いま、山下惣一さんの「声」に耳を澄ませば(前編)
『振り返れば未来~聞き書き・山下惣一』筆者・佐藤弘
土に根ざした地べたからの目線で、社会を見つめてきた佐賀県唐津市の農民作家・山下惣一さんが逝ってから2年。「そのときは分からなくても、時間がたつと分かることがある」という山下さんの言葉に従って時計の針を40年巻き戻すと、まさに今、私たちがなすべきことが見えてきた。
「農業叩き」の時代を振り返れば
好調な輸出でたまりにたまった貿易黒字が諸外国からの非難を浴びるなか、農産物の輸入自由化をめぐり、わが国の国論が二分された1980年代。「二分」と書けば聞こえはいいが、実のところは、「もはやこの国に農業がいらない」「農家は早くやめてくれ」という声で世論がリードされた、いわゆる「農業叩き」の時代である。
当時の論調で象徴的な発言を拾ってみると……。
「自由化でつぶれる農業なら、つぶれても仕方がない」「これからは国産品でなく国際品の時代だ」(ダイエー社長・中内㓛氏)
「日本の農業生産額は、トヨタと日産の2社分でしかない。土地を農地にしておくことは不経済である」「食料輸入こそ日本を安全にする」(経済評論家・竹村健一氏)
いま聞けば、ホンマにここまで言うかい⁈という暴論でしかないが、当時、こうした論調は都市住民を中心に多くの支持を得ていた。
1988年、政財界の要人や学者、農協、消費者団体などの論客を集めて制作された討論番組がある。NHK特集「世界の中の日本〜食糧・国家の選択」である。
「この自由化の時代に農業だけを特別視することは、国際情勢から見てあり得ない」「消費者に安い農産物を選ぶ自由を」ウンヌン。冒頭からこんな意見が飛び交うなか、唯一の現場代表として登壇した山下さんは言った。「農産物自由化で国内の農業は縮小するばかりだが、気がついたら貿易黒字もなかった、農業もなかった、なんてことになっていいんですか。われわれはそう言っているんですよ」
当時の論調で象徴的な発言を拾ってみると……。
「自由化でつぶれる農業なら、つぶれても仕方がない」「これからは国産品でなく国際品の時代だ」(ダイエー社長・中内㓛氏)
「日本の農業生産額は、トヨタと日産の2社分でしかない。土地を農地にしておくことは不経済である」「食料輸入こそ日本を安全にする」(経済評論家・竹村健一氏)
いま聞けば、ホンマにここまで言うかい⁈という暴論でしかないが、当時、こうした論調は都市住民を中心に多くの支持を得ていた。
1988年、政財界の要人や学者、農協、消費者団体などの論客を集めて制作された討論番組がある。NHK特集「世界の中の日本〜食糧・国家の選択」である。
「この自由化の時代に農業だけを特別視することは、国際情勢から見てあり得ない」「消費者に安い農産物を選ぶ自由を」ウンヌン。冒頭からこんな意見が飛び交うなか、唯一の現場代表として登壇した山下さんは言った。「農産物自由化で国内の農業は縮小するばかりだが、気がついたら貿易黒字もなかった、農業もなかった、なんてことになっていいんですか。われわれはそう言っているんですよ」
NHK 特集「世界の中の日本~食糧・国家の選択」で発言する山下惣一さん
あぁ、あれから40年。これって、まさに今のことじゃね?と思うのは、私だけか。
あぁ、あれから40年。これって、まさに今のことじゃね?と思うのは、私だけか。
「強い農業」ってナンダと振り返って吟味してみたら
番組で力説されていたのが「強い日本農業の実現」。だが、何をもって「強い」というのか。「強い農業? それはどんなものか、教えてくれ」。山下さんはそう言っていたが、例えば「有限である地下水をくみ上げて、大規模な田んぼで安いコメを作る農業」と「コスト高とはなるものの、自然条件に合わせ、国土を保全しながらコメを作る持続的農業」とでは、どちらが強いといえるのか?
だが当時は農産物の安さこそが「善」であり、強さであるとする考え方が主流。政財界の大半は、規模拡大によるスケールメリットによって国際競争力を持つ米国型の農業を目指せと主張し、事実、その後の農政はその方向で進んでいく。
その優等生といえるのが、安い海外産の飼料を輸入することによって成り立つ工業的畜産だ。あくなき規模拡大により、スーパーの目玉商品になるような価格の鶏卵や、水より安いといわれる牛乳を実現した。
ところが2000年代に入ると、口蹄疫(こうていえき)に始まり、BSE(牛海綿状脳症)、鳥インフルエンザなどの家畜の疾病が次々と発生。かつての自給的規模での小さな営みなら、局地的な出来事で済んでいたかもしれないものが巨大化したがために、その社会的被害も甚大化した。2022/23年シーズンで殺処分された家畜は、鶏だけで1千万羽を超えるという。
山下さんは言う。「冬が近づくと空を見上げながら連綿と続いてきた鳥の渡りを恐れる農業が〝強い農業〟か。これらの病根は農業の工業化、自然の摂理を超えた効率の追求にある」
振り返り「過去」を見つめ、原点を探る
なぜ山下さんの言葉は、かように的を射ているのか。その背景には、自分自身がたどった道に対する深い反省があるからだと思う。
「かくいう私も進歩、成長、拡大こそが人々を幸せにすると信じ、近代化路線の尖兵(せんぺい)として、突っ走った時期もありました。でも、あるとき気付いたのです。それは際限のない〝おいでおいでの世界〟。そのレールの先に、私たちが望む未来なんか決してないことに」(山下さん)
あれから40年……。直近では、ウクライナ危機、円高による生活苦に見るように、われわれを取り巻く食料事情は悪化の一途をたどる。現在、農業従事者の平均年齢は68.4歳(2022年)。全国津々浦々で踏ん張ってきた農の担い手たちが、この10年でどんどん退場する「累卵の危うき」状況であることは見えているはずなのに、今春、成立した「食料・農業・農村基本法」の改正法を読む限り、企業化やスマート農業などによって、大規模化・輸出産業化を目指す農政の方向は、あの「農業叩き」の時代と何ら変わっていない。
「では、どうやってそこから抜け出すか。おいでおいでを断ち切るか。振り返れば未来。学べるのは私たちの苦渋に満ちた過去からしかない」(同)
反省がなければ、また同じ轍を踏むだけ。
農を通して、社会のありようを見続けてきた山下さんの生涯に学ぶのは、まさにこれからだ。
撮影/魚本勝之
さとう・ひろし
1961年、福岡市出身。元西日本新聞記者。主な著作に『振り返れば未来~山下惣一聞き書き』『新版食卓の向こう側コミック編~健幸は口から』(いずれも不知火書房)など。
1961年、福岡市出身。元西日本新聞記者。主な著作に『振り返れば未来~山下惣一聞き書き』『新版食卓の向こう側コミック編~健幸は口から』(いずれも不知火書房)など。