月)
20cm×15.7cm 432頁

残されたプリントとフィルムから、366点の写真を収録。
元気な子どもたちや犬も登場!

くどうしょういち/1929 ~2014年。青森県生まれ。1946年青森県立青森工業学校機械科卒業後、東奥日報社入社、写真部に所属。写真雑誌に投稿し、木村伊兵衛や土門拳などから数多くの写真が選ばれ、『東奥日報』の仕事の傍ら青森の人々を撮り続けた。
図書の共同購入カタログ『本の花束』2022年5月1回号の記事を転載しました。

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