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しおらしい顔した「猛獣」の「檻破り」こそ恐ろしい

【寄稿】朝日新聞社編集委員 高橋純子さん
 

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、はじめて緊急事態宣言が発出されたのは、2年前の4月7日。10日には都道府県知事宛に通達されました。その後、解除されてはまた出され、解除されてはまた……が繰り返されるうち、なんだかすっかり慣らされてしまった。そんな気もします。

しかし本来、慣れてはいけないのだと、私は思っています。「緊急」「非常」という言葉を政治の自由にさせると危ない。歴史はそう教えてくれます。眉につばをたくさんつけ、「緊急」「非常」といった言葉を舌先でころころ転がす政治家の真意や狙いがどこにあるのか、自分の頭でよくよく考え、見極めなければなりません。「緊急事態」の典型は戦争=究極の人権侵害だからです。

いま、自民党を中心に、憲法に「緊急事態条項」を設けようという声が大きくなっています。緊急事態条項とは、ざっくりいうと、戦争や災害などの危機に際して、独裁的な権限を政府に与えるものです。議会にはかっている時間的な余裕はないから、政府の独断で、人権を制限するような政令も出せるようにする。そう。コロナ禍で出された、強制力を伴わない緊急事態宣言とはまったく比較にならない強大な権限です。

東日本大震災があった。コロナ禍があった。そしてロシアによるウクライナ侵攻もあった。それなのに「わが国の憲法には緊急事態への対応が明記されていない。これでは国民を守れない、憲法改正が必要だ」とさかんに言い立てられると……おっと。コロナ禍で「緊急事態」という言葉に慣れ、自由を明け渡すことに慣らされてしまった私たちは、「まあ、それもそうだね」とつい思ってしまいそうです。でも、緊急事態条項が現憲法に「ない」のには、ちゃんと理由が「ある」のです。歴史をざっと振り返ってみましょう。

便利に使われた大日本帝国憲法の「緊急勅令」

明治時代につくられた大日本帝国憲法には、緊急事態条項がありました。議会閉会中に緊急の必要がある場合は、天皇が法律に代わるものとして命令を出す「緊急勅令」(8条)や、行政権や司法権の一部を軍隊に移す「戒厳」(14条)、戦争や事変の際に天皇が国民の権利を制限できるとした「非常大権」(31条)などがそうです。

とりわけ「緊急勅令」はさまざま便利に使われ、国民を戦争に動員していくうえで大きな役割を果たしました。たとえば1928年、国会に「治安維持法」の改正案が提出され、審議未了で廃案となったのですが、当時の内閣は、「緊急勅令」を使ってこれを強引に成立させてしまいます。最高刑が死刑に引き上げられたほか、規制対象も広がり、言論の自由や思想信条の自由などを弾圧する強力な手段として使われるようになりました。この法律が廃止されたのは日本の敗戦後、連合国総司令部(GHQ)指令によってです。

現憲法に緊急事態条項がないのは、このように、過去に濫用されてしまった反省を踏まえてのことなのです。
新しい憲法について議論していた1946年7月の国会で、こんな質問がされます。戦争はもうないかもしれないが、国内で事変が起きた場合は国民の権利を停止することが必要ではないか。新憲法にも大日本帝国憲法にあったような規定を盛り込むべきではないか――。これに対して、憲法担当だった金森徳次郎国務大臣は「民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するためには、政府の一存で処置を行うことは極力防止しなければならない。その道を残しておくと、どんなに精緻な憲法を定めても、言葉を『非常』ということに借りて、それを口実に(憲法が保障する権利や自由が)破壞されるおそれが絶無とは断言しがたい」という趣旨の説明をしました。

すでに日本国憲法には「いざというとき」の備えはある

とはいえ、日本側は当初、緊急事態条項に強いこだわりをみせました。GHQは新憲法草案をつくるにあたって、日本側の提案を却下して関連条項をすべて削除しましたが、日本側は諦めず、緊急の場合に内閣に「閣令」を制定する権限を与える案を盛り込んで提出します。GHQはこれも受け入れませんでしたが、緊急の必要がある場合は参議院の緊急集会を開いて対応するという整理をして決着しました。

そうなのです。いまの憲法にも緊急事態への備えはちゃんと用意されています。憲法54条をみてみましょう。
54条2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
   3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

参議院議員は定数の半数ずつが改選されるため、不在になることがありません。緊急事態に対応するために新しい法律を作る必要が生じたら、政府が独断するのではなくちゃんと国会を召集して議論に付す。もし衆議院が解散していたなら参院の緊急集会で対応すればよい。それで十分だという判断です。

いうまでもなく、緊急事態が起きたら、いまある法律を使ってなんとか対処するのが常道です。備えあれば憂いなし。そのために、災害についてはすでに「災害対策基本法」があり、首相は閣議にかけたうえで「災害緊急事態」を布告し、政令で緊急措置がとれるようになっています。そもそも、戦争にしろ災害にしろ、なにか事が起きてから、「この法律をいますぐに作らないと国民の命を守れない!」というようなことがあるでしょうか? 「もしあったとすると、そんな『穴』に気づかずに放置していた政府や国会の能力的欠陥で、憲法の欠陥ではありません」と、長谷部恭男・早稲田大教授(憲法学)は指摘しています。

「緊急」という言葉で、「腰を浮かさせる」とでも

憲法改正には莫大(ばくだい)な政治的エネルギーを要します。法律レベルで十分に対応可能な緊急事態への対応を、なぜわざわざ憲法に書き込もうというのでしょう? それはおそらく、改正の口実に使いやすいからだと、私は見ています。

「緊急事態発生!」そんなアナウンスがどこからか聞こえてきたら、つい腰が浮いてしまいますよね。憲法改正をしたい人たちは、私たちが「腰を浮かす」のを待望しています。朝日新聞の世論調査をみても、ひとびとが政治に何を望んでいるかといえば、第一は社会保障で憲法改正は常に下位、全体の2パーセント程度に過ぎません。憲法改正に対してひとびとの腰は重い。だから、「緊急」という言葉を使って、腰を浮かさせようとしているのではないかと勘繰りたくもなります。

立憲民主党の森ゆうこ参院議員は2021年10月13日、岸田文雄首相の所信表明演説に対する代表質問で、政府のコロナ対策についてこんなことを言っています。

「政府対策本部の設置に始まり、法律の適用、現金給付の法案などなどなどなど。実は手を取り足を取り、野党が政府のお尻をたたきながら、後手後手であっても何とか対策を実施してきたのが実情なんです」
「しかし、自民党からは事あるごとに、憲法に緊急事態条項がないからコロナ対策がうまくいかないと言われました」
「冗談でしょう。こんな無能な政権に、国会の審議なしに法律と同一の効力を持つ緊急政令の制定権を認める緊急事態条項などを与えたら、いったいどうなっていたでしょう。憲法改正の口実が欲しかったとしても、余りにもお粗末です」

(※実際の質問はもっとユーモアがあります。参議院インターネット審議中継 (sangiin.go.jp)で2021年10月13日の本会議を検索し、3時間23分ごろからの録画を見てください)

そう。憲法改正をしたい人たちは、コロナ対策の遅れを憲法のせいにして、なんとか改正に結びつけようとしています。感染拡大を「憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」と言って批判を浴びたのは、自民党の伊吹文明元衆院議長。下村博文元文科相も「コロナのピンチを(憲法改正の)チャンスとして捉えるべきだ」と語りました。

なんなのでしょう、これは。
コロナに命を奪われた人がいます。医療につながれず、自宅で亡くなった人もいます。経済的な困窮に陥った人も大勢います。ひとびとの苦しみや恐怖や絶望を「実験台」「チャンス」と言いのけてしまうような政治家を、私は、信頼できません。ここで私たちが「腰を浮かす」ことは、コロナ禍を「チャンス」と見る彼らに力を貸すことにもなってしまうと思います。

少なくない政治家が、とにかくなんでもいいから、1文字でもいいから憲法を変えたいという「憲法改正の自己目的化」に陥っているようです。しかし憲法とは、権力という「猛獣」が暴れ出さないよう入れておく、いわば「檻(おり)」です。どんなにしおらしい顔をしていても、猛獣は猛獣。彼らがその檻を自ら壊そうとしていることこそ、私たちが直面する「緊急事態」だと言えるのではないでしょうか。
 

 
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛
 
たかはし・じゅんこ
1971年福岡県生まれ。1993年に朝日新聞入社。鹿児島支局、西部本社社会部、月刊「論座」編集部(休刊)、オピニオン編集部、論説委員、政治部次長を経て編集委員。

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