食料の生産には「時間」と「空間」の制約がある ――消費者はもっと「種」の保存に目を――
農水省による改正「食料・農業・農村基本法」の定義
食料・農業・農村基本法は農政の基本理念や政策の方向性を示すものです。(1)食料の安定供給の確保、(2)農業の有する多面的機能の発揮、(3)農業の持続的な発展と(4)その基盤としての農村の振興を理念として掲げ、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ることを目的としています。制定からおよそ四半世紀が経過し昨今では、世界的な食料情勢の変化に伴う食料安全保障上のリスクの高まりや地球環境問題への対応、海外の市場の拡大等、我が国の農業を取り巻く情勢が制定時には想定されなかったレベルで変化しています。こうした情勢の変化を踏まえ2022年9月以降、基本法の検証・見直しに向けた検討を行い、令和6年常会に改正法案を提出しました。改正法は同年5月29日に成立、6月5日に公布・施行に至りました。
食料・農業・農村基本法:農林水産省 (maff.go.jp)参照
※食料・農業・農村基本法の関連法案として「食料供給困難事態対策法」「農地関連法」「スマート農業技術関連促進法」が制定されました。今回は食料供給困難事業対策法について考えてみたいと思います。
「食料・農業・農村基本法」は「農政の憲法」とも呼ばれ、日本の「農」と「食」の今後の在り方を左右する重要な指針です。今回の法改正では国民の生命を根底から支える「食料安全保障」を重視し、何らかの理由で食料供給が不足するような場合に政府が農家などに増産の指示を出せることを定めた「食料供給困難事態対策法」が制定されました。これにより不測の事態に際して政府の命令に従わない生産者には罰金が課されることになります。しかしコメや野菜、畜産物の生産飼育には時間と空間の限界性があります。いきなり多く作れ、育てろといわれ「はい、わかりました」と言えるはずもなく、ましてや畑を水田に、水田を畑に変えろといわれても簡単ではないのはいうまでもありません。温暖化(沸騰化とも称される)に大型台風の直撃などの大きな気候変動、鳥インフルエンザに象徴される家畜伝染病の世界的拡大などの影響も深刻になるばかりです。そうしたなか、生産現場は食料供給困難事態対策法をどう受け止めているのでしょうか。採卵鶏の育種改良に取り組む株式会社後藤孵卵場(岐阜県各務原市)社長の日比野義人さんにお話を聞きました。
食料・農業・農村基本法:農林水産省 (maff.go.jp)参照
※食料・農業・農村基本法の関連法案として「食料供給困難事態対策法」「農地関連法」「スマート農業技術関連促進法」が制定されました。今回は食料供給困難事業対策法について考えてみたいと思います。
「食料・農業・農村基本法」は「農政の憲法」とも呼ばれ、日本の「農」と「食」の今後の在り方を左右する重要な指針です。今回の法改正では国民の生命を根底から支える「食料安全保障」を重視し、何らかの理由で食料供給が不足するような場合に政府が農家などに増産の指示を出せることを定めた「食料供給困難事態対策法」が制定されました。これにより不測の事態に際して政府の命令に従わない生産者には罰金が課されることになります。しかしコメや野菜、畜産物の生産飼育には時間と空間の限界性があります。いきなり多く作れ、育てろといわれ「はい、わかりました」と言えるはずもなく、ましてや畑を水田に、水田を畑に変えろといわれても簡単ではないのはいうまでもありません。温暖化(沸騰化とも称される)に大型台風の直撃などの大きな気候変動、鳥インフルエンザに象徴される家畜伝染病の世界的拡大などの影響も深刻になるばかりです。そうしたなか、生産現場は食料供給困難事態対策法をどう受け止めているのでしょうか。採卵鶏の育種改良に取り組む株式会社後藤孵卵場(岐阜県各務原市)社長の日比野義人さんにお話を聞きました。
産卵まではふ化から150日 それ以前に180日 店頭までは1年超
──6月に成立した食料供給困難事態対策法では、供給不足が起きそうな時に政府が農家などに増産を指示できる食料の一つに鶏卵も含まれています。
有事になってから「増産しろ」と言われても、それは難しいでしょうね。卵は、鶏が産むものなので、工業製品のように徹夜で作業したら生産量が増えるものではありません。
──実際に増産の指示があった場合、現場はどうなるのでしょうか。
一般的な採卵鶏の産卵期間は300日から550日程度で、それ以降は卵を産む数が減っていきます。卵の生産量を増やすには、まず手っ取り早いのは有事にはこの産卵期間を延長して卵の生産数量を増やすことです。
第二には卵を産む鶏(採卵鶏)の親となる種鶏の産卵期間を延長して種卵の生産量を増やし、採卵鶏の供給を増やすことです。第三には種鶏を増やさなければなりません。種鶏を増やさなければ、採卵鶏も増えないからです。種鶏が種卵を産卵するまでに孵化してから180日ほどかかります。その種卵が孵卵場でヒヨコになるまでに、21日。さらに、ヒヨコが食用の卵を産むまでに150日位。合計で351日位。つまり、第三の場合には増産の指示があってから、卵が店頭に並ぶまでに約1年かかるということです。
株式会社後藤孵卵場社長の日比野義人さん
撮影/西岡千史
──それでも、1年あれば安定供給できるようになるのでしょうか。
日本では、純国産の採卵鶏(さくら・もみじ)を育種改良して供給しているのは当社だけです。国産の採卵鶏は全体の約4パーセントしかなく、残りの96パーセントはすべて外国から輸入したヒヨコの子孫です。仮に外国からヒヨコが輸入できなくなった場合、増産するにしても施設には限界があります。すべてを国産鶏でカバーすることは難しいでしょうね。
──政府は「食料安全保障」を重視することを掲げていますが、有事に際して純国産の採卵鶏で自給できる取り組みはしていないのですか。
確かに農林水産省の担当者と話をすると、「純国産鶏を残し、増やすことは大事ですね」と言ってくれます。役所の人も政治家も、個人としては本音でそう思っているのでしょう。でも、それが農水省の政策、あるいは政府の方針になっているかというと、そうではありません。
96パーセントが外国から輸入したヒヨコの子孫である採卵鶏であっても、卵を日本で産んでいればそれは「国産卵」です。それを変える必要はないと思っているのではないでしょうか。
撮影/西岡千史
──それでも、1年あれば安定供給できるようになるのでしょうか。
日本では、純国産の採卵鶏(さくら・もみじ)を育種改良して供給しているのは当社だけです。国産の採卵鶏は全体の約4パーセントしかなく、残りの96パーセントはすべて外国から輸入したヒヨコの子孫です。仮に外国からヒヨコが輸入できなくなった場合、増産するにしても施設には限界があります。すべてを国産鶏でカバーすることは難しいでしょうね。
──政府は「食料安全保障」を重視することを掲げていますが、有事に際して純国産の採卵鶏で自給できる取り組みはしていないのですか。
確かに農林水産省の担当者と話をすると、「純国産鶏を残し、増やすことは大事ですね」と言ってくれます。役所の人も政治家も、個人としては本音でそう思っているのでしょう。でも、それが農水省の政策、あるいは政府の方針になっているかというと、そうではありません。
96パーセントが外国から輸入したヒヨコの子孫である採卵鶏であっても、卵を日本で産んでいればそれは「国産卵」です。それを変える必要はないと思っているのではないでしょうか。
──国産鶏の育成に力を入れないのは品質や価格で外国産に劣るからですか。
1962年にひなの輸入が自由化されてからは、日本で育種改良していた育種業者が自社での育種改良を止めて外国ヒナを扱うようになったり、卵を生産する採卵鶏業者に次々と転換していきました。外国鶏との競争に負けて、いったん失ってしまった『種』は簡単には復活できるものではありません。
後藤孵卵場では、「さくら」と「もみじ」の2種類の純国産鶏を育種改良しています。「さくら」は、日本で初めてピンク色(淡褐色)の卵を産んだ品種です。「もみじ」は褐色の卵を産みますが、以前のような外国鶏との品質の差はほぼなくなりました。卵を産む数も外国鶏に接近し並ぶくらいになっています。ヒヨコの価格は、外国鶏のヒヨコより10円程度高いと思います。以前は「国産の鶏はエサをたくさん食べるけど、卵は産まん」と言われたものでしたが、育種改良をし続けてきた結果、今はそのようなことを言われることはなくなりました。
──それでも外国産の鶏の卵が日本の市場を席巻しているのは、なぜですか。
市場の大半を占める白色の卵では、外国産に太刀打ちできないのが実情です。今、世界の採卵鶏はドイツのエリッヒ・ウエスヨハン(EW)グループとオランダのヘンドリックス・ジェネティクス(HG)グループの2社による寡占状態です。この2社が世界市場の95パーセントを占めていて、日本の採卵鶏の9割以上はEWグループのものです。
純国産鶏の「さくら」(左)と「もみじ」(右)
──巨大外国企業の鶏が市場を席巻するなかで、純国産鶏の経営は成り立つのでしょうか。
純国産鶏の産む卵が外国鶏の産む卵と品質でも値段でも遜色がないということが広まってきて、近年は販売数が下げ止まりました。それでも現在の「さくら」と「もみじ」のヒナ販売羽数では育種改良にかかる費用を捻出するのは厳しいです。養鶏場に資材商品等を販売することで経営の均衡を保っています。
──「もみじ」や「さくら」が、外国産の鶏と違うのはどういったところでしょうか。
日本の気候風土の下、日本国内で日本の環境に適合した育種改良をしていること。育種改良やワクチン投与などの履歴がわかること。海外で鳥インフルエンザが発生したり、戦争が起こったりして海外から輸入できなくなった時の不測事態のリスク緩和となること。日本人の嗜好を素早く育種改良に反映できること。
さきほどお話をした「もみじ」が産む卵の数の比較も、第三者機関に実際に外国鶏と一緒に育ててもらったうえでデータを公表しています。情報をオープンにすることによって近年は「純国産も外国産に負けていない」という認識が広まってきているように思います。
──巨大外国企業の鶏が市場を席巻するなかで、純国産鶏の経営は成り立つのでしょうか。
純国産鶏の産む卵が外国鶏の産む卵と品質でも値段でも遜色がないということが広まってきて、近年は販売数が下げ止まりました。それでも現在の「さくら」と「もみじ」のヒナ販売羽数では育種改良にかかる費用を捻出するのは厳しいです。養鶏場に資材商品等を販売することで経営の均衡を保っています。
──「もみじ」や「さくら」が、外国産の鶏と違うのはどういったところでしょうか。
日本の気候風土の下、日本国内で日本の環境に適合した育種改良をしていること。育種改良やワクチン投与などの履歴がわかること。海外で鳥インフルエンザが発生したり、戦争が起こったりして海外から輸入できなくなった時の不測事態のリスク緩和となること。日本人の嗜好を素早く育種改良に反映できること。
さきほどお話をした「もみじ」が産む卵の数の比較も、第三者機関に実際に外国鶏と一緒に育ててもらったうえでデータを公表しています。情報をオープンにすることによって近年は「純国産も外国産に負けていない」という認識が広まってきているように思います。
原原種→原種→種鶏→採卵用商業鶏を持続可能な「純国産」
──圧倒的に外国の巨大企業が生産する鶏が市場で強さを見せつけるなか、それでも国産にこだわっているのはなぜなのでしょうか?
当社の創業者・後藤静一(しずいち)の信念が大きいですね。もともと、日本にも国産鶏を育種改良する企業はたくさんあったのですが、1962年にひなの輸入が自由化されてからは、自社での育種を止めて外国ヒナを扱うようになったり、卵を生産する採卵鶏業者に次々と転換していきました。その当時の日本の育種改良技術は海外の育種改良技術には到底及ばず、産卵率も飼料要求率も劣っていたからです。そのなかで後藤は「日本の国内で『種』を持つことによって、日本養鶏の自主性、独立性を高め、日本の食料自給率を『種』のレベルから引き上げなければならない。」と言う創業者の言葉を企業理念の柱として、育種改良の道を歩んできました。当社の設立も、昭和初期に後藤静一が結核にかかった時、医師から「今の医学では助からない。卵でも食べるしかない」と言われ、藁(わら)にもすがる思いで1日に何個も卵を食べたら、結核が治ったというエピソードに由来します。以来、創業者は卵を一人でも多くの人に届けることを人生の使命として考えるようになり、後藤孵卵場を設立しました。それらの思いを今でも引き継いでいます。
当社の創業者・後藤静一(しずいち)の信念が大きいですね。もともと、日本にも国産鶏を育種改良する企業はたくさんあったのですが、1962年にひなの輸入が自由化されてからは、自社での育種を止めて外国ヒナを扱うようになったり、卵を生産する採卵鶏業者に次々と転換していきました。その当時の日本の育種改良技術は海外の育種改良技術には到底及ばず、産卵率も飼料要求率も劣っていたからです。そのなかで後藤は「日本の国内で『種』を持つことによって、日本養鶏の自主性、独立性を高め、日本の食料自給率を『種』のレベルから引き上げなければならない。」と言う創業者の言葉を企業理念の柱として、育種改良の道を歩んできました。当社の設立も、昭和初期に後藤静一が結核にかかった時、医師から「今の医学では助からない。卵でも食べるしかない」と言われ、藁(わら)にもすがる思いで1日に何個も卵を食べたら、結核が治ったというエピソードに由来します。以来、創業者は卵を一人でも多くの人に届けることを人生の使命として考えるようになり、後藤孵卵場を設立しました。それらの思いを今でも引き継いでいます。
──今後、「さくら」と「もみじ」以外の系統の純国産鶏を育てることはできますか。
今後とも「さくら」と「もみじ」の育種改良に邁進していきます。一方で、同じ系統の鶏ばかりを育種していると、どうしても近親交配が強まって悪影響が出ます。それを避けるために、独立行政法人家畜改良センター岡崎牧場と連携して岡崎牧場の国産鶏の系統を利用しています。農水省には国産鶏をもっともっと増やすべく予算の大幅な増加を期待しています。
──今後、どうすればいいのでしょうか。
消費者の側から、「もっと種を大事にすべき」という声が上がってほしい。国産の種が危機にあるのは、採卵鶏だけではありません。肉用の鶏もそうですし、野菜の種でも外国産に依存しているものがたくさんあります。消費者からの声が上がれば、政府も動いてくれると思います。スーパーなどでも純国産の食料品を買う人が増えると思います。「さくら」や「もみじ」を買っていただいているのも、生産者とのつながりを大切にする生活協同組合へ卵を供給している養鶏業者、あるいは卵の直売を中心に自分で卵を販売している養鶏業者あとは大規模養鶏場でも「純国産鶏も守らないといけない」という考えで当社のヒヨコを飼養していただいています。
当社と世界の育種企業ではゾウとアリほどの規模の差があるかもしれませんが、それでも一度、種を失ってしまったら、日本国内でそれを復活させるのは難しいことです。
海外での鳥インフルエンザの発生等で外国産のヒヨコの輸入が難しくなった時期がありました。今後、戦争等が起きて海外からの輸入がストップするという不測の事態に備えて国産鶏種のシェアを高めることが大切だと思います。せっかく買うなら「純国産鶏」と銘打たれた鶏が産んだ卵を買いたいという消費者も増えてくると期待しています。今後は、そういった人たちへのアピールが重要だと考えています。
取材/西岡千史
撮影/魚本勝之