トンボが飛びかう、江部乙米の田んぼ【無洗米 北海道江部乙米】
北海道滝川市江部乙町の米の生産者グループ、JAたきかわ「とんぼの会」は、安心して食べられるおいしい米を消費者に届けたいとの想(おも)いで米を作っている。多様な生物がすむ田んぼの環境を守り、温暖化が進む気候の変化にも対応しながらの米作りだ。
「とんぼの会」の始まり
JAたきかわ「とんぼの会」の会長、埴渕義和さん。「米を作って28年です。そろそろ折り返しの時期かなと思っています」
9月始め、北海道の石狩平野の北部にある滝川市江部乙町には黄金色の田んぼが広がり、実りの時季を迎えていた。
「今年の稲刈りは昨年より1週間ほど早く始まります」と話すのは、北海道滝川市江部乙町の米の生産者グループJAたきかわ「とんぼの会」の会長、埴渕義和さん。組合員との交流を重ねながら減農薬・減化学肥料の米作りをすすめている。
1980年代、米農家は農薬や化学肥料を多投し単位面積当たりの米の収穫量を競っていた。江部乙町でも、一軒一軒が独自に農薬を使用していた。このような米作りに疑問を持った農家の何軒かが、生産性よりも消費者が安心して食べられる安全性を優先した米作りができないかと考え始めた。
そんな時、生活クラブ北海道と出会う。88年、JAたきかわの前身の江部乙町農協が生活クラブ北海道と提携し、組合員との話し合いのもと米作りに取り組み始めた。93年には、同農協の青年部が中心となり農薬や化学肥料使用の自主基準値を設け、96年にとんぼの会を結成する。その後、組合員との交流を重ねながら、安全な米作りへの挑戦を続けている。
「今年の稲刈りは昨年より1週間ほど早く始まります」と話すのは、北海道滝川市江部乙町の米の生産者グループJAたきかわ「とんぼの会」の会長、埴渕義和さん。組合員との交流を重ねながら減農薬・減化学肥料の米作りをすすめている。
1980年代、米農家は農薬や化学肥料を多投し単位面積当たりの米の収穫量を競っていた。江部乙町でも、一軒一軒が独自に農薬を使用していた。このような米作りに疑問を持った農家の何軒かが、生産性よりも消費者が安心して食べられる安全性を優先した米作りができないかと考え始めた。
そんな時、生活クラブ北海道と出会う。88年、JAたきかわの前身の江部乙町農協が生活クラブ北海道と提携し、組合員との話し合いのもと米作りに取り組み始めた。93年には、同農協の青年部が中心となり農薬や化学肥料使用の自主基準値を設け、96年にとんぼの会を結成する。その後、組合員との交流を重ねながら、安全な米作りへの挑戦を続けている。
埴渕さんがとんぼの会の名前の由来を教えてくれた。「トンボは幼虫のヤゴの時から田んぼの虫を食べてくれる益虫で、私たちにとっては大切な存在です。この名前には、トンボをもっと増やしたいとの思いがこめられています」。トンボだけではなく、多様な生き物がすむ田んぼの生態系を取り戻したかったと言う。
生活クラブ連合会では、2007年よりとんぼの会が生産する北海道江部乙米を取り組み始めた。現在は無洗米北海道江部乙米、品種は「ななつぼし」だ。
生活クラブ連合会では、2007年よりとんぼの会が生産する北海道江部乙米を取り組み始めた。現在は無洗米北海道江部乙米、品種は「ななつぼし」だ。
決め手は「予察」
江部乙町がある空知平野は、北海道の中央部にある大雪山を源流とする石狩川と空知川が合流する広々とした地域だ。川は風の通り道と言われるように、一年を通して田んぼに風が吹き渡る。冷涼な気候で風通しがいい田んぼでは、いもち病などの病気が発生することは少ない。
とんぼの会はこのような環境を生かし、使用する農薬を減らしてきた。防除暦に従って散布するのではなく、田んぼに足を運び稲の状態を観察する「予察」を繰り返し行い、農薬を使うタイミングを決めている。
虫による被害を防ぐための予察も定期的に行う。8月中旬、稲はミルク状だったもみの中が、硬い米粒に変わる登熟期を迎える。この時期に注意するのが田んぼでカメムシと呼ばれるアカヒゲホソミドリカスミカメ。細くて緑色の小さな虫だ。もみの外からくちばしを差し込んで、まだ固まらない中身を吸う。この跡が黒い斑点として残り、精米する時に取り除かれる。とんぼの会は、カメムシが発生する7月下旬から8月中旬頃まで、田んぼに入り補虫網を振ったり粘着シートを設置したりする。そこで捕獲したカメムシの数によって防除の判断をする。
このような方法で使う農薬を一つ一つ減らし、現在は北海道の使用基準の半分以下となった。埴渕さんは田んぼの生き物が増えてきたと実感している。「特にトンボやクモの数が増えました。トンボはカメムシや稲の病気をうつすウンカを食べます。クモは稲の上に巣を張って虫を捕えます。毎朝張られる巣は、朝日が当たると本当にきれいですよ」。日々繰り返される生き物の営みを守っていきたいと言う。
とんぼの会はこのような環境を生かし、使用する農薬を減らしてきた。防除暦に従って散布するのではなく、田んぼに足を運び稲の状態を観察する「予察」を繰り返し行い、農薬を使うタイミングを決めている。
虫による被害を防ぐための予察も定期的に行う。8月中旬、稲はミルク状だったもみの中が、硬い米粒に変わる登熟期を迎える。この時期に注意するのが田んぼでカメムシと呼ばれるアカヒゲホソミドリカスミカメ。細くて緑色の小さな虫だ。もみの外からくちばしを差し込んで、まだ固まらない中身を吸う。この跡が黒い斑点として残り、精米する時に取り除かれる。とんぼの会は、カメムシが発生する7月下旬から8月中旬頃まで、田んぼに入り補虫網を振ったり粘着シートを設置したりする。そこで捕獲したカメムシの数によって防除の判断をする。
このような方法で使う農薬を一つ一つ減らし、現在は北海道の使用基準の半分以下となった。埴渕さんは田んぼの生き物が増えてきたと実感している。「特にトンボやクモの数が増えました。トンボはカメムシや稲の病気をうつすウンカを食べます。クモは稲の上に巣を張って虫を捕えます。毎朝張られる巣は、朝日が当たると本当にきれいですよ」。日々繰り返される生き物の営みを守っていきたいと言う。
暑かった今年の田んぼ
JAたきかわ販売部農産販売課の宮川卓さん。「北海道の米作りは、繰り返し品種改良を行ってきた歴史があります」
冷涼な北海道でも温暖化は進む。JAたきかわの販売部農産販売課の宮川卓さんは、「近年、気温が上がり気象条件が変わってきていますが、虫の発生はそれほど変わりません。特に今年ほとんど見られないのは、暑すぎて活動できないのではないかと思います。病気も、発生する温度帯ではないようです」。それよりも米の生育自体に影響が出ていると言う。
今年の夏は、江部乙町でも最高気温が35度を超える猛暑日が続いた。埴渕さんはもみの中身を心配する。「あまり暑すぎて夜間の温度が下がらないと、米粒が乳白色に濁る『シラタ』が発生します。それから、急激に水分を取られてしまったり、昼夜の温度差が大きすぎると『胴割れ』といって、米が割れやすくなります」。胴割れは通常、刈り取り後、乾燥する時に発生することがあるが、近年は圃(ほ)場のもみの中でも起こると言う。
夏に水を張る田んぼはもともと自然のクーラーだと言われている。地面よりも水の方が温度上昇がゆるやかで、風が通ると気化熱で涼しく感じられる。「でも今年は田んぼの水の温度も高かったのです。シラタや胴割れを防ぐために水路の水を田んぼに流して温度を下げました」。と埴渕さん。しかしお盆過ぎには、田んぼは稲刈りに備え水を抜く「落水」をして乾かさなければならない。「今年のようにお盆の後も高温が続くと、田んぼを冷やす方法がありません」。埴渕さんはもみの状態を心配する。
北海道では、寒さに強く冷涼な気候に合った米の品種が開発されてきた。「埴渕さんが栽培するななつぼしもゆめぴりかも、開発されてから十数年がたちます。今の気象条件とは合わなくなってきているのかもしれません」と宮川さん。「冬の寒さは変わらないので、これからは暑さにも耐えられる品種が求められます」。新しい品種の開発も進んでいるが、まだ栽培米として流通するには時間がかかりそうだと言う。
猛暑に耐えて収穫を待つ
田んぼはダム
江部乙町は、これまで台風や洪水などの大きな災害に見舞われたことはほとんどない。「でも、田んぼはいざという時、大きなダムの役割も果たしますよ」と埴渕さん。
田んぼがない土地では、大雨が降ると短時間で川が増水する。田んぼがあると、水が出て行かないように、水の落とし口の板を調整し田んぼに水をため、川の水が増えるタイミングをずらすことができる。「わずか20センチメートルぐらいですけれど、田んぼの広さを考えると、かなりの量の水の流れを調節できます」。多様な生き物がすみ、夏は涼しさをもたらす田んぼの、もう一つの役割を紹介する。
晩秋、新米が出回る頃、江部乙町は雪がちらつき始め、積もったり解けたりを繰り返す。とんぼの会のメンバーは、田んぼの土を掘り起こし機械で砕く「心土破砕」などの作業に追われている。変わっていく気象条件に対応する方法を探し、食べる人を思いながらの翌年の米作りへの準備だ。
田んぼがない土地では、大雨が降ると短時間で川が増水する。田んぼがあると、水が出て行かないように、水の落とし口の板を調整し田んぼに水をため、川の水が増えるタイミングをずらすことができる。「わずか20センチメートルぐらいですけれど、田んぼの広さを考えると、かなりの量の水の流れを調節できます」。多様な生き物がすみ、夏は涼しさをもたらす田んぼの、もう一つの役割を紹介する。
晩秋、新米が出回る頃、江部乙町は雪がちらつき始め、積もったり解けたりを繰り返す。とんぼの会のメンバーは、田んぼの土を掘り起こし機械で砕く「心土破砕」などの作業に追われている。変わっていく気象条件に対応する方法を探し、食べる人を思いながらの翌年の米作りへの準備だ。
9月の江部乙町は、ソバの花が咲き、大豆はまだ緑色
撮影/田嶋雅已
文/伊澤小枝子
一粒がすべての始まり
「私が子どもの頃は稲刈りの時期になると、2.5メートルぐらいの高さの『はざ』を作り、そこに刈った稲をかけて干していました。6段にもなりましたよ」と話すのは、北海道江部乙町の米生産者のグループ、JAたきかわ「とんぼの会」の会長、埴渕義和さん。機械が刈った後の田んぼには稲穂がこぼれて残る。それを拾っては、はざがけした稲に足していったと言う。
種もみから伸びた茎が3本から4本に分かれ、出てきた穂に40粒ぐらいのもみが付く。1粒の種もみから100粒以上もが実り、乾燥して保存できる米は、縄文時代から作り続けられるエネルギー源となる大切な食料だ。
9月初め、埴渕さんの17ヘクタールの田んぼでは、「ななつぼし」と「ゆめぴりか」、それに飼料用米が実り、刈り取りを待っていた。ななつぼしは、星がきれいに見える北海道で生まれた米として、北斗七星のように輝いてほしいという思いが込められた名前だ。「いろいろな料理に幅広く使える米です。冷めてもおいしく、お弁当にも向きますよ」と埴渕さん。「ゆめぴりかは甘くてもっちりとして、炊きたてが特にうまいです」。今、力を入れている品種だそうだ。「ゆめ」は日本一おいしい米を作りたいという「夢」、「ぴりか」はアイヌ語で「美しい」という意味だ。
とんぼの会は、生活クラブ北海道の組合員と交流する田んぼを用意し、毎年田植え、生き物調査、稲刈り体験ツアーを行っている。今年は、種もみを発芽させる前に行う温湯消毒を試みた。コロナ禍のため規模を縮小して行っていた稲刈り体験ツアーも、9月末には多くの組合員が訪れて賑(にぎ)わった。
「田んぼに足を運び、食卓に上がる食べものがどんなふうに作られたかを確かめている組合員の姿を見ると、食を大事にしているんだなと感じます。自分たちももっと食べる人のことを考えて米を作ろうという気持ちになりますよ」と埴渕さん。また、WEB上で情報交換を行っていた時、自分が作った米を使って料理をする組合員の様子を見てとても新鮮に感じたと言う。これからは、遠くに住む組合員とも情報交換ができる、このような形の交流も増やしていきたいそうだ。
「米を作り始めて28年がたちます。ちょうど折り返し地点に立っているような気持ちですよ。これからも安心して食べてもらえる米を作っていきます」と心強い。江部乙町で、生産者と組合員が気持ちを通いあわせながら作られる米が、ますますおいしくなる。
撮影/田嶋雅已
文/伊澤小枝子
文/伊澤小枝子
『生活と自治』2023年12月号「連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
【2023年12月20日掲載】