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いまこそ、生活に根差した「小さな違和感」の集積を!

【対談】 朝日新聞編集委員・高橋純子さん 生活クラブ連合会・伊藤由理子会長代表理事

収束しない新型コロナウイルスの感染拡大。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。その影響で原油も穀物も国際相場が高騰し、マスメディアは公共料金と食料の値上げを相次いで報じています。賃金アップは物価上昇に追いつかず、暮らしの厳しさは一層重いものとなって非正規雇用の女性や若者を苦しめています。こんなときこそ政治の出番なはずですが、いまなお「まずは自助」の精神が貫かれているかのようです。そこで今回は朝日新聞編集委員の高橋純子さんと生活クラブ連合会会長代表理事の伊藤由理子さんに暮らしと政治の関係について聞いてみました。
 

「お鍋の中に世界が見える」という言葉に

――私たちの生活のありようを変えていく、だれもが安心して暮らせる社会にしていくのが政治の使命ですよね。だとすれば、政治と生活は不可分の関係にあると思うのですが、なかなかそうはならない。この点についてご意見をお聞かせください。
 
高橋 私が新聞社に入社し、初めて政治部に配属されたのが2000年でした。政治部の仕事は大きくいえば権力監視です。政治家の動向をウォッチして、それを読者にきちんと伝えていくのが政治部の仕事の基本と教えられ、自分としてもいっぱしの政治部記者にならなければと思っていたのですが、翌年に図らずも妊娠し、出産・育児休暇を取得することになりました。

1年間の休暇中にテレビをみていると画面に映る永田町のゴタゴタが生活からとても乖離(かいり)したものに思えてきたのです。政治部記者として現場に身を置いたときには、政治家の行動原理や、なぜ「政局」と呼ばれる状態があれほど異様な盛り上がりをみせるのかが分かるわけです。ところが、ひとりの市民としてテレビをみていると、自分の日常の暮らしと政治家の「切った張った」の盛り上がりとの距離が開きすぎている、政治家は自分の支持者のことしか見ていないし、有権者は自分の生活と政治は関係ないと思っている。互いに遠ざかる関係にあるのではないかと強烈な疑問を覚えました。

そんな政治と市民の日常との間にある距離を埋めるのが、新聞社では主に社会部の役割とされてきました。そこには多分に政治部には女性記者が少ないという事情があったのではないかと思います。仕事に復帰する際、育児で政治部記者として100パーセントの仕事はできなくなった自分に何がやれるかを考えたとき、やはり生活という地に足の着いた「現場」から政治を捉え、政治の「現場」に意見していく仕事をやるべきであり、やらなければいけないと考えるようになりました。
 

伊藤 私が初めて政治を意識したのは、マスメディアが学生運動を大きく報じていた1970年頃。まだ中学生でしたが、テレビのニュースを食い入るようにみましたね。まぁ、変わった中学生だったわけです(笑)。自分自身が特に何かに抑圧されていた記憶はないのですが、当時の社会状況と無関係でいていいのか、中学生の自分に何かできるはずだという思いを抱きました。その思いは大学入学後も変わらず、三里塚や反差別の運動と並行して演劇や音楽を通して社会のありように疑問を投げかける活動に没頭しました。この延長線上に生活クラブへの就職があります。といえば聞こえがいいのですが、4年制大学卒の女子を採用してくれたのが生活クラブだけだったわけです(笑)。

最初に配属されたのは東京の町田センターでした。学校給食の問題を争点に組合員が初めて市議選にチャレンジし、見事に当選を果たして「代理人」となった地域です。その選挙の事務局を務めたのですが、そのとき交わされた組合員同士の言葉に強く感じるものがありましたね。「私たちは共同購入で安心して口にできるものを手に入れている。けれども学校給食は違う。このままで本当にいいのか」、「こんなに地域に畑があるのに学校給食では地元の野菜が食べられていない。この現状を変えたい」と組合員は口々に言いました。では、どうしたらいいのか。「政治を変えるしかないじゃない」と彼女たちは訴えたのです。

この人たちはひとりの市民として主体的に生きようとしている、だから自分に身近な周囲の問題を何とか解決したいと真剣に考えていると実感しました。これが政治というものかと初めて身をもって知ったというか、改めて学んだというか、そういう感じでしたね。彼女たちは「お鍋の中に政治が見える」と訴え、エプロン姿の主婦がお鍋の蓋を開くと、そこに国会議事堂や戦闘機などが入っているというチラシも作成していました。生活を見つめ直すことは政治を見つめ直すことでもある。逆もまた真なり。そりゃそうだと腑(ふ)に落ちましたね。
 

政治部で最初に書いたコラムは「議員会館に託児所を」

高橋 とても理想的。やはり自分の生活実感をもとに政治を変えなければいけないという思いに至る経路が実に自然でいいですね。そういうところから立ち上がってきた政治はきっと強いだろうと思います。いまではメインストリーム(主流)の問題として捉えられるようになってきましたが、私が政治部に配属された22年前は、家事や育児といった日常生活の問題は「女・子ども」の領域に属する副次的な話として扱われ、「まぁ、聞いといてやるか」くらいの受け止め方が永田町や国会では一般的でした。

伊藤 よくわかります。生活クラブの代理人が「子育てや食べ物の問題解決の責任は誰にあるのか」と街頭で問いかけると、通りすがりのサラリーマンからは「あなたたち主婦の責任でしょ!」の野次が飛び、区議会では「台所の話を議会に持ち込むんじゃねぇ」と怒号を浴びせられたことがありました。20年前の統一地方選で「子育て・介護は社会の仕事」と訴えたときのハレーションもすごかったです。「何をいうか。子育て・介護はあんたたち(女)の仕事だろう」と猛反発を受けました。
これは現在に通じる問題です。

高橋 私が政治部で、顔と名前をさらして初めて書いたコラムは議員会館に託児所を作ろうという内容でした。政治家自身が子どもを産み育てるケースが少ないという課題に加え、当時は秘書の方々が子どもを預けるところが無いと悩んでいたのです。そこで議員会館のなかに託児所を作ろうという話が浮上したのですが、男性議員は非常に冷ややかで「そんなものを公費で作るのか」という意見が大勢を占めました。永田町って本当に遅れているんですよ。だから、私はぜひ作るべきなんじゃないか、子どもを預けながら働く環境を整える、それを国会が率先してやるのは当たり前じゃないかと書きました。

永田町の大勢に合わせていこうとすると、肩肘張ってとまではいいませんが、男女を問わず威勢よく天下国家を論じなければならなくなるようです。そうでなければ生き残れないという雰囲気が濃厚に漂っていました。いまも地方自治の世界には生活者ネットワークのように市民派議員が少なからず存在していますが、国会では深刻な退潮傾向にあります。なぜ、こうなってしまったのかと考えてみるのですが、なかなか答えは見えてきません。
 

伊藤 次々と新たな商品やサービスを開発販売する「市場」にはない、消費者が求める価値を反映した「もの」や「こと」を手に入れるには新たな仕組みを自分たちで築いていくしかありませんよね。それが生活クラブの共同購入であり、雇い雇われる関係ではない働き方を求めた「ワーカーズ・コレクティブ」の創出であり、地域福祉の推進や政治の場に代理人を送り出す生活者ネットワークの実践です。そうした仕組み作りに懸命に取り組み、一つ一つが形になっていく「喜び」を知っていた世代です。この世代と彼女たちの子どもや孫の世代のリンクができれば、状況は大きく変わってくるのではないでしょうか。

この間、30代から40代の組合員に話を聞くと彼女たちの親は団塊世代以降生まれで、自宅で料理をしない人が少なくないようです。そのせいか、ハンバーグや餃子の素材が何かを知らないまま育っていたりします。そんな彼女たちが後衛に回ったベテラン組合員と活動を通して出会い、ハンバーグの作り方を教わると「へぇー!やってみます」と目を輝かせて話すそうです。とすれば「作る」というのは新たに提示された世界になっていると捉え、いかに「作る喜び」のバトンを若い世代につなぐかに腐心する必要があると思っていますし、その試行錯誤から生まれるパワーに私は期待しています。

高橋 政治についても「現状が嫌であれば、自分たちで作っていけばいい」という感覚があったのは経済的に豊かだった時代です。この道を行って失敗しても次の道があるという未来への展望があり、自分たちで試行錯誤を重ねながら進むという時間的なロスも前向きに引き受けることができたからでしょう。ところが、いまは社会的な課題解決に時間をかけるのは労力の無駄といわんばかりの空気が支配的で、だったら一層のこと与えられた選択肢の中から選べばいいじゃないかという傾向が強まっている気がしてなりません。

2020年から新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が続くなか、今年2月にはロシアがウクライナに軍事侵攻するという未曽有の危機に私たちは直面しています。この状況下で「核の共同保有」「敵基地先制攻撃能力の保有」といった国防を前面に打ち立てた議論をすることに私は心の底から反対です。そこで伊藤さんにお聞きしたいのは食料自給の問題です。それこそ現在、現実的な問題として語っていかないといけないと思います。政治の世界は核やミサイルの話で盛り上がりがちですが、食料自給をどうするかの議論はなかなか出てこないのが不思議です。
 

組合員は食料自給の必要性を「奪わない食」と表現した

伊藤 生活クラブは一貫して「食料自給」の重要性を社会に訴えています。むろん、自由貿易を否定するわけではありません。問題なのは市場の自由競争に何事も解決をゆだねるという過剰なまでの輸入依存構造です。これが私たちのみならず他国の安全を脅かすと考え、組合員は「奪わない食」という言葉で反対の意思を表明しました。当時は経済力に物を言わせて「外国から買えばいい、輸入すれば問題ない」という時代でしたが、もはや日本は国際市場で「買い負け」状態に置かれています。

さらに気候危機による地球規模での生産量の減少と人口の爆発的な増加が進んでいます。そこに新型コロナの世界的な感染拡大とウクライナ危機が追い打ちをかけた形になりました。家畜の飼料に使われるトウモロコシをはじめ、大豆に小麦にそば、油脂原料のヒマワリなどの価格が高騰し、入手が難しくなるばかり。この間は牧草や肥料の輸入まで滞る事態に陥っています。それでも食料自給が国会での議論の俎上(そじょう)にのぼらないのは、いまだに新自由主義経済の信奉者たる議員が多いからではないかと思います。

――永田町や霞が関からは「もはや日本に農林水産省はいらない。経産省の出先機関で十分」という声まで上がっているそうです。かつて「農水族」と呼ばれた国会議員がいましたが、その存在感も希薄になっていますよね。

高橋 重鎮と呼ばれる自民党国会議員の説によれば「都会の政治家」と「田舎の政治家」がいるそうです。「田舎の政治家」は地域の利益を追求する、地域の産業を守るのが仕事。それは「族議員」とも言われるわけですが、そういう政治家が減り、「都会の政治家」が増長してきているのは事実でしょう。私は「族議員」が一概に悪いとは言えないと思っています。確かにミクロな利益を体現してる存在とバカにされがちですが、地域の声を国会に届けるという政治の原点を考えればわからないこともありません。利権を漁(あさ))って自分の懐に入れているのが問題なのです。むしろ気になるのは日本維新の会(維新)の伸長です。彼らがいまどこに根を張っているかといえば、都市生活者であり新自由主義経済を信奉する層だと言われています。紛れもなく「都会の政治家」ですよね。都市住民の政党が野党の中でも伸長し、「田舎の利益」を既得権益だと攻撃する。打破すると訴えて支持を集める。そんな政治のありように、果たしてこのままで良いのかという思いを強くしています。そうしたなか、環境と生命を守る農林水産業を所管する農水省不要論まで出てきているのは心配です。

併せて見落としてはならないのが、日本の「公助」がぺらんぺらんに薄くなっていることです。それが新型コロナ禍で可視化されました。株で儲(もう)ける人や大企業に勤める人はいいかもしれませんが、非正規で働く女性や若者が極めて過酷な生活を強いられています。いまこそ政治家が何をするのかが問われているのに、依然として手をこまねいているという印象しかないですね。政治には必要不可欠な地味な仕事がたくさんあるのに一向に動こうとしない。このままでは社会の「歪(ひず)み」は強まるばかりです。
 

伊藤 公共的に必要なものは何であり、それを市民参加でどう作っていくかというテーマがクローズアップされ、もっと可視化されなければいけないと思います。そういう活動をしている人が身近にいることが日常生活のなかで見えてこないと、政治参加のあり方も進化しないでしょう。生活クラブには地域の空き家を片付け、多くの人が気ままに集えるカフェを開くといった「居場所づくり」に参加する組合員がたくさんいます。それも政治参加であると誰も思っていないところが実にもったいないと感じています。

高橋 本当にそうですよね。生活に根ざした小さな違和感であるとか、今の政治にたいしておかしいな、ここ何とかならないのかなという意識を積み上げて、ちゃんと政治に「なんとかしてよ」と求めていくことが大事なのではないかと思います。個々の問題意識の積み上げからおのずと出来てくる「枠」というか「方向性」がきっとあるはずです。その地道な積み重ねを誰かが前衛としてやらなければいけないということではなく、すでに多くの実践を経ながら問題意識を持ち続けている生活クラブや協同組合ならやってくれると勝手に期待するものがあります。

いまの若い人たちにいきなり政治に関心を持ってもらおうとか、政治にたいして何かを言ってもらおうと思っても、なかなか難しいのが実状です。ならば生活を営むというところから個人の実感を大切にしてもらい、そこから政治に繋(つな)げていく回路みたいなものを編み出していくしかないでしょう。そのためにも組合員を代理人として議会に送り出す活動はぜひ継続してほしいと思います。何党であるかは別にして、多様な背景をもつ人が政治の世界にいることは大事です。それが自己目的化しないかぎり、生活と政治の乖離を埋める大きな力になると私は信じています。


たかはし・じゅんこ
1971年福岡県生まれ。1993年に朝日新聞入社。鹿児島支局、西部本社社会部、月刊「論座」編集部(休刊)、オピニオン編集部、論説委員、政治部次長を経て編集委員。


撮影/魚本勝之 取材構成/生活クラブ連合会 山田衛

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