ウクライナ侵略下の世界を見据えて――私のプランB――
【寄稿第3回】立教大学大学院特任教授 金子勝さん
「出口のないねずみ講体質」に陥った日銀
50年ぶりの不況下の物価上昇が起きようとしています。多くの人々は賃金が上がらないまま物価上昇に直面し、輸出に有利とされる円安にもかかわらず、日本の貿易収支は大幅赤字となっています。なぜ、こうした事態に陥ったのでしょうか。政策的要因を考えてみたいと思います。
この間、インフレを抑えるために、米国をはじめとする世界各国の中央銀行は金融緩和政策から脱して金利の引き上げに動いています。ところが、日本銀行(日銀)だけは金融緩和を続けていて金利を上げられません。そのため日米間の金利差が広がり、急激な円安が起きています。たとえば1ドル=115円から1ドル=145円まで円が安くなると、1ドルのものを買うのに115円で済んだところが145円となり、差額の30円が支払いに上乗せされることになります。つまり日銀の金融緩和政策の継続は、輸入物価を押し上げる効果をもつわけです。
どうしてこういう事態が生じてしまったのでしょうか。この間、日銀はデフレ脱却を目標にして大規模な金融緩和を進めるアベノミクスを実行してきました。ところが、賃金が上がらないまま金融緩和だけを続けた結果、「2年で2パーセント」という物価目標を達成できなかったのです。結局、9年もの長きにわたってアベノミクスによって財政赤字を出し続け、日銀が国債を買い支えて金利を無理やり抑え込んできたため、もはや金利を上げることもできなくなってしまいました。
いまや国債累積額は1,000兆円を超え、わずかな金利上昇でも国債費が膨張するようになっています。財務省によれば、10年物国債の金利が1パーセント上昇すれば、国債費は1年目に0.8兆円増加し、翌年度は2兆円、翌々年度には3.8兆円増え、最終的に借り換えが一巡すると10兆円も増加します。これは防衛費の2倍に当たる金額です。2021年度の国債費は23兆3,515億円で、金利が1パーセント上がると、やがて国債費は30兆円以上に膨らむことになり、財政は危機的状況に陥ってしまいます。
さらに、金利が上昇すれば国債の価値は下落し、日銀が持っている国債に巨額の「含み損」が生じてしまいます。2022年6月16日付けのブルームバーグによれば、市場の圧力で金利1パーセント分が上振れした場合、国債の含み損は29兆円になると試算されています。ちなみに2021年度の日銀の自己資本は約10.9兆円なので、事実上、債務超過に陥ってしまうのです。
さらに、政府が経営の苦しい中小企業を救済するために実施したゼロゼロ融資(実質無担保無利子の融資)を支えるために、日銀は銀行や信用金庫に対して貸付金を150兆円も供給し、22年8月末段階でも約102兆円が未回収(残債)となっています。日銀は貸付金に見合う中小企業向けの貸付証書や住宅ロ-ン貸付を担保にとっていますが、すでに約24兆円の含み損を抱えています。とりわけ住宅ロ-ン債権信託受益権には20兆円もの含み損を出しています。金利を引き上げ、中小企業の倒産が増え、住宅やマンションバブルが崩壊すれば、日銀の担保にはますます含み損が生じてしまいます。
このように日銀は金融緩和を止め、金利を引き上げると、自らが債務超過に陥ってしまうのです。皮肉にも、日銀はデフレ脱却を目標としながら永遠にデフレでないともたない「出口のないねずみ講」体質に陥ってしまったのです。
その結果、政府はガソリン補助金という愚策を重ねています。22年1月末、石油元売りに対して、ガソリン1リットルあたり3.4円の政府補助金を支給したのを皮切りに、その金額は4月21日までに35円にまで膨らんでいます。こうしたなか、石油元売り企業は未曽有の利益をあげており、その利益は株主に還元されても消費者には還元されていません。むしろ石油元売り企業に対しては公正取引委員会などを通じて便乗値上げを規制し、2010年に制定された「トリガー条項の凍結解除」を一時的に進めるほうがはるかに効果的だと考えます。「トリガー条項」はガソリンの平均小売価格が3カ月連続で 1リットル当たり160円を超えた際に、揮発油税の上乗せ税率分である25.1円の課税を停止するというものです。しかし、その適用が東日本大震災の復興財源となる税収を大幅に減らし、被災地でのガソリン不足を引き起こす可能性があるとして、2011年4月27日から凍結されています。
一方、食料価格の上昇に対しても、22年4月28日閣議決定された原油価格・物価高騰等緊急総合対策で、畜産飼料、肥料、燃料費高騰などに対処する方向を出しています。しかし、その財源はいったん計上されると政府が使い道を自由に使え、国会のチェックが及ばない予備費です。しかも、食料価格の上昇はあくまでも一時的だという前提です。
円安になっても深刻な貿易赤字が拡大
急激な石油価格や食料価格の上昇は2007~8年のリーマン・ショック前後にも起きています。そして、新型コロナ・ウィルスの世界的流行とロシアのウクライナ侵略が終わらないかぎり、基本的に物価上昇は収まりません。米中対立もあって、ウクライナ侵略戦争は長引きそうです。
出所:財務省「貿易統計」より作成
一時的でなく恒久的にエネルギーや食料の価格の安定のためには自給率の向上が必要です。今後は安心してエネルギーや食料を自国で確保できる社会を目指すのです。そう考えるのは、物価の上昇だけでなく、円安なのに日本の貿易赤字が累積しているという背景があります。
図が示すように、リーマン・ショック以降、日本の貿易収支は赤字基調になっています。さらに今年の1~6月の貿易赤字は、史上最悪の7.9兆円に達しました。7月も1兆4367億円、8月上中旬も1兆7,364億円の貿易赤字です。日本の産業競争力の衰退が深刻で、「稼ぐ力」が落ちて円安になっても深刻な貿易赤字が拡大しているのです。日本の技術力が高い工業製品の輸出で貿易黒字を稼いで、いくらでも石油ガスも食料も輸入できるという「加工貿易」の考え方が通用しなくなっているのです。
目下のところは海外の投資で稼ぐ「所得収支」でカバーしているので、経常収支は黒字で何とかもっていますが、5月の経常収支は対前年同月比で92.8パーセントも減少しており、6月にはついに1,324億円の赤字、7月も季節調整値では6,290億円になりました。経常収支が赤字になると、財政赤字を国内の資金でまかないきれなくなり、いよいよ日本経済はもたなくなっていきます。
もはや加工貿易で原材料や食料はいくらでも買えるという前提が成り立たないとすれば、まずは貿易赤字を減らすために従来の発想をまったく逆転させ、エネルギーや食料の自給率を高めることが不可欠になります。
地域分散ネットワーク型経済への移行が大きなカギ
いまこそ、地域が主体となってエネルギーや食料を自給していく地域循環型の経済を創っていく必要があります。しかし、地域循環型といっても、昔の自給経済に逆戻りするのではありません。
まず再生可能エネルギーを突破口にして地域分散型で小規模分散ネットワーク型の経済構造へと転換することが起点になります。それには、新しい情報通信技術を積極的に取り入れることです。地方における再生可能エネルギーの投資を急速に増加させ、蓄電池を入れつつ、天候や需要などを予測しつつ電力を調節するスマートグリッド(IoTによる賢い送配電網)で安定化させるのです。そのためには、発送電分離、発販分離を徹底する電力システム改革を断行しなければなりません。
まず再生可能エネルギーを突破口にして地域分散型で小規模分散ネットワーク型の経済構造へと転換することが起点になります。それには、新しい情報通信技術を積極的に取り入れることです。地方における再生可能エネルギーの投資を急速に増加させ、蓄電池を入れつつ、天候や需要などを予測しつつ電力を調節するスマートグリッド(IoTによる賢い送配電網)で安定化させるのです。そのためには、発送電分離、発販分離を徹底する電力システム改革を断行しなければなりません。
いまやスマートフォンの普及によってOMO(オンラインとオフラインの融合)が図られており、24時間、たくさんの情報を一気に処理できるようになりました。しかも小規模分散でも十分に効率化でき、ICTのネットワーク化による設備投資の節約効果も期待できます。農業分野では、ハウス栽培における温度湿度管理、自動運転のトラクターやコンバインなどの収穫機による省力化、牛の分娩監視カメラの導入や農地における肥料農薬などの管理など、たくさんの活用例を生んでいます。
ICTを使ったネットワーク化は地域医療の効率化も進んでいます。長野県の下伊那診療情報連携システム(ism-Link)が先進事例です。広域連合が主体になり、5病院が中核となって、診療所、介護施設、在宅看護・介護、薬剤師らを結びつけ、訪問看護師や保健師さんたちが、在宅医療・介護とノート機能を使って情報を共有しています。他にも、遠隔診療、ICTを使った遠隔医療やブロードバンドを使った血圧・脈拍、血中酸素など健康データ管理もできます。
このように、エネルギー・食と農・医療や健康といった人間の基本的ニーズを満たしながら、ICTを組み入れつつ、エネルギーと食料の自給率を高めていくのです。これらは地域に分厚い内需を形成しながら、日本全体では省エネ、エネルギー、インフラ、建物、耐久消費財などイノベーション投資を誘導していきます。それが、これまで生活クラブをはじめとする生活協同組合が取り組んできた課題に新たな意味を付与することに通じるはずです。
撮影/魚本勝之
かねこ・まさる
1952年東京都生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、立教大学大学院特任教授、慶應義塾大学名誉教授。『平成経済衰退の本質』(岩波新書)『メガリスク時代の「日本再生」戦略「分散革命ニューディール」という希望』(共著、筑摩新書)など著書・共著多数。