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秋田県大潟村のフロンティア魂 その実践に「持続可能」な未来を見た! 食料自給編

慶応大学名誉教授 金子勝さん


碁盤の目のようにきちんと整備された水田が視界のかなたまで続いている。聞けば1枚平均1.25ヘクタール(1ヘクタールは約100メートル×100メートル=1町歩)。畔(あぜ)を除いて1枚2.5ヘクタールの田んぼも珍しくない。秋田県大潟村。約60年前に八郎潟を干拓し、大規模機械化農業のモデルとされた農村だ。(2回に分けて掲載します)

減反政策をめぐる「村内対立」から融和の道を求めて

秋田県大潟村は農政の矛盾に激しく翻弄された。干拓事業が完了しようとするときに、政府の減反政策が開始されたからだ。政府が生産者からコメを買い上げ、消費者に供給する食管制度の下、何としても減反に農家を協力させようと秋田県と秋田食糧事務所は大潟村に出入りする道の橋に検問所を設置した。これに反発する農民たちが検問をトラックで突破する事態にまで発展。村は「(減反)順守派」と「反減反派(過剰派)」に分裂し、両者の対立は長く尾を引いた。そんな地域住民同士の亀裂を修復し、いかに融和させるかが大潟村の重要な課題となっていく。

大潟村村長の高橋浩人さんは村の現状について「水田の経営面積が15町歩(15ヘクタール)という農家も珍しくありません。もはや大規模機械化農業のモデル村としての役割は終わったといえるでしょう。その結果、確かにコメの生産量は増えましたが、すでに食管制度は機能せず、減反政策も見直しが重ねられ、おまけに米価は下落するばかりの現実に直面しています。村が二分されていたころ、私は順守派でしたが、いまやコメをめぐる厳しい現実をどんな方法で乗り越えていくかを村民総体で考える段階に入ったと考えています」と言う。村内融和に努める過程で、村は市場を介さず農産物を消費者に直接届ける「産直」に取り組み、そこから新たな農産加工事業も生まれた。「今度は自然エネルギー100パーセントの村づくりに挑戦したい」と高橋さん。その言葉には「食」と「エネルギー」の地域自給における日本のフロントランナーたらんとする強い決意と使命感がにじんでいた。

大潟村村長の高橋浩人さん

大潟村干拓博物館にて高橋村長(左)より干拓の歴史を聞く
 



上下:干拓当時の様子を再現した展示

「お互い国策の犠牲者」の思いが生み育てた食品加工業

政府の減反政策をめぐり、大潟村が二分されていたころ、反減反のリーダー格だった人がいる。大潟村に本社のあるパックライス・メーカー「ジャパン・パックライス秋田」会長の涌井徹さんだ。大潟村と周辺の市町村をつなぐ道路に検問態勢が敷かれたのは1985年。食管法違反で入植者3名が告発されたのを機に農家同士の対立は激化し、トラックで検問所を突破してコメを販売したことが新聞報道された。そうしたなか、涌井さんたち反減反派は1987年に「大潟村あきたこまち生産者協会」を設立し、自ら消費者に直接販売する「産直」に乗り出した。当初は減反に協力しないのを理由に農協からも敵視されたが、1993年の冷害による「平成のコメ不足」で流れが変わった。
 
涌井さんたちは有機農業の普及にも力を入れ、95年には消費者が不安なく口にできるコメを栽培しようと、速効性米ぬか発酵肥料を使う農法を導入する。併せて残留農薬分析器を購入し、食品分析部門を設けた。無洗米の加工に取り組んだのは2000年。開発した無洗米は都市部の消費者の高い支持を背景に、順調に売り上げを伸ばした。2009年には本格的な食品加工業に参入し、米麺(こめめん)工場を建設した。米麺は当初の売れ行きこそ鈍かったものの、グルテンフリー食品として次第に脚光を浴びるようになった。さらに2018年から甘酒を生産し、2020年には秋田県内初となるパックライス・メーカー「ジャパン・パックライス秋田」を立ち上げた。
 
涌井徹さん

同社の製造するパックライスが初めて出荷されたのは2021年7月28日。大潟村のコメを使って製造された約3万8000食が都内のスーパー向けに納品された。新型コロナウイルスの感染拡大に社会が大きく揺れるなかでの躍進だった。かつては減反「順守派」だった大潟村村長の高橋さんも、農水省の助成金獲得に動き、行政として涌井さんたちのパックライス工場の立ち上げを支援した。涌井さん同様、米価下落による農家存続の危機を放置したまま、政府の減反政策に起因する「村内対立」を引きずって意味があるのかという強い思いを抱き続けていた高橋さん。「秋田県は食品加工業が少ない。何としても秋田県初のパックライス工場を設立したかった」と力を込める。
 

 


加工食品中心の食卓、その原料の大半は輸入品という現実

人口動態と世帯構成の変化を見れば、食品加工業への進出は今後の日本農業にとって必須のテーマといえるだろう。2022年の出生数が80万人を切って77万人に減少するなか、国立社会保障・人口問題研究所は2070年には31パーセントの減少幅を記録し、日本の総人口は8700万人になると予測している。

図1 世帯類型の構成割合

出所:令和2年厚生労働白書

図2 品目別食品の消費動向と予測

 
出所:農水省「令和2年度 食料・農業・農村白書」第2部より
注:生鮮食品:米、生鮮魚介、生鮮肉、牛乳、卵、生鮮野菜、生鮮果物
加工食品:パン、麺類、その他穀類、塩干魚介、魚介加工品、加工品、乳製品、乾物、大豆加工品など
調理食品:主食的調理食品、冷凍調理食品などその他の調理食品


家族構成の変化も無視できない。図1が示すように、夫婦と子どもからなる核家族は大きく減少し、もはや「標準世帯」ではなくなり、圧倒的に単独世帯が増えていく。共稼ぎ世帯も増えている。それは食生活を大きく変える要因ともなる。夫がサラリーマン、妻が専業主婦、子どもが一人か二人いる核家族では、主婦が生鮮食品を買って手料理を作り、一家団欒(だんらん)で食事を楽しむのが当たり前とされた。しかし、今後は高齢者や若年の単独世帯あるいは共稼ぎ世帯は、圧倒的に調理食品を利用する機会が増える。1パック100~200円のレトルト食品は割高に見えるが、それが単独世帯では合理的と考える人も増えつつあり、加工食品中心の食卓が当たり前になってきている。

にもかかわらず、加工食品や調理食品の原材料の大半は輸入に頼っているのが実情だ。ロシアのウクライナ侵略に伴い、輸入食品の物価上昇が止まらなくなっている。それでも加工食品の原料を国産化する動きは顕著にならない。食品加工会社が一定のロットの供給が可能で、「安全性」が担保された国産原料を調達するには、食品表示ルールを順守し、トレーサビリティ(生産履歴)の確認が可能な取引先を見つけ出す必要がある。調達コストの問題も無視できない。そうなると現状では「メリット」がないということになる。背景には零細農家ほど少しでも作物を高値で引き取ってほしいという志向が強く、日本各地のJA(農協)が食品加工に本腰を入れ、その原料確保のために地域の農家を束ねて組織化する努力やノウハウ獲得への関心が高まらないという事情がある。
 
大潟村秋田こまち生産者協議会の加工食品

そうした現状を打ち破ろうと涌井さんはパックライスの輸出も視野に入れ、「大潟村あきたこまち生産者協議会」を坂本龍馬の「亀山社中(後の海援隊)」になぞらえる。涌井さんは新潟県十日町市で生まれ育ち、コメづくりに人生をかける覚悟で大潟村に移り住んだ。他の村民たちも同様の「志」を抱き、他県からやってきた開拓農民が多数を占める。亀山社中の社中は「カンパニー(会社)」を意味し、時代の先駆けともいえる交易事業を展開した。これに参加したのが龍馬をはじめ、郷里の藩を出奔した脱藩浪士たちだ。「大潟村の農家も海援隊の浪士たちのように志を抱いています。大手メーカーとは一味違うニッチ市場を徹底的に極めていきたい」と涌井さん。その笑顔を秋田こまち生産者協議会の事務所に飾られた等身大の坂本龍馬のポスターが静かに見つめていた。
撮影/魚本勝之
取材構成/生活クラブ連合会 山田衛

かねこ・まさる
1952年東京都生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、淑徳大学客員教授、慶應義塾大学名誉教授。『平成経済衰 退の本質』(岩波新書)『メガリスク時代の「日本再生」戦略「分散革命ニューディール」という希望』(共著、筑摩新書)など著書・共著多数。著、筑摩新書)など著書・共著多数。

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