通りすがりのリベラルおばさんからひと言
【連載コラム】何気ない日々の向こうに――第4回 朝日新聞編集委員 高橋純子さん
あなたが一番大事にしている「価値」はなんですか?――出会った人にこんな質問をするのがマイブームだった時期がある。厳しい政権批判で知られる学者が「愛」と答えて意外だったり、困窮者支援に携わっている人が「平等」と答えてそりゃそうだよねだったり。そして私自身は「自由」と即答する者なのであった。
そんな私であるからして、東海道・山陽新幹線を利用する際は基本、自由席に乗り込む。自分の目で周りの状況を確認して、自分で「ココ」と決めたいからだ。ただし自由席には、みんなが「自由」であるがゆえの難しさも、ある。
午前中の2列席は、通路側の席に荷物をどさっと置き、一心不乱にパソコンに向かうスーツ姿の若い男性が目立つ。次の駅から乗り込んできた人がキョロキョロと席を探していてもパソコンから目を離さず、荷物を寄せようともしない。たまにスマホに着信があると、急に居住まいを正して「お疲れさまです」「お世話になっております」と朗らかに愛想よく応答している。そんな「優秀なビジネスマン」たちに、私は心の中でそっと語りかける。「そうでちゅかー。そこはキミの『陣地』なんでちゅねー」と。幼い頃、兄と食卓を挟んで「見えない境界線」を引き、「こっちはあたしの陣地やけん入ってこんで」と、くだらなくも真剣な小競り合いを繰り返していたことを思い出すのだ。
自由席の「独り占め」はルールで禁止されているわけではない。私も子育て中はずいぶん活用させてもらった。指定席は未就学児も有料だが、自由席であれば無料で座らせられるからすごく助かる。そうやって、「正しく」自由席を使って旅を楽しんでいる家族連れを見るとうれしい。だから余計に、己の権利であるとばかりに堂々と陣地化している人を見ると、ずいぶんとまあ幼稚なことよのうと嘆息せずにはいられないのである……って、なんだかちまたのあまたの保守おじさんみたいだけれど、違うんです。私は「行き過ぎた『個人主義』のせいで自分勝手な若者が増えた」みたいなことを言いたいわけではまったくなく、むしろその逆で、ルールに縛られることに慣らされすぎ、ルールにあまりにも従順すぎるから、自分で自分を律することがうまくできないのではないかと危惧する通りすがりのリベラルおばさんなのである。
自由って、すごくもろい綱引きの縄のようなもので、自分の方に強く引っ張る人が出てくればすぐにちぎれる。そしてそのちぎれた縄で私たちは縛られてしまう。「多くのお客様にご利用いただけるよう荷物は上の棚に上げてください」。そんな車内アナウンスが以前よりひんぱんに流れるようになったような気がしませんか? それだけですでに自由とは根幹が違ってきていると思うけれど、アナウンスの効果があがらなければ、次は禁止ルールが設けられたり車掌がいちいち注意して回るようになったり、あるいは全席指定になったりするかもしれない。「優秀なビジネスマン」諸君よ、気づいてほしい。自由と自律はセットであることに。譲り合ったり分かち合ったりせずに自分の自由だけを優先させて他者を抑圧すれば、まわりまわって己も抑圧される不自由な社会になってしまうことに。その格好の例が、東京都練馬区にある。
★★★
同区の公園に、24枚もの禁止看板が立っていることを「東京新聞」が報じたのは今年2月のこと。「すべりだいをかけあがらないで」「夜間の利用はお控えください」。公園を管理する区の責任者は取材に「苦情のたびに看板を立てているので、今、何枚あるか分からない」「苦情がなくなれば撤去しようと思っているが…」と答えたという(2月20日付、東京新聞WEB)。
苦情のたびに看板を立てる……すごい話だ。公園がもう公園であることを諦めていると言っても過言ではない。利用者、管理者、苦情を言う人、それぞれがもっと自律できていて、三者の間でなんらかコミュニケーションがとられていれば、こんなことにはなっていなかったはず。大人の「アリバイづくり」のための看板に囲まれて遊ばざるを得ない子どもの自由はいったいどこへゆくのだろう?
国は「異次元の少子化対策」を掲げ、この夏にも子どもや子育てに優しい社会づくりの機運を高める「国民運動」を展開するという。すでにその一環として、国の施設などで子連れや妊婦の優先レーンを設ける「こどもファスト・トラック」が始まっている。それが無駄だとは言わない。だが大いに的を外しているとは思っている。こんなちまちました「優先」を上から決めておろすのは、公園の禁止看板と根っこは同じで、「子育てに優しい社会づくり」は自分たちの責任であるという自覚をむしろ阻害するのではないだろうか。
……いやはや。今回の原稿は書けなくて書けなくていま、飛行機の3列席の通路側でしたためている。窓際には乳児を抱っこした父親、隣に母親が座っている。乳児は離陸時から激しくぐずっていたが、今ようやく眠り、それにつられるようにお父さん、お母さんも船をこぎ始めた。だけどお母さんは、数分おきに「はっ」と目を覚ましている。毎日が「戦争」状態でおちおち眠っていられなかった20年前の自分を見るようで、「頑張って」と心の中で声援を送った。
「禁止看板」と「国民運動」の間で、私たちひとりひとりができることはもっとあるはず。それを積極的に見つけて行動しようと決意を固める、機上のリベラルおばさんなのであった。
撮影/魚本勝之
たかはし・じゅんこ
1971年福岡県生まれ。1993年に朝日新聞入社。鹿児島支局、西部本社社会部、月刊「論座」編集部(休刊)、オピニオン編集部、論説委員、政治部次長を経て編集委員。